団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3120号04面04)(2020/03/30)


団結ひろば 投稿コーナー

手作りマスクで気づいた事
 横浜クーニーズショップ 高橋道子

 私たちは横浜にある共同作業所です。星野医療国賠開始にあたって3月14日に学習交流会を行いました。大坂裁判事務局からの提起があり、神奈川・星野文昭さんを取り戻す会代表の土屋さんが国賠についてわかりやすく話されました。
 学習交流会に先立ち、皆でマスクを手作りしました。教えてくれたのは定年まで病院の検査技師として働いていた方です。カラフルな模様のマイマスク作りは楽しいだけではありません。「マスクって、買うものだと思っていたけど、自分たちで作れるんだ」という気づきです。大量生産―大量消費(使い捨て)だから店頭からなくなるとパニックになったんですね。
 新型コロナウイルス感染が拡大し、この社会の矛盾と限界が目の前に迫ってくる中で、気づくこともたくさんあります。「社会を動かしているのは誰か」ということです。野本三吉さんは「社会全体が免疫力を失っていたということだね。それから、判断する力を預けてしまっていたのかもしれない。自分たちのことは自分たちで決める。学校だって、老人クラブだって、どんな小さなことも皆で話し合って、自分たちで決めていくことが重要だ」と話されました(改憲・戦争阻止神奈川実行委員会)。
 コロナ自粛が叫ばれる中、私たちは毎日作業所を開所し、食事会や学習会、協働作業を続けています。こんな時こそ、対話が大事―集う場が必要ですね。

高校生への大胆なオルグを
 高校生 K

 2019年のパリ、香港、チリなど世界中の民衆の感動的な決起に連帯し、新歓シーズンを迎えるにあたって、私は全国の「前進」読者の皆さんに高校生への大胆なオルグを行うことを提起したい。
 「前進」3106号の中央学生組織委員会論文にもあったように、新自由主義の下に生まれた現代の学生は実質的に「左傾化」しているにもかかわらず、それが現実の政党、運動と結びついていないことで、我々から彼らが、また彼らからも我々が見えていないのが現実だ。
 しかし、チリの決起が高校生によって始まり、香港で14歳の少年が警察権力に撃たれたことなどを見れば分かるように、世界では中高生が労働者や大学生に引けを取らないほど革命的に闘っている。
 また、日本でも政府と英検、ベネッセ資本が癒着した入試「改革」を、教育労働者と連帯した高校生の闘いが延期に追い込んだことは記憶に新しい。私自身、全く政治に関心がないと思っていたクラスメートから「香港のデモってカッコよくねー?」と突然聞かれて驚いたことがあるし、昨年11月の全国労働者集会には私を含め数人の高校生が全学連に交じって参加した。
 これらのことから分かることは第一に、中学・高校生は決して無力で救済される対象ではなくて、自らも労働者と肩を並べて闘うことができる革命的な存在であること。第二に、我々が彼ら彼女らと結合して2020年代の階級闘争をともに闘っていかなければならないということだ。
 特に二つ目のことについて述べるならば、現実に入試「改革」を粉砕した運動がある中、その運動に革命的理論や党が結合できなかった事実は重く受け止めなければならないだろう。
 確かに、中学生、高校生を組織するにあたっては、未成年であることで金銭面や親反動との関係性など、多くの困難がある。社民党や維新、共産党・民青や自民党も、中学・高校生を組織化できていない。
 しかし、反戦高協(高校生版全学連。1967年10・8羽田闘争で権力に虐殺された山崎博昭さんも反戦高協の出身)のような存在を再び生み出すことができた場合の日本階級闘争における前進もまた、計り知れないほど大きい。
 新歓期を迎え、拠点ごとに様々な課題ややるべきことがあるだろうが、もう一度、全国の中学生、高校生への大胆なオルグを提起して、この文を終わる。

「福島復興」イベントに反対
 長野 野原進一

 3・11反原発福島行動に参加する道中、あるポスターを目にした。「ももクロ(ももいろクローバーZ)春の一大事 楢葉・広野・浪江三町合同大会」が4月18日(土)、19日(日)にJヴィレッジで行われるとのことだ。
 ももクロは2014年には、国立競技場でのライブを女性グループとしては初めて行い、2日間で11万人を動員したり、ライブの年間動員数においては過去2度にわたり女性アーティスト1位を記録している。また、日本オリンピック委員会が企画する「がんばれ!ニッポン!全員団結プロジェクト」のスペシャル応援団員となっており、メンバー全員2020年東京オリンピックの聖火ランナーを務めることが発表されている。
 ももクロ本人たちに責任はないが、タレント事務所であるスターダストは8時間労働無視の深夜労働、児童労働、過酷なレッスンなどが問題になっており、17年2月には同じ事務所の「私立恵比寿中学」の松野莉奈さんが18歳で突然死している。また、所属タレントの脱退が後を絶たない。
 このイベントそのものが、楢葉町の臨時駅「Jヴィレッジ駅」を多くの人に使わせて常磐線全線開通をアピールし、福島原発事故をなかったことにするものである。その目的のためのタレントを使った安倍政権による被曝イベントであり、絶対に許すことはできない。
 こんなイベントをアイドルタレントを利用してまでやっている場合か? アイドルタレントも労働者である。福島復興キャンペーンに協力するようなイベント開催には断固拒否の声をあげ、労働組合をつくって団結しよう。

