団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3168号04面05)(2020/11/02)


団結ひろば 投稿コーナー

コロナ下で闘う陣形を拡大
 札幌J・S

 10月18日、札幌市教育文化会館で、「コロナ×大恐慌―大量解雇に立ち向かう!労働者集会」が開催され、30人の労働者・学生が集まりました。
 「医療労働者の闘いと連帯し、関西生コン支部を支援して闘いを拡大し、国鉄闘争を軸に新自由主義と闘う労働組合を無数につくりだそう! 11・1労働者集会に結集しよう!」という青年の開会あいさつで集会は始まりました。
 大阪の高槻医療福祉労働組合の村山裕子執行委員長が、「命を守るストライキ/新自由主義と闘う労働組合を」と題して講演し、「コロナ危機こそ労働者の出番」と訴えました。
 特別報告に立った関西生コン支部を支援する北海道の会・準備会事務局は、「支援の訴えに北海道でも反響が広がっている。北海道全体に支援運動を広げよう」と呼びかけました。
 SKさくら交通労組の仲間もコロナ下で組織拡大を実現したことを特別報告。「闘いへの反動として、会社は夏のボーナス半減、秋の燃料手当全額カットに続き、賃金制度の破壊にまで乗り出しているが、株主への配当はこっそりやっている」と弾劾した上で、「それは闘いを生み出すチャンスだ」と断言しました。
 北海道が三たびコロナ感染の拡大に入る中、今回の集会は国鉄闘争を土台にして、大阪の医療労働者の闘い、コロナを口実とした労働条件切り下げ攻撃と闘うタクシー労組、道内の関生支援運動を柱に陣形を拡大し、「ピリッとして面白い」(参加者の感想)集会としてかちとられました。
 コロナの感染拡大で医療機関のみならず、自治体もタクシーやJRなど交通・観光業も危機に陥りました。北海道の2町村では核のゴミ受け入れを迫る菅政権への怒りも高まっています。
 これまでにない成功をバネに北海道の労働者は11・1集会へ総結集します。

「私たち」を使い捨てるな!
 東京・青年A

 10月11日、首都圏の青年・学生を中心にデモ行進「ワーカーズアクションin高円寺」を行いました。高円寺駅から阿佐ケ谷駅まで、50人がハツラツとデモを打ち抜きました。
 「同世代の仲間にひびく運動をつくりたい」という思いが、この企画のスタートでした。コロナパンデミックで新自由主義のあらゆる無責任さが暴き出され、それに対して青年たちが怒りを発し始めた今、一歩踏み出したい。これまでのスタイルやスローガン、発想をいったん脇に置いて、「一番訴えたいことはなんなのか?」「どうすれば青年に届けられるのか?」、討論と街宣を重ねました。
 まず街頭で訴えてみて、「いい手応え」と「できなかったこと」「もっとできること」を発見していくプロセスの中で、自分たちが一番したいことが形になっていきました。デモ行進をやること、スローガンは「『私たち』を使い捨てるな!」に決定しました。そして迎えた当日、沿道からの反応はとても良かった。誰もがデモに注目し、ビラは吸い込まれるように受け取られていく。3カ月間の準備で培われた私たちの結束力と真剣さ、そして自己解放しているその姿が圧倒的な好反応を引き出したんだと確信しています。
 この高揚をまた地域へ、さらには職場へ持ち込みたい。労働者を使い捨てる社会を変えよう!

闘う労組の再生めざし集会
 動労西日本 元木康亮

 「改憲・労組つぶしの関西生コン支部弾圧を打ち破れ!JR西日本のコロナ便乗のボーナスカットを許すな!闘う労働組合の再生をめざす10・18広島集会」が国鉄西日本動力車労働組合(動労西日本)と広島連帯ユニオンの主催で行われた。1部は「棘(とげ)」上映と前進チャンネルの関生支部弾圧解説だった。
 2部は集会で、関生支部の武谷新吾書記次長から「原理原則で闘う労組のストライキや現場の行動が世界で展開されている。今こそチャンス。改憲、戦争する国、労組なき社会をめざす菅政権を打倒しよう」という熱いメッセージが寄せられた。
 前日の17日、ボーナス大幅カットに対するスト権を確立した動労西日本の大江照己委員長が基調報告を行った。前代未聞の弾圧と闘う関生支部と連帯して闘い、デジタル庁開設など、コロナ禍に便乗した賃下げ、首切り、大合理化をJRから全産業に進める反動政権である菅政権と闘おうと訴えた。
 広島連帯ユニオンの宮原亮執行委員長が特別報告で、ゼネコンやセメント会社が関生の産業別労働運動を恐怖する根拠や違法性についてパワーポイントで分かりやすく暴露した。フリートークの後、まとめと団結がんばろうを広大生協労組の壹貫田康博執行委員長が行い、労働者を信じ、社会を変えるための11月集会への決起を誓いあった。

