新自由主義は終末期の暴走資本主義 高山俊吉弁護士 学習講座で講演

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週刊『前進』04頁(3217号04面03)(2021/11/01)


新自由主義は終末期の暴走資本主義
 高山俊吉弁護士
 学習講座で講演

(写真 講演する高山俊吉弁護士)


 10月18日、東京・中央区月島で改憲・戦争阻止!大行進主催の第2回学習講座が30人の参加で開かれた。大行進呼びかけ人の高山俊吉弁護士が「新自由主義とは―なぜ欺瞞(ぎまん)の論が登場するのか―」と題して講演、それを受けて熱心な討論が行われた。
 今日、新自由主義の破産があらわとなり、自民党・岸田や支配階級すら「転換」「新しい資本主義」などと口にせざるを得なくなっている。ところが、労働者人民の怒りを資本主義打倒=プロレタリア革命に向かわせないために、実にインチキな、まやかしの議論が横行している。この状況を打ち破るために、新自由主義とは何か、その本質、歴史的位置をあらためてはっきりさせ闘いの方向性を明確にしようと、今回の学習講座が開かれた。
 高山弁護士は1時間に及ぶ講演で、18世紀から現在に至る資本主義の歴史を概観し、おおよそ次のような内容を提起した。
 工場法が作られる以前の18〜19世紀の「自由主義」の時代は、ブルジョアジーが勝手気ままに労働者を搾取した時代であった。その資本主義をマルクスは「ブルジョアジーは、宗教的・政治的な幻想で覆われた搾取の代わりに、公然たる、厚かましい、直接のむき出しの搾取をおいた」(『共産党宣言』)と弾劾した。これは今も資本主義の核心をつく批判である。
 その後、労働者の闘いが前進し、非人間的処遇の一定の改善を実現した。そして1917年のロシア革命は全世界の労働者階級を鼓舞した。震え上がった支配階級は、プロレタリア革命の予防・圧殺を自身の行動決定の重要な基準とせざるを得なくなった。
 1929年の世界大恐慌後、アメリカはニューディール政策をとったが、これは革命に恐怖する支配階級が労働者に一定程度譲歩しつつ、あくまでも搾取を貫徹するやり方であった。
 第2次大戦後も全世界の革命情勢の中でニューディール的な「福祉国家」政策が継続されたが、74〜75年の世界恐慌で資本主義は決定的な危機に直面した。資本は「そこそこの利益を福祉に回す」ことも困難になり、「直接のむき出しの搾取」に突き進む以外になくなった。50年間に及ぶ革命予防策をかなぐり捨て、暴走資本主義となった。これが新自由主義である。
 資本家階級は、労働者と労働組合に対する根底的な攻撃を開始した。それが1980年代の英サッチャー、米レーガンの攻撃であり、中曽根の労働運動破壊、国鉄分割・民営化攻撃だった。まさに新自由主義とは、「追い込まれた裸の資本主義」であり、「搾取する側が極限まで追い詰められて打ち出した帝国主義国策」である。
 ところが、立憲民主党・枝野や共産党・志位などは「新自由主義からの転換」と言って政策レベルの問題に切り縮め、資本主義が最終段階を迎えていることを否定し、資本主義の延命に手を貸している。資本主義が終末期に立ち至っていることをあいまいにするすべての言説を私たちはきっぱり拒否する必要がある。
 結論として新自由主義は①搾取の完全な自由化を志向するもの、②自己責任と競争原理を強調し人間の社会的結合の破壊を志向するもの、③労働者の団結を認めず究極の非正規職化を志向するもの----である。
 これに対する私たちの闘いは、①「生きさせろ」の闘い、②人間を回復する闘い、③社会を根底から変える闘い----以外にはない。
 以上のように提起した高山弁護士は、締めくくりに「日本でも戦後革命期のように、労働者階級は団結してすごい闘いを実現する力を持っている。その力を確信して闘おう。闘いの伝統を守ろう」「権力は社会変革を闘う人々を根底から恐れている。もっともっと恐れられる存在になろう」と訴え、11・7労働者集会への大結集を呼びかけた。
 講演後の討論では、参加者からも「新自由主義の核心は労働運動破壊というとらえ方が重要」という意見が出されるなど、11・7労働者集会へ、闘いの意欲がみなぎった。大行進運動の学習講座は重要な課題に鋭く切り込む学習の場だ。積極的に参加しよう。

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