大打撃あたえた90年決戦 学生・労働者の怒りが爆発

週刊『前進』02頁(3077号02面03)(2019/10/17)


大打撃あたえた90年決戦
 学生・労働者の怒りが爆発

(写真 1990年11月12日、「即位の礼」粉砕を掲げ渋谷でデモ)

 昭和天皇ヒロヒトの死に伴って行われた1990年の天皇代替わり儀式は、政府・権力と労働者民衆との階級的大激突の場となった。
 89年1月にヒロヒトが死ぬと政府は全人民に「喪に服す」ことを強要した。商店は臨時休業。歌や踊り、スポーツ大会などあらゆるイベントが中止。全テレビ局がヒロヒト賛美の追悼番組のみを流す中、「自粛」に応じないのは「非国民」との大キャンペーンが展開された。
 これに対して中核派を先頭に、広範な労働者人民の怒りと不退転の決起が始まった。まず89年2月に東京・新宿御苑で行われたヒロヒトの「大喪(たいそう)の礼」に対し、白ヘルの大隊列を先頭としたデモがたたきつけられ、中核派2戦士が葬列に突入した。「自粛」ムードは吹き飛ばされ、天皇の戦争責任追及の声、戦前のような社会に戻すなという声が高まった。
 90年に入ると緊張はさらに強まった。90年1月には「天皇に戦争責任はある」と発言した長崎市長が右翼から銃撃される事件が起きた。革共同は天皇制打倒・日帝打倒への総蜂起の宣言を発した。恐怖した日帝権力は破防法による団体解散攻撃の発動をも公然と策動し始めた。
 11月12日の天皇アキヒトの「即位の礼」と23日の「大嘗祭」粉砕闘争は、全国から動員された3万7千人の機動隊による首都制圧を、闘う労働者人民の実力で打ち破る闘いとなった。中核派革命軍による即位儀式粉砕のゲリラ戦闘が都内全域や近県で次々と炸裂(さくれつ)する中、それと一体で、渋谷の宮下公園に集まった労農学人民6200人による戦闘的・大衆的大デモが機動隊と激突して闘われた。全国大学ゼネストで決起した全学連がその先頭に立った。
 全学連は法政大、京都大、東北大、大阪大、大阪市大、広島大、弘前大、山形大、富山大、岡山大、山口大、鳥取大、筑波大の全国13大学でバリストを含むストライキを決行し、初参加の学生も先を争ってデモに合流した。沿道では市民が鈴なりで見守り、声援を送った。
 天皇即位儀式を使って労働者人民のあらゆる抵抗を圧殺し、天皇の前には言論や思想の自由も許されない社会をつくろうとした権力の思惑は粉砕された。逆に天皇制に対するそれまでの「タブー」が全社会的な規模で打ち破られ、階級闘争の新たな発展への扉が開かれた。中核派はその最先頭で破防法攻撃に真っ向から立ち向かい、全民衆総決起の先陣を切ることを通して、自らにかけられた組織破壊攻撃をも打ち破ったのだ。
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