海外から参加する労組

週刊『前進』02頁(2888号02面02)(2017/10/26)


海外から参加する労組


 11・5集会に海を越えて韓国、アメリカ、ドイツから参加する三つの労働組合を紹介します。全世界の人びとがこの国際連帯の前進に熱い視線を送っています。日比谷野音を満杯にして、韓米独の同志たちを迎えよう。

パククネ倒しさらに前進
 韓国 民主労総代表団

(写真 昨年11月30日、ソウルで「パククネ即刻退陣!」を叫び巨大なパククネ像を掲げて進むデモ隊)

 韓国からは、民主労総ソウル地域本部を中心とする30人近い代表団がやってきます。その中には、昨年のパククネ政権打倒闘争の先頭に立ち、79日間もの長期ストライキを闘いぬいた鉄道労組のソウル地本本部長も含まれています。
 民主労総は、約80万人を組織する、闘う労働組合のナショナルセンターです。韓国では昨秋から労働者人民が毎週のようにソウルで数十万、百万規模のデモに決起し、本年3月にはついにパククネを大統領の座から引きずり下ろして監獄にぶちこむ大勝利をかちとりました。この闘いを全民衆の先頭に立って切り開き、支えたのが民主労総のゼネスト闘争です。
 パククネを打倒した最大の力は、韓国社会を支配する財閥とその国家に対する労働者人民の積もりに積もった怒りの爆発でした。わずか1%の大金持ちが国家権力を独占して私腹を肥やす一方、労働者はますます低賃金と貧困、過労死の地獄にたたき込まれている。とりわけ青年労働者の大多数は「一生非正規職」を強いられ、結婚や子育てもできず将来の夢も描けない。この現実への「もうがまんできない」という思いが、パククネの不正・腐敗が暴かれたのをきっかけに一気に燃え上がったのです。
 パククネの労働改悪、労働法制解体と民営化・総非正規職化の攻撃に絶対反対で闘ってきた民主労総は、「ひっくり返そう! 財閥の世の中、打ち倒そう! 資本家の政府」を掲げて、鉄道など公共部門の労働者を先頭にゼネストに立ち上がりました。そしてそのもとに農民、露天商など都市貧民、学生、闘う障害者や女性などあらゆる人々を結集し、民衆総決起闘争本部を形成して闘いました。この闘いが、それまで政治を奪われていた膨大な青年・学生の怒りの決起と結びついたこと。これが「ろうそく革命」と呼ばれる大闘争を切り開き、パククネを監獄にたたきこみました。
 彼らは今、「政権交代だけでは何も変わらない」と革命をさらに推し進めるために闘っています。何よりも、パククネ打倒に大打撃を受けた米・日帝国主義による朝鮮侵略戦争を絶対に阻止しようと立ち上がっています。これに応え、来日した民主労総の仲間とともに、日米戦争会談粉砕の大デモを闘いぬきましょう。

反戦スト、港湾封鎖を闘う
 アメリカ ILWU(国際港湾倉庫労組)

(写真 2011年8月のバンクーバーでのILWUローカル21、同4の穀物鉄道輸送阻止闘争。EGTの労組破壊と闘った)

 アメリカからは、ILWUローカル21(国際港湾倉庫労組第21支部、ワシントン州ロングビュー)とローカル52(同州シアトル)からそれぞれ1人が参加します。
 ローカル21は2011年、米日韓の合弁資本EGTによる労組破壊攻撃と闘い、団結を守りぬきました。この闘いは、一地方の闘いにとどまらず、全米の頂点になりました。オキュパイ(占拠)運動など全米の闘う労働者が支援の闘いに立ち、動労千葉もEGTの一角である伊藤忠への抗議闘争を行いました。
 当時のオバマ政権は、大統領の指揮下にある沿岸警備隊まで現地に動員しました。ILWUは戦争反対・国際連帯を全米でもっとも貫いてきた労働組合なので、支配階級はILWU破壊のために全力をあげたのです。
 今トランプ政権は朝鮮侵略戦争に突進していますが、朝鮮半島情勢を歴史的に決定づけた50年朝鮮戦争に対してもILWUはスト・軍需物資輸送阻止で闘っています。60年代にはベトナム反戦を貫き、イラク戦争の際には全米で唯一反戦ストに立ちました。08年メーデーでの米西海岸全港湾の閉鎖です。これに例外なく全員が参加しました。この丸ごとの団結の基礎は、社会の根こそぎの変革を目指した活動にあります。

資本との対決貫く最左派
 ドイツ機関士労組 ベルリン都市鉄道支部

(写真 2007年にストライキに立ち上がったGDL)

 ドイツからは、ドイツ機関士労組(GDL)ベルリン都市鉄道支部長のクルト・シュナイダーさんを団長とする6人が訪日・訪韓します。GDLベルリン都市鉄道支部は、組合員1千人でケルン支部に次いで2番目に大きく、GDL中央の政府・資本との協調路線と対決する最左派です。
 GDLは07〜08年にかけて波状的ストライキに立ち、当時「ストライキ共和国」と言われたドイツの闘いを牽引(けんいん)しました。クルトさんは当時ストの現場指導者でしたが、その後GDL中央は協調路線に踏み出し、彼は闘いの方向性を求めていました。
 2011年8月、動労千葉の訪独団がベルリンを訪れた時がクルトさんとの歴史的な出会いとなりました。そして彼は13年11月に初めて訪日・訪韓し、動労千葉労働運動と民主労総にじかに接して衝撃・感動を受け、「労組権力を取れば労働者は偉大な闘いができる」と体感したのです。
 クルトさんは15年4月に支部権力を奪取し、執行部を一新。組合員との日常的な交流を深めつつ、資本・体制内指導部と闘える「階級の指導部」を形成するために奮闘しています。

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