全国から8・6ヒロシマへ 岐路に立つ「被爆75年」 闘いの原点ひき継ごう

週刊『前進』04頁(3146号03面01)(2020/07/06)


全国から8・6ヒロシマへ
 岐路に立つ「被爆75年」
 闘いの原点ひき継ごう

(写真 昨年の8月6日朝、原爆ドーム前集会後、デモ。拡声器規制をうち破り、記念式典に出席する安倍を弾劾した)

はじめに

 「被爆75年」の節目にあたるヒロシマ―ナガサキ反戦反核闘争は、重大な岐路に立っている。松井一実・広島市長は4月9日、「コロナの影響を考え、今年の平和記念式典は大幅に縮小する」と発表。その際「目的を慰霊に絞る」と式典の性格変更に言及した。そして5月29日には「座席数を9割減らし(1万1500から880席へ)、一般市民の参列を認めない」「式典の前後は、会場の周辺も立ち入り禁止にする」と発表。しかも市民は締め出しておいて「安倍首相については、今年もお招きする」という。
 広島では河井夫妻の買収問題で自治体の首長や地方議員が次々辞職している。買収の原資1億5千万円を河井に振り込んだ事件の首謀者である安倍首相は招かれ、市民は参加できない。一体誰のため、何のための式典なのか?

式典縮小は改憲の先取り

 市長による式典縮小の措置は、実質的な改憲―「集会の自由」「言論・表現の自由」の規制につながりかねない。そもそも2018年から、市長は式典の時間帯の安倍首相への抗議を問題視し、拡声器規制条例の制定を画策してきた。しかし「かつても『言論・表現の自由』が奪われた先に戦争があった」という声が、大学人、弁護士、被爆者団体、平和団体などから次々上がり、条例は頓挫。その次の一手として繰り出したのがこの式典縮小・入場規制だからだ。緊急事態宣言下で集会中止を検討していた政府も、市長も虎視眈々(こしたんたん)と集会禁圧を狙っているのだ。

「恒久平和」外し慰霊目的に限定

 しかし市長の本当の目的は式典の中身にある。昨年度までは「原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するため」に行われてきた。目的を慰霊に限定するということは、今年から「恒久平和の祈念」(核廃絶に向けた具体的要求)を外すということだ。
 ここ数年、式典の最大の焦点は市長が読み上げる平和宣言の中身であった。3・11フクシマ後は原発に触れるかどうか、17年に核兵器禁止条約(核禁条約)が成立して以降は、日本政府に参加を迫れるかどうか――。近年核問題は国内・国際政治の焦点であり続け、「被爆地の責務」の中身が鋭く問われ続けた。特に被爆者や、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と共に核禁条約を呼びかけてきた平和首長会議(164カ国・地域、7909都市が加盟)の会長である広島市長が、安倍首相を式典に招いて真っ先に言う事は核禁条約以外にはないはずだ。しかし市長は及び腰の態度を貫き、被爆者団体や市民団体から批判され続けてきた。
 そして今年2月に米海軍が「使える核」と言われる小型核弾頭を搭載した潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を実戦配備するなど、核軍拡競争が熾烈化している中での8・6だ。アメリカ、ロシア、中国がこぞって核兵器の開発・実験・配備に乗り出す中、今年ほど明確な反核・反戦のアピールが重大な意味を持つときはない。
 そうした中で飛び出したのが「目的を慰霊に絞る」だ。結局は「核廃絶を求めない」「政府を批判しない」----これを力づくで押し通すための方便ではないか。コロナにのっかり市長が民意を無視するということだ。ただの国策追従であり地方自治の解体だ。