相模原事件の死刑判決弾劾
 医療労働者T・K

 3月16日、相模原事件の植松聖被告に対し死刑判決が下された。2016年7月、19人の津久井やまゆり園に暮らす障害者が「生産性がない」「社会の役に立たない」と一方的に決めつけられ殺された。公判を通じほとんどの被害者は名前を出せなかった。名前まで奪われたのだ。こうした優生思想は現在の新自由主義が生み出したものだ。
 「老人医療は枯れ木に水をやるようなもの」「透析医療は無駄だ」と政治家や著名人が公然と主張する。1930年代のナチスが障害者への給付によって労働者が圧迫される図を掲げ政権につき、さらにユダヤ人虐殺に先立ってT4作戦として障害者と精神病者を殺していった。それを当時の精神科医と看護師が積極的に担った。今日コロナショックでの世界恐慌の中、再びむき出しの優生思想が跋扈(ばっこ)しようとしている。だからこそ植松を死刑にしてはいけないのだ。
 だいたい植松を断罪する資格が今の司法や安倍政権にあるとでもいうのか。もともとこの津久井やまゆり園が民営化され、業務が非人間化したことが原因の一つではないか。医療労働者にとって、患者利用者と人間的に触れ合おうとしても合理化や金銭勘定を優先されてしまうのが現実だ。誰しも植松になりうるのだ。彼を死刑にすることは、この社会にとって不都合なものを排除しようとする彼の思想そのものではないか。
 警察が強制入院に関与するという精神保健福祉法の改悪(都道府県レベルで先行)など治安管理だけが先行し、優生思想や能力主義、自己責任の論理は広がっている。この間のコロナウイルスの感染拡大でますます強まっている。
 津久井やまゆり園事件を許してはいけない。しかし同時に植松を死刑にしてはいけない。コロナ感染症を乗り越える労働者の生きるための団結をつくり出し、資本主義と新自由主義を打倒しよう。

完全無農薬野菜を食べよう
 江戸川産直の会 岸上雅博

 私は、現在東京・江戸川産直の会で、三里塚の市東孝雄さん、萩原富夫さんの精魂込めた完全無農薬有機野菜の販売と配達、会員拡大をしています。年間を通して約50種類の野菜を提供しています。やりながら、市東さんの農地取り上げ反対の決戦を闘っています。
 この10年間を振り返ってみると、残念ながら会員家族の高齢化などに伴い、消費者会員が減っています。2月の定例の産直総会でも生産者から会員拡大の訴えがありました。この紙面をお借りして読者の皆さんに会員になることをお願いするとともに、お知り合いにも声をかけて頂きたい。
 江戸川区や杉並区などの直接配達圏以外の方には、宅急便配達になります。宅急便の場合、名古屋から仙台までで、野菜代含めて1セット2200円です。毎週か隔週(水曜日か土曜日)到着です。受け付けは、「ふろむあす千葉」の事務所(0478・75・2163ファックス兼用)で行っています。
 市東さんは「父の後を継いで、誇りをもって完全無農薬有機野菜を営んできた。卑劣で違法な手口で人を欺き、農地を奪うことなど許せない。どのような判決が出されようと、体の続く限り、この地で農業を続けます」と言っています。
 萩原さんは「ぜひ、私たち産直の完全無農薬有機野菜を食べて十分に栄養をつけて闘ってください」と言っています。産直の会が目指しているのは、生産者と消費者が安全な野菜を通して支えあうことです。

私たちを枠にはめないで
 東京 佐々木舜

 「『ウグイス嬢』を連呼するNHKの報道が不快」という趣旨の新聞投稿を読み、心から共感した。なぜそんな言葉を使わなければならないのか。現場のアナウンサーはどう思っているのだろう。
 首をかしげてしまう表現は社会にあふれている。特に違和感を感じるのは、「リケジョ(理系+女性)」「レキジョ(歴史+女性)」というものだ。「本来は男性の領域である分野に、(能力がないにもかかわらず)どういうわけか足を踏み入れた女性」という言外の意味が伝わってくるからだ。珍しい生き物とでも言わんばかりだ。
 しかし、ある分野の学問に興味をもって打ち込むことと、その人の性別とがどう関係するのか。「脳にも性差がある」という論は学術的な裏付けをもたない。ナチスの優生思想と縁の深い「血液型性格診断」と同じくらい悪質な働きをしかねないものだ。
 さらに最近痛感するのは、女性が他者、とりわけ男性との関係においてしか位置づけられてこなかったことだ。それは呼称にも表れている。「〇〇さんの彼女」「〇〇さんの『奥さん』」「〇〇ちゃんのママ」----といった具合に。
 パートナーをさす三人称はどうか。「旦那」「主人」「亭主」----こう呼ぶことと、夫を尊重することとはイコールではないだろう。もちろん、相手が男性であるとも限らない。
 社会が言葉をつくり、歴史がそれを変える。「異質なもの」を排除するための言葉ではなく、より多くの人と世界を共有するための言葉を選び、残したいと思う。

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