労組と住民の団結を 崩壊した医療とり戻そう 八尾北医療センター院長 末光道正さん

週刊『前進』02頁(3127号01面02)(2020/04/23)


労組と住民の団結を
 崩壊した医療とり戻そう
 八尾北医療センター院長 末光道正さん

(写真 第3波八尾市抗議闘争に立つ 4月15日、八尾市役所前での抗議行動後、デモでボードを持つ末光さん【中央】)

 医療現場は新型コロナウイルスの感染拡大と闘う最前線だ。医療を金もうけの手段におとしめる新自由主義と対決し、住民の命と健康を守ってきた大阪府の八尾北医療センターから、院長の末光道正さんの訴えと、八尾北医療センター労働組合の「新型コロナウイルスに対する見解」(一部略)を掲載します。(編集局)
 八尾北医療センターは八尾市の西郡(にしごおり)の村の中にあります。前身は、1951年に村の人たちが資材を出し合って自力でつくった西郡平和診療所です。66年に名前が変わり、幸生(こうせい)診療所になりました。70年代の後半に市営診療所建設運動が高揚しました。八尾市に八尾北医療センターを開設させたのは82年のことです。

自力で診療所建設

 46年から47年にかけて大阪で天然痘(てんねんとう)が流行しました。そのとき、ここが被差別部落だからと一般地区に感染が拡大しないよう八尾市と保健所が住民を村の外へ出さずに隔離しました。住民は、ほとんど治療も受けられずに200人が亡くなりました。大半は子どもたちでした。
 西郡の人びとは本当に悔しい思いをしました。こんなことは二度と繰り返したくないと診療所をつくり、医者も捜してきました。60年代初めの頃は、西郡の乳幼児の死亡率は全国平均の2・5倍で、平均寿命は32、33歳でした。
 私は70年安保闘争の時、京大医学部でバリケードストライキを闘っていました。そこに西郡の人びとが来て、「一緒に差別と闘ってくれる医者はいないか」と呼びかけられたのがきっかけで、西郡に来ました。そして、「ここにはロシア革命の炎が燃え続けている」と感じ、たった1年で私の人生は変わりました。74年から常勤医になりました。
 八尾市は1990年代から民営化、明け渡し裁判、倒産攻撃など、あれこれ画策して診療所をつぶそうとしてきました。しかし労働組合と地域住民が力を合わせてはね返しています。八尾北医療センターは、労働組合が医療介護の現場の全てに責任をとって、生き生きと運営しています。

医療から闘い開始

 新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)は、医療、経済を含む社会の全てが崩壊していることを突き出しました。一切の原因は、世界をのみ込んで、民営化と非正規職化を進めてきた新自由主義です。新自由主義は完全に崩壊しています。その責任を、「緊急事態宣言」で労働者階級に押しつける安倍首相や小池都知事は許せません。
 コロナショックで、世界経済は2008年のリーマンショックを超える大恐慌へと進んでいます。世界戦争の危機が迫っています。労働組合の団結で止めましょう。必ずできます。
 西郡では一番切実だった医療から闘いが始まりました。そこから仕事や住宅、保育や教育と、あらゆるもの、奪われたものを取り返してきたんです。
 新自由主義によって崩壊した医療を取り戻しましょう。保健所、国立感染症研究所、公立病院なども。何もかも奪われ、崩壊したところから、新しい社会をつくる闘いを始めましょう。
 その闘いが世界中で始まっています。国境を越えて世界の労働者と団結しましょう。私も八尾北労組の仲間と共にその先頭に立ちたいと思います。
このエントリーをはてなブックマークに追加