書評 「棘男評伝〜労働界のレジェンド武建一〜」 「ひとの痛みは己の痛み」の原点ここに

週刊『前進』04頁(3090号03面03)(2019/12/02)


書評
 「棘男評伝〜労働界のレジェンド武建一〜」
 「ひとの痛みは己の痛み」の原点ここに

(平林猛著/展望社/2019年10月29日初版第1刷発行/2000円+税)

(写真 11・16関生支援集会で弾圧を弾劾【大阪市】)

関生支部・武委員長ら奪還へ上映運動開始

 11月12日に東京の日比谷コンベンションホールで全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の闘いと武建一委員長を描いた映画「棘(とげ)」(杉浦弘子監督)を見た。その時に、「棘男」(平林猛著)を買い求めた。
 上映後の平林猛プロデューサーの話によれば、この作品は未完であり、第三弾を考えているとのこと。未完ながら「棘」を世に送り出したのは、武建一委員長らが逮捕され、獄中にいるからだ。武建一委員長らを直ちに奪還するために、この映画の上映運動を開始したという。11月3日の日比谷野外音楽堂での集会にも参加して、杉浦監督はカメラを回していた。武建一委員長が奪還されて登場し、不当な弾圧を打ち破る裁判の勝利報告も杉浦監督の映像で見たいものだ。上映会後に交流会が行われ、ある映画監督が「平林さんの『棘男』は命をかけている。すばらしい」と述べた。本書を読んでその意味を理解することができた。

「棘」の意味は読むほどに伝わってくる

 「棘男」という異色のタイトルが奇を衒(てら)ったものでないことは、読む前から感じていた。しかし、このタイトルがこんなにもふさわしいとは思っていなかった。読めば読むほど棘の意味が伝わってきて、エピローグで著者自身の棘とつながるのである。平林さんが労働組合の専従を担ったことがあることも終章の末尾に出てくる。
 「労働者の命、ストライキを打っただけで、逮捕され幽閉されている『棘男』武建一と『カンナマ』の組合員たちを取り戻す方法はないものか。一ジャーナリストとして、一人の人間として、激しく国家権力に抗議する。即時解放を! 皆さん、声を挙げよう。そして行動に移そう。沈黙、無関心は罪です。『若者よ! 何を怯(おび)えている。熱く激しいストライキを打て!』」(298㌻)
 第三章の末尾の一節である。著者の人生と命を懸けた、ふり絞るようなメッセージである。

「反骨の島」徳之島の住民たちの闘い描く

 第一章は「ひとの痛みは己の痛み」というタイトルで、関西生コン支部にかけられた今回の弾圧を描いている。この第一章の展開の手法と内容は平林さん以外に書けない深みがある。
 第三章「経済成長の底辺で」は武建一さんが大阪に出て関西生コン支部の委員長になり、ヤクザに殺されかけた経緯など、これも著者の妙技で描かれている。著者の人生と経験をかけた踏み込みの中で、武建一委員長の半生に迫る内容が力強い。
 第二章「反骨の島」は重厚な内容であり、圧倒された。徳之島の歴史と武建一委員長の棘のバックボーン、その重みをこれでもかという踏み込みで描き出した。誰も書いたことのない中身である。見事というほかない。
 映画「棘」で奄美群島が沖縄よりも先に返還されたことが描かれている。本書では、戦時中に神風特攻隊が鹿児島の知覧を飛び立ち、徳之島で翼を休めて翌日、太平洋上の敵艦をめざして出撃する「不沈艦」だったことが書かれている。「不沈空母徳之島」への空爆は執拗(しつよう)に続き、敗戦を迎える。米の占領軍が上陸したのは武建一委員長の生家のすぐ近くだった。
 「その『棘』を話す前に徳之島を含めた奄美群島の成り立ちに触れたい。なぜなら、その歴史を理解しない限り、武建一の『棘』を理解することが出来ないからである」(165㌻)
 著者は「続日本紀」西暦797年の話にまでさかのぼる。奄美群島は日本と琉球の支配を受けてはいたが、南国の自由さがあった。これが農奴の島になるのは薩摩藩の襲来があったからだという。薩摩藩に対する反抗の闘いである1816年の「母間(ぼま)騒動」や1864年の「犬田布(いんたぶ)騒動」。さらに1913年6月の徳之島の銅山ストライキが武建一の「棘」の痕跡であると著者は書いている。「奄美群島最初のストライキ」(180㌻)であった。松原鉱業所の経営権は足尾銅山争議の財閥古川鉱業に引き継がれ、1928年に閉山した。鉱床の枯渇が理由であるが、「実は度重なるストライキの対策に翻弄(ほんろう)されたからだといわれている。しかし、もし徳之島の銅山が後十年続いたら、第二の足尾銅山事件になっていたかもしれない」(184〜185㌻)というのが著者の見解である。
 さらに著者は、武建一委員長の「棘」のルーツに「地方奄美無産党新興同志会」の平利文のことを記している。平利文は日本共産党の幹部に闘争資金を提供した疑いで敗戦を待たずして42歳の若さで獄死している。第二章の最後は平利文の話であり、徳之島の「棘」の一つであると。

病魔に襲われる中で著者は命がけで執筆

 「命を懸けた書」であるのはその内容だけでなく、著者は75歳で病魔に襲われ、倒れた過程で武建一のことを知ってパソコンに向かう。「悪魔の薬」ステロイドの副作用に苦しみながら「死ねない! 時間がない」と病院のベッドで悶々(もんもん)としながら、ついに書き上げたのが本書なのである。
(合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀)

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