全基地撤去へ不屈の闘い続く沖縄 命を脅かす米軍に抗議殺到

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週刊『前進』04頁(3192号03面01)(2021/04/26)


全基地撤去へ不屈の闘い続く沖縄
 命を脅かす米軍に抗議殺到

(写真 市街地の中に居座るように存在する米軍普天間基地)
【主な米軍施設】 ①北部訓練場②伊江島補助飛行場③辺野古弾薬庫④キャンプ・シュワブ⑤キャンプ・ハンセン⑥嘉手納弾薬庫地区⑦キャンプ・コートニー⑧キャンプ・マクトリアス⑨キャンプ・シールズ⑩トリイ通信施設⑪嘉手納飛行場⑫キャンプ桑江⑬キャンプ瑞慶覧⑭ホワイト・ビーチ地区⑮普天間飛行場⑯キャンプ・キンザー⑰那覇港湾施設


 この間、米中対立の激化を背景に在日米軍の動きが一変し、沖縄の基地周辺住民の生活環境は急激に悪化している。特に普天間基地や嘉手納基地では、F15戦闘機やF35Bステルス戦闘機などの外来機がかつてなく頻繁に飛来し、ジェット機の轟音(ごうおん)や昼夜を問わないタッチ・アンド・ゴーなどの危険な訓練が人々の生活を脅かしている。深刻化する基地被害に苦情や抗議が殺到し、裁判闘争も拡大している。

対中戦争想定し訓練激増

 住宅地上空での米軍機の低空飛行や米兵の降下訓練など、住民の命と生活を脅かす危険な訓練が急増した背景には、中国との戦争を想定した「遠征前方基地作戦(EABO)」と呼ばれる米海兵隊の新たな作戦構想がある。この作戦では、海兵隊がいくつかの小部隊に分かれて一斉に複数の離島を占拠し、中国側からの攻撃目標を分散させつつ、ミサイルやセンサーを配備したり戦闘機の出撃・補給拠点を構築したりする。作戦の主力を担うのは普天間基地所属の海兵隊とみられる。
 伊江島補助飛行場では、このEABOの遂行を想定した訓練が3月8〜20日に行われ、普天間基地に飛来したF35Bもこれに参加したとみられる。同じ訓練が4月12日からも始まり、27日まで続けられる予定だ。12日は1996年に当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が共同会見で「5〜7年以内の普天間基地返還」を発表してからちょうど25年となる日だったが、この日も岩国基地(山口県岩国市)からEABO訓練のために飛来したFA18戦闘攻撃機4機が、普天間基地で6年ぶりとなる急停止訓練を行った。
 騒音被害もこの1年間で急増している。宜野湾市に寄せられた米軍基地への苦情の件数は、20年度は過去最多の759件(前年度比約1・5倍)。ジェット機などの轟音に加え、毎日午前8時に日米両国の国歌が大音量で流され、「心身ともにおかしくなりそう」といった苦情が殺到している。また沖縄防衛局の目視確認によると、20年度の米軍機の離着陸回数も2月時点で過去最多の1万6883回、特に2月の1カ月間だけで1889回と前年同月比約47%もの大幅増となった。普天間基地の歴史を振り返っても異常な増え方と言える。
 嘉手納基地では3月22日、横田基地(東京都福生市)から飛来したとみられる米空軍CV22オスプレイによる兵士の降下訓練が初めて確認された。住宅地の真上を旋回し100デシベル近い騒音を長時間発生させたことにも苦情が殺到。嘉手納町議会は24日、「基地運用は町民の受忍限度をはるかに超えており断じて容認できず、強い憤りを禁じ得ない」とする抗議決議と意見書を全会一致で可決した。戦闘機の爆音に対しても「町民の怒りは頂点に達しつつある」と指摘した。