危険地域に列車停止3時間
 茨城 松川裕太

 常磐線は本年3月14日、全線開通されましたが、動労水戸の闘いはますます重要になっています。10月3日の動労水戸支援共闘総会に参加し感じたことです。
 常磐線大野駅と双葉駅の間では放射線量が5倍にまで上がります。大野駅前は街全体が鉄柵でおおわれ、下車する人はいません。駅周辺の国道は、毎時20㍃シーベルト以上の場所もあります。「自転車、歩行者通行止め」の看板があり、自由に街を歩くこともできない。
 9月10日には大野〜双葉駅間でイノシシに激突した電車が3時間、線路上で停止しました。乗客は3人でした。高放射線地域にとり残されました。毎日、特急列車3本、普通列車11本を走らせ、運転手と乗務員と乗客を被曝の危険にさらす意味があるでしょうか。
 常磐線全線開通は、原発事故を「終わったこと」にするための「復興の演出」です。4万人を超える被災者への補償を打ち切るため。123万立方㍍のトリチウム汚染水の海洋放出を決定するため。そして、東海第二原発再稼働、高速増殖炉「常陽」再稼働につなげるためです。
 2019年9・22水戸集会から、医師や牧師、県民投票グループなど、闘いの新たな輪が広がっています。常磐線沿線の住民グループは独自の列車内放射線量測定を始めています。
 動労水戸支援は、自分の職場で労働運動や反原発に取り組むことと一体です。支援の出発点は職場です。動労千葉・動労水戸--動労総連合とともに原発阻止、戦争反対、労働者の社会をつくろう。

杉山実同志を追悼する
 革共同東京南部地区委員会

 杉山実同志は、労働者解放・革命人生を貫いた。誰もが知っているが、いつのデモでも「なんぶユニオン」ののぼりを掲げて先頭に立っていた。杉山同志は8月28日未明に、倒れて帰らぬ人となった。突然の病死だった。享年75。
 苦労人の杉山同志は、中学を卒業し夜間高校に通いながら日本経済新聞の文選業務の仕事に就いた。勉強家で、高校卒業後、慶応大学の通信教育の門をくぐった。当時の大学は70年安保・沖縄闘争の息吹が残っていた。何人かの仲間と闘争に加わっていき、革共同への結集につながった。
 その後、新聞・印刷業務のコンピューター的転換があり、文選業務から一転して仕事場の隅に追いやられた。労働者の置かれた位置を一気に肌身で感じて党への結集に進んでいった。仕事場の環境にも負けず、定年まで勤め上げた。
 杉山同志は、何よりも労働者・労働現場を大事にした。毎日毎日、ユニオン事務所を拠点に活動し、曲がったことには異議ありと大声を上げる。そんな杉山同志の存在が、いつも地区全体を引き締めた。
 杉山同志の闘争フィールドは広く、星野闘争を地区の先頭に立ってリードした。部落解放闘争も地区の代表として闘い抜いた。
 街宣での杉山同志は今も語り継がれている。資本主義社会への怒りが体中に蓄積され、街頭で解き放たれる。杉山同志の本領発揮である。その名物アジテーションから、青年労働者の結集を勝ち取った。
 今でもユニオン事務所の椅子に座って「もっと労働者と一体となって闘え」と怒鳴っている杉山同志がいるような気がする。簡素な生活で活動し、残った財政は闘争に注いだ。革命・労働者階級の勝利のために全人生を惜しみなく注ぎ切った。本当に命の限り闘って倒れた。壮絶だが杉山同志らしい革命家人生だった。
 11・1労働者集会で、空を見上げて、杉山同志の参加を確認します。最後に杉山同志の家族の皆さんに深くお礼を申し上げます。

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