団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3210号04面04)(2021/09/13)


団結ひろば 投稿コーナー

缶コーヒーより安いコメ?!
 群馬 田島俊昭

 群馬は稲刈りが遅いのですが、全国では仮渡し金が始まりました。最高人気の新潟県「魚沼コシヒカリ」が昨年の減額を回復できずに60㌔1万6500円。「新潟コシ」13%下落。大嘗祭米の「とちぎの星」41%暴落。「千葉ふさこがね」は45%下落の6000円でした。コメ1㌔が缶コーヒーより安いのか!
 「仮渡し金」とは、農協に委託販売した農家に、出荷の際に支払われる前渡し金で、農協によって価格差がありますが、7年前の暴落時には最終価格が仮渡し金に届かず、返金させられた地域もありました。
 暴落要因は、コメの輸入(毎年77万㌧。群馬・神奈川・茨城・栃木の総量)と、コロナで増加した在庫。でも、金額にすればオスプレイ十数機分。輸入米を市場から切り離し、政府が買い取って困窮対策に活用すればいいのです。
 「前進」2913号(2018年2月5日付)で「日帝・農水省はコメの生産コストを60㌔あたり9600円まで引き下げようとしている。現在の1万6千円水準から4割もの削減である。現在でも生きられない状態にある農民が離農に追い込まれるのは必至だ」と訴えたとおり、最近の「農林業センサス」によれば、農業を主な事業とする農業従事者は136万1千人。多くの中小農家が離農し、耕作面積10㌶以上の農業経営体が全国の耕地の約56%を占めています。
 コメ暴落は農民への攻撃であり、労農分断の攻撃であり、労働者への賃下げと一体の大攻撃です。労農連帯を強め、10・3三里塚―11・7労働者集会で反撃しよう!

コロナ解雇撤回裁判を傍聴
 徳島 西山かえで

 9月1日、タクシー乗り場指導員のコロナ解雇撤回第1回裁判に参加しました。
 徳島地裁には、平日の午前中でしたが徳島合同労組、星野救援会など支援する会の仲間が集まりました。「コロナ解雇撤回!」とみんなで手作りした横断幕を掲げて入場しました。なんと経営側は欠席です。おじけづいた姿で初めから敗北している感じでした。
 法廷では、本人意見陳述が堂々と響きました。タクシー乗り場の公共交通の安全を守ること。非正規職の無期転換の権利までコロナを口実に破壊しようとする攻撃に絶対反対で闘う決意が述べられました。
 職場でも、コロナ補償が全く給付されない現実に怒りがふくらんでいます。
 「若手官僚も富士そばも、給付金をネコババしとる」「流しそうめんやっとるんとちゃうんぞ。経営者が上の方で取り込んでしまったら、下の方には1本も流れてこない。ワシらは箸とお椀もって、つっ立とっるだけか? これでどうやって生活しろちゅうんか」と話しているそうです。
 自分の解雇撤回だけでなく、労働者全体の権利を守るために階級的労働組合の旗を立てようと争議に入った決意に感動しました。これからも共に闘います。

二田同志の遺志継ぎ革命へ
 革命的共産主義者同盟埼玉県委員会

 5月9日、二田譲(にだ・ゆずる)同志が誤嚥(ごえん)性肺炎のため逝去されました。
 7月25日、教育労働運動、部落解放運動を共に闘った方々が発起人となって「偲ぶ会」を行い、在りし日の二田さんに思いをはせました。今は星野文昭さんや奥深山幸男さんと共に群馬県・安養院にて安らかに眠っています。
 二田同志は、1950年7月に長崎県で生まれ、高校生のときに「人生を変える」佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争を経験。1970年法政大学法学部に入学。法学部反戦会議のメンバーとして70年安保闘争の最前線で闘いました。
 1974年、埼玉県立玉川工業高校に事務職として赴任し、埼玉高教組の一員として「日の丸・君が代」の強制に反対。沖縄国体の半年前にあたる1987年3月の卒業式で高教組分会長として「日の丸」を引きずり下ろしました。
 また、狭山闘争を先頭で闘う中から埼玉県内における同和教育の研究団体に関わり、被差別部落の子どもたちと向き合う実践を進めました。当時、被差別部落の青年の仕事保障として「調理師学級」の取り組みが始まり、二田さんは講師団の一人として教育実践の現場に身を置きます。
 学校現場で人事評価制度が開始されると、2010年8月、音楽教員とともに埼玉県教育委員会を相手に裁判を起こして人事評価制度の不当性を訴え、また晩年は、労組交流センター首都圏教労部会とさいたまユニオンがともに闘った新採教員解雇撤回闘争の事務局長として、新自由主義教育と最前線で闘った人生でした。
 死の直前まで党文献を耽読(たんどく)し、県党の同志に革命の実現を訴え続けました。生徒を愛し、人間を愛し、人間解放のために常に先頭で闘った二田同志の遺志を引き継ぎ、埼玉県党は日本革命―世界革命を必ずや実現します。

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