天皇即位儀式を弾劾する 改憲・戦争へ「国民統合」狙う 台風災害無視し行事を強行

週刊『前進』04頁(3082号03面01)(2019/11/04)


天皇即位儀式を弾劾する
 改憲・戦争へ「国民統合」狙う
 台風災害無視し行事を強行

(写真 10月22日、全学連を先頭に、都心で天皇即位儀式弾劾デモ)

 新天皇即位への「祝賀」を国家の力で全人民に強制する一連の天皇儀式のピークとして、11月14日に大嘗祭(だいじょうさい)が行われようとしている。これに先立ち、9日には皇居前広場で「祝賀式典」、10日には「祝賀パレード」が予定されている。だが、相次ぐ台風・大雨の被害で多くの人々が明日をも知れない生活を強いられる中、巨額の税金を投じて贅(ぜい)をこらした天皇行事を連発する天皇と安倍政権、さらにはそれを絶賛するマスコミ報道に、日本中で怒りの声が上がっている。天皇も安倍も、この怒りの高まりに震え上がっている。

安倍は「陛下万歳」を絶叫

 安倍政権は、臨時国会での国民投票法改定を急ぎ、憲法審査会での改憲案提示から改憲発議へ突き進もうとしている。これと並行して、天皇代替わりを徹底的に利用した愛国主義・排外主義の大宣伝をマスコミを通じて繰り広げている。天皇を全人民の上に君臨させ、天皇制のもとに「国民統合」を図ることなくしては、労働者民衆を戦争に動員することもままならないからだ。台風・大雨の甚大な被害にもかかわらず、災害対策そっちのけで先月22日に「即位礼正殿(せいでん)の儀」を強行したのもそのためだ。
 一連の代替わり儀式は、労働者階級人民への許し難い侮蔑に満ちた攻撃であり、「災害だろうと関係なく国民こぞって天皇即位を祝え」という国家権力による恫喝にほかならない。今回の「即位礼正殿の儀」では、新天皇ナルヒトが「高御座(たかみくら)」と呼ばれる台座から、一段低いところに参列した安倍などの「国民代表」らを「臣下」として見下ろし、即位を宣言した。これを受けて安倍らが「天皇陛下万歳」を絶叫し、陸上自衛隊の部隊が21発の「礼砲」を発射した。これらはいずれも戦前以来の国家神道の儀式をそのまま踏襲したものであり、しばしば指摘されるように、政教分離を定めた憲法20条および宗教への「公金その他の公の財産」の支出を禁じた憲法89条違反であることは明白だ。だが安倍政権は、あくまで戦前と同じ様式で天皇儀式を強行することで、天皇・天皇制を戦前のような「神聖不可侵」の存在へと高めようとしているのである。いかに非合理的で時代錯誤であろうと、そうする以外に天皇制の権威を維持することなどできないのだ。
 またこの「正殿の儀」において、新天皇ナルヒトが5月1日の「即位後朝見の儀」に引き続き、前天皇アキヒトの即位時に使われた「憲法を守り、これに従って」という表現をあえて「憲法にのっとり」と言い換えたことも重大である。要するに、ナルヒトは安倍政権による改憲策動と歩調を合わせ、改憲後の新憲法にも「従う」ことを表明したのである。
 だが、そもそも安倍政権は、本来であれば新天皇即位の前に改憲も労働組合絶滅攻撃も完了していなければならなかった。国家権力・資本と不屈に闘う労働組合が厳然と存在し、改憲をめぐって国論が二分しているような状態では、「天皇のもとでの国民統合」など空疎な虚構でしかないからである。安倍はその立ち遅れに焦り、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部への大弾圧やJRにおける「社友会」の組織化など、「労組なき社会」への転換を急いでいるのだ。
 ここに天皇制と安倍政権の最大の危機がある。闘う労働組合をよみがえらせ、改憲・戦争阻止の巨大な階級闘争を巻き起こすことが、今日における天皇制打倒の闘いの核心的課題だ。

民衆の闘いが追いつめる

 本紙3077号の「天皇制問題Q&A」でも明らかにしたように、天皇制とは「日本古来の伝統・文化」でも「悠久の歴史をもつもの」でもなく、19世紀後半になって世界史的に遅れて資本主義化した明治日本の支配階級が、自らの統治を正当化・神聖化するために、古代の遺物を担ぎ出してつくりあげた政治的創作物にすぎない。
 イギリス、フランス、アメリカなどのブルジョアジーは、革命や独立戦争を通じて旧体制を打倒し、自らの権力を打ち立てた。これに対し、すでに労働者階級の革命的決起が始まっていた時代に後発の資本主義国として台頭した日本のブルジョアジーは、最初からプロレタリア革命におびえ、革命をやることも革命的理念を掲げることもできず、天皇制とそのイデオロギーを全人民に暴力的に強制する以外になかった。ここに日本帝国主義とその支配階級の歴史的本質的な脆弱(ぜいじゃく)性がある。
 近代天皇制は、「軍人勅諭」と「教育勅語」を二本柱とした暴力的な教化政策と、特高警察や憲兵隊に代表される陰惨きわまる弾圧・テロ支配によって成り立っていた。この暴力支配に対する日本共産党などの指導部の屈服・転向によって日本階級闘争はひとたび鎮圧され、労働者人民は侵略戦争に動員されることになったが、天皇制の支配は敗戦と同時に一挙に崩壊し、歴史的に大破産した。
 第2次大戦終結直後には全世界、とりわけ日本帝国主義の支配から解放されたアジア諸国で一斉に革命が爆発。日本でも次々と労働組合が結成され、46年5・1メーデーでは50万人が皇居前広場を占拠した。「戦犯天皇ヒロヒトを処刑しろ!」の声は全世界で巻き起こった。こうした中で、GHQ(連合国軍総司令部)と日本支配階級は、「戦争放棄」をうたった9条を含む新憲法の制定と引き換えに、少なくとも憲法上は一切の政治的権能を失った「象徴」という形で天皇・天皇制のぎりぎりの延命を図ったのである。
 だが、天皇の戦争責任を追及するアジアと日本の民衆の闘いは、戦争反対を貫く労働組合の存在を軸に継続され、ヒロヒト死後の90年天皇決戦にも貫かれた。この階級的力関係が、現在も安倍政権と新天皇ナルヒトを規定し、追い詰めている。本来なら戦前の特高警察並みの弾圧・テロ支配と国家による全面的な思想・教育統制が天皇制には不可欠だが、いまだにそこまでは踏み込めないのだ。
 大嘗祭強行を徹底弾劾し、天皇制にすがりつく以外に延命できない安倍政権と日本支配階級に今こそ労働者階級の闘いで引導をわたそう。
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