歴史動かす主体になろう 憲法と人権の日弁連をめざす会 森川文人弁護士

週刊『前進』04頁(3098号02面04)(2020/01/13)


歴史動かす主体になろう
 憲法と人権の日弁連をめざす会 森川文人弁護士


 まさに激動の時代……時代の先頭に立つか、はじき飛ばされるのか。究極化する階級格差、それゆえに世界各地で立ち上がるストライキや街頭闘争。私たちに歴史を動かす主体性が問われています。
 マルクスは「哲学者たちは世界を様々に解釈してきたにすぎない。重要なことは世界を変えることである」と述べていますが、ともあれ、自分の置かれている状況を把握し、まずは自分を変革し、動かさなければならないと強く自覚します。これまでの延長の自分であっては、何も変えられない、と。
 排外主義的ナショナリズムが私たちの階級的な不満と怒りを「回収」しようとしています。この先に国家の名による戦争、そのための改憲があります。排外主義は、国家支配を維持するためのイデオロギーにすぎません。それでもレーニンの「第2インターナショナルの崩壊」のように、私たちの階級的な団結と連帯が国家の枠組みを超えて力を持つかどうかが試されています。
 「労組なき社会」……新自由主義によって競争にさらされ、孤立化させられ孤独化し、団結から遠ざけられようとしている私たち……どのように対抗し力を結集するか。
 AI、ビッグデータ、顔認証システムなどのテクノロジーの急速な発展が、一方で私たちをプロファイリング(分析)しスコアリング(点数化)し、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような超監視社会を完成させようと利用されています。「デジタル・レーニン主義」と揶揄(やゆ)される中国政府(「デジタル・スターリン主義」が正しいと思うが)に対し、香港では覆面闘争の青年らが団結して時代の先端で対決しています。
 団結の形成は、やはり私たち一人ひとりの自己変革的な主体的な試みにより切り開かれるのではないか、他者と結びつくためのこちらの必死の試みが遠くに居るように見える他者(潜在的な仲間)との団結を可能にするのではないか、と思います。
 私は「国益と排外に憲法は屈するのか」を前面に打ち出した昨年の8・12集会で、政府による排外主義的な誘導が露骨に行われている韓日関係を踏まえ、来日した民主労総の組合員(そしてその向こうにいる朝鮮半島の仲間たち)に対して、つたないハングルで連帯の呼びかけを試みましたが、これは自分のこれまでを乗り越え、連帯の手を伸ばす挑戦でした。
 テクノロジーに対しても同じではないでしょうか。そもそも、60年代後半のカウンター・カルチャーから生まれたパーソナル・コンピューティングや、貨幣の国家管理に対抗して分散的な自治管理を目指す仮想通貨(ブロックチェーン)などを、常に自分の「彼岸」に置くのではなく、私たちの主体的な道具に、革命の道具として奪還・管理する試みが必要でしょう。
 革命は若者の事だとしても、上の世代に属する自分も新しい「言葉」(外国語やプログラミング言語)を自分のものとしてみるといったような、新しい試みから始めたいと思います(マルクスのいう「哲学者」にならないように)。革命的であるために自己の変革と研鑽(けんさん)を常に試みることが激動の時代を主体的に乗り切り、歴史の主人公になるために必要であると自覚します。
 国際連帯して一緒に闘いましょう!
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