エンプラ闘争から50年 佐世保で600回目のデモ

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週刊『前進』02頁(2912号02面03)(2018/02/01)


エンプラ闘争から50年
 佐世保で600回目のデモ

(写真 エンプラ闘争50周年集会で秋山元全学連委員長が記念スピーチ。)

(写真 毎月19日にデモを行ってきた「19日佐世保市民の会」が600回目のデモ【1月19日 佐世保市】)

秋山勝行元全学連委員長が熱い訴え

 1月19日、1968年の原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争から50年目のこの日、「19日佐世保市民の会」が「エンプラ闘争から50年」の集会を長崎県・佐世保市中央公民館で開催し、当時全学連委員長であった秋山勝行さんが記念スピーチをした。
 19日佐世保市民の会は、佐世保闘争のあった68年1月の翌月の2月19日より、実になんと50年間にわたって、毎月19日に佐世保闘争を継承するデモ行進を佐世保のアーケードで行ってきている。佐世保闘争は、68年1月以来、佐世保市民によってずっと継承され、今に至っている。
 集会では「佐世保激動の記録」(NBC長崎放送製作)のビデオの上映の後、秋山勝行元全学連委員長が壇上に立ち、「60年安保闘争以降の激しいデモ規制によって、学生運動の再建を絶対に許さないという国家権力の弾圧が集中してくる中で、全力を挙げて当時の全学連は67年10・8羽田闘争に続いて佐世保闘争に立ち上がった。機動隊の壁を初めて自分たち自身の手で打ち破った時の感動はものすごいものがあった。それはその後の運動の高揚の転換点となった」と羽田闘争や佐世保闘争が果たした役割について語った。
 同時に、「今、再び朝鮮で米日の侵略戦争が始まろうとしている。私は今、地域の労働組合で闘っています。韓国でも労働者が立ち上がっている。佐世保闘争の時も、長崎の被爆者の闘いが私の頭にはあった。被爆地・長崎の闘いは重要です。佐世保闘争の高揚の根底には長崎・佐世保市民と全学連の『反核』という強烈な一致点がある。それが3・11以後のフクシマの闘いにも引き継がれています。当時の闘いのようなうねりを今こそつくり出そう」と熱く語った。そして、「次の50年へ、今こそ若者の闘いを!」と青年労働者・学生の決起を促した。
 さらに、秋山さんは「私たちの学生運動を引き継いだ後輩の星野文昭さん、大坂正明さんが、無実の罪で今獄中に囚われています。絶対に許せない。彼らを取り戻すために闘っていこう!」と、星野・大坂闘争を力を込めて参加者に訴えた。

戦争阻止する闘いの〝火種〟受け継ぐ

 集会の後、秋山元委員長を先頭にして「19日佐世保市民の会」は、この日で600回目のデモを行った。約70人が参加し、当時、佐世保闘争に参加した人たちも全国から駆けつけた。50年前の佐世保闘争から続くデモの隊列を、アーケードを歩く多くの労働者・市民が熱いまなざしで見守っていた。
 佐世保には、米軍の基地と自衛隊の基地が隣りあわせで存在しており、まさに日米安保体制の姿そのものを示している。68年の米空母エンタープライズの佐世保寄港はベトナム戦争の真っただ中で強行され、エンタープライズはベトナム戦争で北爆に参加していた。
 そして今、米日の朝鮮侵略戦争が切迫する中で、佐世保は沖縄とともに、再び戦争の最前線基地になろうとしているのである。しかし一方で佐世保闘争は、佐世保の労働者・市民によって粘り強く50年間にわたって受け継がれ、今の戦争情勢と対決する根底的な力になろうとしている。
 「私たちの運動は火種だ」と語る19日佐世保市民の会は、この日を新たな出発点にして、来月19日に601回目のデモに立とうとしている。
(長崎 T)

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