九州 豪雨被害は新自由主義の人災 職員を削減、水害対策も怠る

週刊『前進』02頁(3156号02面02)(2020/08/20)


九州
 豪雨被害は新自由主義の人災
 職員を削減、水害対策も怠る


 7月上旬、九州各地はまたもや豪雨災害にみまわれました。毎年のように災害が続いていますが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大が重なり、被害はより深刻になっています。「コロナの影響で災害救助ボランティアが集まらない」などと報じられていますが、要は自治体の人員を削減して災害対応もボランティア頼みにしてきたツケが回ってきたということです。コロナも水害も、その本質は「命より金もうけ」の資本主義・新自由主義の破綻の現れです。
 安倍政権はこうした危機と破綻をも利用して改憲(自衛隊明記、緊急事態条項新設)に持ち込もうとしています。今回、自衛隊が初めて救助のみならず家屋ゴミ搬出などの生活復旧にも動員されました。災害対応の現場は、地方自治を解体し、戦争動員体制を構築しようとする日本帝国主義ブルジョアジーの改憲攻撃との一大攻防点です。
 福岡県久留米市では2012年、18年に続き、市街地での大規模な浸水被害が発生しました。「数十年に一度の降水量」を想定した大雨特別警報が3年連続で発令され、今回は約2千棟が浸水被害を受けました。ここでも問題の本質は資本主義・新自由主義の破綻にあります。
 久留米市は市内を流れる一級河川・筑後川に流れ込む支流が数多くあります。被害が集中しているのは、「平成の大合併」による周辺町村の合併(05年)以降、まともな水害対策もせずに宅地造成が進められた低地です。大雨で筑後川の水位が上昇すると、増水が支流の河川に流れ込まないように合流地点の水門が閉められます。すると支流の水が行き場を失い、あふれ出て市街地に流れ込む内水氾濫(はんらん)が発生します。本来、それを防ぐためにポンプで水を排水するのですが、この間の豪雨ではポンプの処理能力を超えた水が流れ込んだために市街地への大規模浸水が起きたと言われています。しかし、この10年間で繰り返されてきた水害に対して、ポンプの増設はほとんどなされていませんでした。
 老朽化する設備と限られた人員の中で、現場の労働者は氾濫を半ば見越して働くしかない状況を強いられています。さらに、ポンプで支流の水を筑後川に流せば筑後川が氾濫し、市内中心部が浸水することになります。根本的には大規模な遊水池を整備するしかありませんが、「平成の大合併」以降の久留米市はそれとは逆に「麻生地所」などが開発を進め、もともと蓮根堀であったような場所を宅地にしてきました。病院、消防署や警察署までこうした場所に建てられ、2年前の水害では緊急車両が水に浸かり動けないという事態まで起きました。
 許しがたいことに、安倍政権や御用マスコミは「災害が大規模化するなかでハード面の対応では限界がある」「避難情報の共有などソフト面の対応を」と、大規模水害が恒常化することを前提にしながら「自分で調べて避難しろ」と言い放っています。しかし、甚大な浸水被害が予想される全国484自治体のうち、ハザードマップを作成しているのは19年3月時点で75%にとどまる。久留米市が公表したのは道路の冠水想定のみで、肝心の市街地のマップは作成していません。マップ作成のための実地調査にも数千万円がかかり、小規模自治体では作成そのものが高い壁です。国土交通省の「有識者会議」は20年度末までにマップを公表するよう提言しましたが、予算の裏付けは何もありません。すべては労働者・地域住民の「自己責任」にされています。
 水道事業や災害復旧の現場で働く労働者は月100時間超の残業など「過労死ライン」での労働を余儀なくされています。久留米市の下水道は1994年に民営化され、極限的なコストカットで水質維持装置も壊れたまま放置されています。民営化は水害のみならず、深刻な水質汚染ももたらそうとしています。
 規制緩和による危険地区への介護施設建設が、豪雨による施設丸ごとの崩落をもたらし、国鉄分割・民営化によるJRの営利優先は鉄道事業そのものの崩壊と生活の破壊を拡大しています。黙っていたら殺される。住民の怒りの声は日増しに高まっています。民営化の破綻を突き破る労働者の決起こそ、決定的な求心力を発揮します。現場から反撃に立ち上がり、闘う労働組合をよみがえらせよう!
(福岡県労組交流センター・青木秀二)

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