鈴木達夫同志を追悼する改憲阻止、反戦闘争と労働運動に生涯を捧げた革命家弁護士 葉山岳夫

週刊『前進』04頁(3110号04面05)(2020/02/24)


鈴木達夫同志を追悼する
改憲阻止、反戦闘争と労働運動に生涯を捧げた革命家
弁護士 葉山岳夫

(写真 昨年6月3日、星野文昭さん解放集会で発言する鈴木同志)


 1月14日深夜、弁護士の鈴木達夫さんは、日赤病院で逝去されました。
 79歳でした。肺がんでした。病名の告知を受けてもびくともせず、気力に溢れて受け止めて、病と闘いました。
 闘病中も活動家弁護士の会合にも度々出席して的確に情勢を分析し、今なにをなすべきか私たちに問いかけ、討論して方針を決めました。
 1月13日までは、革命的な情熱で活動をしてきました。しかし、14日午後からは、突如、容態が急変し深夜急逝されました。巨大な穴が出現した思いです。弁護士であると共に巨大な革命家を失いました。
 1940年7月東京の下町で腕の良い旋盤工・労働者の息子として生まれ、東大工学部土木工学科を卒業して、NHKに就職、64年長崎局に赴任しました。直ちに日本放送労働組合(日放労)長崎分会に加入、67年には、激しい選挙闘争に勝利して分会委員長に選出、68年の空母エンタープライズの佐世保入港反対闘争に長崎分会反戦青年委員会を中軸とする多数の労働者を率いて、全学連との共同闘争を展開しました。ほとんどの組合員を「前進」の読者にしました。陶山健一さん著「反戦派労働運動(下)」に詳しく記されています。
 69年には、全国反戦青年委員会代表世話人となって69年、70年代、日本帝国主義と真正面から対決し、安保、沖縄を闘う反戦青年委員会闘争を領導しました。
 その後91年から弁護士活動を開始しました。直ちに動労千葉弁護団に参加、国鉄分割・民営化反対闘争で解雇された労働者の解雇撤回裁判闘争で活躍しました。自民党政権は、新自由主義攻撃である一連の「改革」のなかで「最後のかなめ」と称する「司法改革」攻撃をかけてきました。
 鈴木さんは、改憲反対勢力の砦であった日弁連を弱体化、国家機関化する新自由主義攻撃である司法改革に対して猛然と反対して「憲法と人権の日弁連をめざす会」の立ち上げに尽力し、実現しました。若手弁護士をオルグして全国的運動体の結成に尽力しました。
 いまなお、司法改革、裁判員制度反対の闘いは、一層粘り強く闘わなければなりません。この闘いは改憲阻止の闘いと不可分一体です。また、星野文昭さん解放闘争の重大な一環であった四国更生保護委員会闘争、JR東日本による強制出向の取消を要求する訴訟を先頭で闘いました。鈴木コンクリート解雇撤回闘争に参加しました。日本階級闘争の最先端で階級的労働運動を闘い抜きました。戦闘的弁護士であるとともに徹底したマルクス主義者・レーニン主義者でした。鈴木さんの死はまさに階級闘争、改憲阻止の激烈な闘争の中での革命的闘士としての戦死に他なりません。
 私たちは鈴木さんの戦友として遺志を受け継ぎ実現しなければなりません。鈴木さん、申し訳ないけれど安らかに眠っている場合ではありません。天上から叱咤激励して下さい。

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鈴木達夫同志の経歴
1940年東京都生まれ。59年に東京大学入学。64年にNHKに入社。長崎局に赴任。日放労(NHK労組)長崎分会委員長に。革命的共産主義者同盟に結集し、68年原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争の先頭に立つ。70年安保・沖縄闘争時の全国反戦青年委員会代表世話人となる。91年弁護士登録と同時に星野文昭さん再審弁護団の団長に就任。動労千葉弁護団に参加。「憲法と人権の日弁連をめざす会」立ち上げに尽力。8・15集会の呼びかけ人として、改憲・戦争阻止の闘いの先頭に立って闘う。2016年には参院選東京選挙区から立候補し1万6981票を獲得。享年79歳

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