〈寄稿〉 給特法と私の闘い 東京・元小学校教員米山 良江

週刊『前進』04頁(3094号02面04)(2019/12/16)


〈寄稿〉
 給特法と私の闘い
 東京・元小学校教員米山 良江


 給特法は、私が教員になった1971年に成立した法律だ。その年には中央教育審議会(中教審)答申も出された。戦後教育の単線型学校制度を破壊し、複線化に向けた攻撃だった。71年は、教育への攻撃が画歴史的に始まった年だった。
 日教組はその攻撃の前に立ちはだかっていた。56年からの勤評闘争、実力で教育基本法を守り抜いた60年代の全国学力テスト阻止闘争、66年以来の春闘統一ストライキなど、日教組は、総評労働運動の一翼を担って闘っていた。同時に「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げ、反戦・平和運動と教育実践に取り組んでいた。68年からは全国各地で残業代を要求する「超過勤務手当要求訴訟」を闘い、全て勝利していた。まさに自民党政権の教育政策に立ちはだかっていたのが、日教組だった。私も多くの新採と共にすぐに組合に加入し、意気揚々とその年のメーデーに参加した。
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 この力関係を変え、日教組をつぶしたい——そのために策動されたのが、給特法だったと思う。だから自民党政権は、給特法に続いて「教育職の職責にふさわしい賃金を」と言って、74年には人材確保法を制定し日教組を絡め取ろうとした。そこには「教師」が賃金闘争を闘うことを切り崩す意図が貫かれていた。子どもたちを戦場に送った反省から、「聖職者ではない。教師は労働者だ」というのが、日教組の原点だったからだ。
 就職した当時は組合の組織率が高く、私の学校でも9割近くが組合員だった。4時になると校内放送がかかり、教室で定例の職場会をやっていた。職場会では、中教審答申を前文から読み合わせして、みんなで学習した。給特法についても、なぜ「基本給の4%の教職調整額」なのか、労働基準法の適用除外にする狙いは何なのか、職場ではどういう闘いをしたらいいのか、一から学び合い、話し合った。職場の主人公は私たち労働者だという自覚が芽生えた。そして給特法の狙いが日教組破壊にあることをみんなでつかんでいった。「教師・専門職論」を巡っては意見が対立し、激論を交わしたこともあった。「良き組合員こそ、良き教師」と先輩から教わったのもこの頃だ。
 法が制定されてからは、職場で超勤を許さない闘いを継続した。職員会議が長引けば延長した時間を相殺させる、行事などで早出勤をすれば早帰りするなど、8時間労働制を職場の団結で守り抜く共同性があった。
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 変形労働時間制は絶対反対! これが職場みんなの声だ。労働時間に見合う賃金要求は労働者として当然の権利! 歴史的に勝ちとってきた8時間労働制を今こそ、奪い返そう! 今あらためて労働組合のもとに団結して闘うことを訴えたい。
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