被爆者の決起で核廃絶に

 「核なき世界を訴えるヒロシマ」----これは最初からあった姿ではない。投下から1年後の1946年8月6日の中国新聞の見出しは「けふ(今日)ぞめぐり来ぬ平和の閃光(せんこう)」。原爆が「平和の閃光」としてたたえられている。翌47年の8月6日も、原爆を平和の象徴として描く「原爆音頭」で練り歩きが行われた。占領軍(GHQ)のプレスコードのもと、被爆者の存在は報道されず、原爆は平和をもたらした象徴として祝わされる。これが紛れもない広島の姿だった。
 核廃絶を訴える8・6が始まったのは50年からだ。同年6月に勃発した朝鮮戦争を理由に、一切の式典や集会が禁止された。朝鮮戦争でアメリカが核兵器使用を考えていたからこその禁圧だった。しかしこの禁をやぶって被爆青年がデパート屋上からビラをまき、ゲリラ集会を行った。「朝鮮戦争を核戦争にさせない」「占領軍の統制に立ち向かってでも、反戦反核を訴える」----ここから核廃絶を訴えるヒロシマが始まったのだ。
 さらに公然と核廃絶が訴えられるのは、アメリカのビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸の被爆(54年)を受け、55年に原水爆禁止(原水禁)運動が始まってからだ。そして57年の宣言で「原水爆の保有と実験を理由づける力による平和が愚かなまぼろし」と言及され、初めて宣言で明確に反核を訴えたのだ。
 このように闘いの積み重ねの末に、「核なき世界を訴えるヒロシマ」が形づくられたのだ。

新たな反戦反核運動をつくろう

 しかし今年、この原水禁世界大会が実質的中止になろうとしている。原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)と原水爆禁止日本国民会議(原水禁、旧社会党系)は、コロナを理由にオンライン開催に変更。55年の第1回大会以来、広島・長崎現地で開催し続けてきた歴史が途切れる。「これを機に原水禁運動は終わるのでは」----現地では不安の声が上がっている。
 存在を抹殺されてきた被爆者が、第1回原水禁世界大会で海外の報道陣を前に、初めて名乗りを上げた。その反響の大きさは被爆者を激励し、日本原爆被害者団体協議会(被団協)の結成に至る。被団協は(1)全ての原水爆の禁止、(2)政府の戦争責任の追及、その償いとしての被爆者医療の確立を、という二本柱で始まった。
 被団協の結成を支えた原水禁運動の主軸は、朝鮮戦争に異を唱えた総評労働運動だ。被団協と原水禁----この二つが車の両輪となった反戦反核運動の高揚が、先述した式典の内容を塗り替える根源になった。しかし、その総評の主軸であった国鉄労働運動を狙い撃ちにした国鉄分割・民営化によって、89年に総評が解散し、労資協調主義の連合が結成。これをきっかけに、街頭における民衆の政治闘争が後退したことは否定できない。いま諸外国と比べても、デモや集会が極端に少ない日本の状況がある。それを塗り替えるためにも、ヒロシマ・ナガサキに込めた、被爆者や労働者の情熱を若い世代がしっかりと引き継ぎ燃え上がらせることだ。原点に返り、階級的労働運動と新たな反戦反核運動を一つの課題としてつくり出そう!
 コロナによる自粛を突破し、全国から広島に大結集することを呼びかけます!
〔革共同広島県委員会〕

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新たな核戦争と憲法改悪をとめよう!
核廃絶の声をもっと大きく!
被爆75周年8・6ヒロシマ大行動
■8月6日(木)
午前7時15分 原爆ドーム前 8・6ヒロシマアピール集会
午前8時15分 黙とう後、安倍首相弾劾デモ
午後0時30分 8・6ヒロシマ大集会(広島県立総合体育館小アリーナ)
午後3時 ヒロシマ大行進(市内デモ)
主催/8・6ヒロシマ大行動実行委員会
関連行事
■8月5日(水)
 東区民文化センター
●産別交流集会
●分科会
 被爆体験者の証言を聞く会 午後2時~4時
 被爆伝承者の語りを聞く会 午後4時~6時
 軍都廣島の戦跡めぐり 午後2時~5時(集合場所は広島城周辺を予定。要予約)
●討論会「8・6ヒロシマと改憲」 午後6時30分~8時30分

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