団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3118号04面05)(2020/03/23)


団結ひろば 投稿コーナー

労働組合の団結こそ命守る
 東京西部ユニオン Y・S

 新型コロナウイルス問題で3月11日未明、WHO(世界保健機関)は「パンデミック」を宣言、そして世界的な株価大暴落が始まった。いよいよ「安倍政権にまかせていたら生きていけない」情勢だ。
 安倍は「水際対策」の失敗をも開き直って、いまや実質改憲に向けて走りだした。労働者民衆の団結こそが命を守る。行動すべき時だ。
 「緊急事態条項」強行の先は、関西生コン支部にやってきたデタラメな弾圧を拡大することしかない。しかし人の命と健康をないがしろにすることは、福島の怒り、沖縄の怒りと結ぶ全国の民衆の怒りに必ず発展する。
 強労働で健康を破壊されている労働者やその家族が、最低限の検査・治療も受けられずに重病化や死に至ることへの憤怒の深さを知るべきだ。
 恐慌への再突入で失業・倒産も拡大する。労働組合が理屈抜きに日々登場しなければならない。本当に必要な具体的施策を実行させること、現場は労働者しか守れないことを示すことが今ほど必要な時はない。
 3月14日からのJR常磐線の全線開通----この被曝強制は断じて許せない。このひどさが、コロナ問題でどこでも共有できる状況だ。自分の一日の生活の中でも、最も長い時間をともにいる労働者、事故なく働くためには死活的に協力共同する同僚と、深く団結する好機でもある。ちょっと「そりの合わない」同僚とも今度話してみるか。
 改憲阻止・安倍打倒に向かって、健康に留意しつつ団結を強化して闘っていきましょう!

小出裕章さん反原発講演会
 山梨 織田三郎

 3月1日に甲府市で、百万人署名運動、放射能から福島の子どもたちを守る山梨の会、山梨合同労働組合などの呼びかけで、「フクシマとつながろう! なくそう原発! 3・1小出裕章さん講演会」を開催しました。
 1月に宣伝を開始すると大きな反響がありましたが、2月に新型肺炎が拡大する中で山梨では3月8日の反原発集会の中止が決まり、2月27日には安倍首相による全国の小中高休校要請と一体で県立の施設の一斉休館が打ち出されました。小出さん講演会の会場は以前からの予約ということで開催はできましたが、講演会場のホームページに「3月1日から3月15日までの休館」が掲載される中、当日は自粛、休館の宣伝にもかかわらず80人の方が結集してくれました。
 「福島原発事故から9年、原子力=核と被曝、命ある者の責任」と題する講演では「核と人類は共存できない」「福島では、原発敷地内でも敷地外でも苦闘が続いている」「政府が原子力を放棄しない本当の理由は核兵器製造能力の保持のため」など、小出さんの説得力ある講演が展開されました。
 集会後、多数のアンケートが寄せられ、そこには講演への共感、安倍政権の原発政策への怒り、小出さん講演会を開催した私たちへの期待など、参加者の思いが綴(つづ)られていました。
 私たちは毎年2月に反原発集会を開催してきました。今年は「小出さんの反原発理論の説得力と知名度の高さ」「労働者民衆の中に存在する安倍政権の福島圧殺・原発護持への怒りの大きさ」、それらと結合した宣伝と組織化の闘いによって、今後の運動の拡大への出発点を築いたと思います。

大坂裁判の学習会スタート
 徳島星野救援会 T



 星野救援会の例会で、2月から大坂裁判の学習会を始めました。会員さんから、「街頭署名で、大坂さんのことをどう伝えればいいのだろうか?」と話が出たのがキッカケです。
 大坂正明さんは、星野さんと共に沖縄返還協定反対の71年11・14渋谷暴動を闘った人です。現在、東京拘置所に勾留中です。
 例会では次のような意見が出されました。
 「基地反対の沖縄ゼネストに首都で青年労働者が連帯デモしたら、46年も殺人罪の指名手配をする----こんな司法権力の乱用をやらせておいて、改憲阻止や沖縄基地反対を闘えるのか。これは自分たちや、次の世代のためでもある」「香港の『犯罪者引き渡し条例反対運動』との、国際的な連帯の意味もある」「相手側が橋下徹のようなヤツなら『46年も逃亡したことが、やってる証拠だ』とか言いかねない。なんと言い返そうか」「接見禁止はおかしい。そもそも、事実が無いのだから隠滅するブツもない。桜を見る会でシュレッダーした、あんたらとは違うぞ」「コロナと同じ。政府は頑張ってますと、言えば言うほど暴かれる」「(帯広出身と聞き)寒いんだろうなぁ」「『時節のたよりは絆をつなぐ』というし、またお手紙書きます」
 各地、各職場でもコツコツ、取り組んでいきます。

「全臨労」当該の一人として
 全臨労OB 松尾博行

 1985年の浅草橋闘争を闘った小泉義秀君の出所にあたり、彼が獄中で記した『全臨労運動小私史』をともに作成した立場から出版当時、数多く販売した記憶がある。その時買ってもらった友人から、「今回の本(『全臨労―走り続けた五〇年』)はどんな今日的意味があるの?」と質問があり、返答に窮した。
 「前進」紙上の書評の十亀さんのような表現は私には出来ない。というのも、「OB諸氏の回想誌」であり、今日的な最大公約数なのだから、当該の一人としてはそれ以上に何か言うのは難しい。
 販売支部最後の闘争の当該になった。安倍の責任逃れの言辞に似て嫌だが「悔いは残るが後悔はない」が正直な気持ちである。当時70年代後半、狭山闘争(74年高裁寺尾判決、77年最高裁上告棄却)があり、三里塚闘争は鉄塔決戦(77年)で盛り上がりをみせ、郵政では反マル生越年闘争(78〜79年)が闘われ、ストライキが日常風景としてあった時代に、総評労働運動を真っ向から否定して臨時労働者のナショナルセンターを目指した全臨労の闘いは、若き私の心をわしづかみにしたのは事実である。
 そして数十年、文字通り走り続けて感じることは、やはり革命党の問題である。どんな素晴らしい闘いも党建設抜きにはあり得ない。今、労働運動ができる党が求められて久しく、多難でもある。悔いを後悔的表現でなく糧にできる根性こそ、この時代に最も求められるものと感じている。

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