爆音訴訟原告は過去最多

 急速に悪化する基地周辺の状況に、住民の憤激とやむにやまれぬ闘いが広がっている。普天間基地の騒音差し止めと損害賠償を求める「第3次普天間爆音訴訟」では、3月25日の追加提訴で1166人が新たに原告に加わり、原告数は過去最多の5347人となった。昨年12月に4182人が提訴した時点で原告の過半数が40代以下で、子育て世代の人が特に多いという。72年の本土「復帰」後に生まれ、基地があることを当然のように思わされてきた世代にとっても、ますます深刻化する普天間基地の騒音や危険な訓練をこれ以上は受忍できないという切実な声が広がっている。
 私たちは宜野湾市を訪れ、普天間基地の近隣住民にお話を伺った。
 「最近は普天間に常駐するヘリ以外に、外来のジェット機の飛行が増えています。朝夕だけでなく夜のタッチ・アンド・ゴーも多くなったと感じます」

子どもたちの未来のため声を上げる

 この日の午後は幸い、米軍機の飛行もほとんど確認されず、鳥のさえずりが聞こえるほど静穏だった。「いつもこれくらい静かだったら、どんなにいいかと思います」。ジェット機の爆音は100デシベルを超えることもあり、耳が痛くなるほどすさまじいという。最近の米軍機の飛行回数や訓練の異常な増加には、周囲の人々も不安を募らせているが、米軍からは何の説明もない。「戦闘機を本土の基地に移駐させても、米軍の勝手な都合でいつでも普天間基地に飛来する。これでは何一つ『負担軽減』になっていませんね」
 2017年12月には近隣の保育園と小学校に相次いで米軍機の部品が落下し、多くの住民が戦慄(せんりつ)した。第3次普天間爆音訴訟に多くの人々が名を連ねたのも、これ以上黙ってはいられないという切実な住民の思いを反映している。
 「私たちの世代だけでなく子どもたちの未来のためにも、今声を上げなければと思います」----近隣に住む女性は決意を込めてそう語った。

なぜ沖縄に基地があるのか

 なぜ沖縄には米軍基地があるのか(図)。基地周辺の住民が騒音や事故などの被害を訴えると、自民党のネット工作班などが意図的に流すデマ情報をもとに、「基地の周りに住む方が悪い」といった悪意に満ちたバッシングが扇動される。だが、こうした主張は沖縄の歴史を無視した暴論以外のなにものでもない。住民が自ら望んで基地の周りに住み始めたのではなく、元々そこで生活していた住民から土地を奪って基地がつくられたのであり、人々はやむなくその周囲に住むほかなかったのである。
 第2次大戦末期、沖縄に配備された日本軍(第32軍)は、米軍の本土上陸を遅らせるための「捨て石」として沖縄を位置づけ、凄惨(せいさん)な地上戦に住民を動員した上、「集団自決」(集団強制死)などで県民の4人に1人を死に至らしめた。生き残った人々が米軍の収容施設から出ると、すでに多くの土地が米軍に接収されていた。現在普天間基地となっている場所もかつては役場や学校、雑貨店などが並ぶ宜野湾村の中心部だったが、沖縄戦の過程で接収された。
 さらに、1950年の朝鮮戦争勃発を前後して、米軍は沖縄を「太平洋の要石(キーストーン)」と呼び、島全体を軍事要塞(ようさい)化するため「銃剣とブルドーザー」による土地の強制収用を開始。昼夜を問わず武装した米兵が襲いかかり、暴行、脅迫、逮捕・連行、家屋や農作物を焼き払うなどして、有無を言わさず土地を強奪した。
 現在、沖縄には31の米軍専用施設があり、総面積は沖縄本島の約15%を占める1万8609㌶。国土面積の0・6%しかない沖縄県に、在日米軍専用施設の70・6%が集中する。海と空にも広大な米軍専用区域が広がる。また本土の米軍施設・区域の約87%が国有地なのに対し、沖縄は民有地が39・6%、県・市町村有地が37・1%で国有地は23・3%にすぎない。
 これらの広大な米軍用地のうち、住民の意思を尊重した正当な手続きによって取得された土地など一坪たりとも存在しない。

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