米軍機から子どもの命守ろう チーム緑ヶ丘と熱く連帯 改憲阻止!大行進 東京―沖縄結び集会

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週刊『前進』04頁(3175号03面01)(2020/12/21)


米軍機から子どもの命守ろう
 チーム緑ヶ丘と熱く連帯
 改憲阻止!大行進 東京―沖縄結び集会

(写真 東京と沖縄をオンラインで結んだ交流集会。沖縄のお母さんたちの訴えに聞き入る【12月7日 東京・文京区民センター】)

(写真 最後にお互いに手を振って励まし合った)


 沖縄・緑ケ丘保育園で2017年に米軍ヘリ部品落下事故があった3年目の12月7日、「チーム緑ケ丘1207」の皆さんとのリモート交流集会を沖縄と東京の会場を結んで開催しました。東京の会場には90人が集まりました。
 緑ケ丘の皆さんの闘いをなんとか支援したい、連帯を広げたいという思いがありました。それで、改憲・戦争阻止!大行進実行委員会の7月の呼びかけ人会議で話し合い、取り組みを決めて支援プロジェクトを立ち上げ、DVDの販売活動などを進めてきました。
 最初に、大行進事務局の川添順一さんがこの企画に至る経過と目的を説明し、緑ケ丘の皆さんが作成したビデオを視聴しました。政府要請行動の場面で政府側の「米軍は、当該機の部品はそろっている(のでヘリからの落下ではない)と言っている」「(風向きなどで)飛行ルートをはずれても、直ちに違反とは言えない」などの不誠実な返答に会場から怒りの声があがりました。お母さんが「私たちは命の話をしています!」「東京の子どもと沖縄の子どもの命の重さは違うのですか!」と抗議する姿に涙する方もいました。

沖縄の母親が訴え

 ビデオ上映後、沖縄と映像がつながり、神谷武宏園長と2人のお母さんが映し出されました。まず、神谷さんがパワーポイントを使って30分余りの講演をして下さいました。
 子どもたちの水遊びや泥んこ遊びの元気な様子など、保育園の日常の取り組みについて。事故当時の緊迫した状況、誹謗(ひぼう)中傷があったこと、要請署名活動に立ち上がったことなど。また、普天間飛行場が造られた経緯と宜野湾市の形成などを詳細に話されました。子どもから「なんでお空から落ちてくるの?」と尋ねられたことを紹介しながら、「大人たちがどう答えればよいのでしょうか?」という神谷さんの投げかけは、会場に重く響きました。集会当日の午後3時38分に撮影されたばかりの映像もあり、部屋にいる子どもたちが上空を飛ぶF15戦闘機の大爆音におびえて両手で耳をふさいでいる姿を見ました。
 そのあと、2人のお母さんが思いを語ってくれました。「当時は怖さ、怒り、もどかしさで涙も。状況はもっとひどくなっている。私たちの声は届いているのか。子どもの命と環境の問題を訴えているのに」「当時を思い出すと体は震え、涙が止まらない。当時は行かないでと泣いていた娘が今は『がんばってね』と送り出してくれ、子どもにとって大切な3年間が過ぎてきたが、その時間を削って(親が)動いてきた。子どもが毎日危険にさらされるから、親も動かざるを得ない」などの言葉に、会場には共感が広がりました。

本土で運動拡大を

 続いて、婦民全国協の鶴田ひさ子さんの司会で沖縄へのインタビューが行われました。保育園が地域に根付いていること。基地の問題を話し合うことを避けがちな現状の中で、気軽に語りあえる場として「ことりフェス」を企画したところ、「子どもの命の問題だから」とたくさんの方が集まってくれたこと。生まれも育ちも宜野湾なので基地があるのは当たり前だったが、事故をきっかけに「こんな危険な所に住んでいたんだ」と、「魔法が解けるように、意識や価値観が一変した」と話してくれました。
 会場の参加者も、スクリーンに向かって発言に立ちました。「羽田新ルート絶対反対!大井町周辺住民の会」の代表と女性2人は、「羽田低空ルート直下の約60の保育園を手分けして回り、ビラを配った。共感は広がると思う。同じ思いで取り組みたい」と話しました。
 三多摩で市民上映会に取り組む男性2人は「(沖縄DVD上映会の)チラシを幼保に届けて話をするが、なかなか魔法は解けない。横田基地もひどいが、沖縄は特別だと認識し直した。緑ケ丘に学び、自分の立っている場でやれることをやりたい」と話しました。
 わたし船木明貴は、「子どもたちを大切に育む保育園の日常と、それを支える地域の思いがお母さんたちの背中を押したのでは。命が大事と言うお母さんたちの訴えが共感、共有の原点。緑ケ丘保育園の子どもたちの命を守れと今後も叫んでいく」と連帯を表明しました。
 まとめとして、大行進神奈川呼びかけ人の野本三吉さんが発言しました。「当事者として声をあげ続けることの大事さ。沖縄に14年間いて、教員をやっていた。2004年の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故は衝撃だった。県民のお金で宮森小学校事故の映画『ひまわり 〜沖縄、あの日の空を忘れない〜』も作った。そうした思いと歴史が緑ケ丘の皆さんの闘いにつながっていると感じた。きょうの講演とお話はとても感動した。子どもたちの命を守るために、沖縄と本土が一つになって取り組もう」と力強く語りました。
 最後に、神谷園長が「保育園上空はますますひどくなっているが、関心を持ってくれる方が増え、その人たちとつながることが力になると感じている。皆さんが立っているところから考え、一緒に行動していけたらと思う。命の問題なので必ず現状は変えられる」と話されました。お母さんたちも「ユーチューブで講演会を配信するようにしました。『チーム緑ケ丘1207更新中』というチャンネルです。ぜひご覧下さい」と訴え、熱いエール交換と感動のうちに閉会しました。 (改憲・戦争阻止!大行進神奈川・船木明貴)

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▼宮森小学校事故 1959年6月30日、旧石川市(現うるま市石川)の宮森小学校に米軍嘉手納基地所属のジェット戦闘機が墜落し、児童12人、住民6人の計18人が死亡し、210人が重軽傷を負った事故。

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