団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3221号04面04)(2021/11/29)


団結ひろば 投稿コーナー

11月労働者集会に参加して

革命の時代実感軍事研究と闘う
 岡山大学 丹野 翠

 こんなにも同志がいるのか。会場に入場した途端、仲間の多さに驚くとともに勇気が湧いてきた。
 各労組や全学連からの報告で明らかになったことは会社・大学・社会の矛盾である。当局からの不当処分や理不尽な攻撃の実態に嫌気が差した。ただ同時に、その弾圧は私たちに社会を引っくり返す力があることを裏付けている。労組潰しや自治会潰しの目的は戦争動員であり、絶対に許すことはできない。
 岡山大学では2015年から軍事研究を繰り返し、最高学府が国策大学に成り果てている。当局は民生技術だと主張するが、マッハ7・0の飛行物体研究の一体どこが民生技術なのか。防衛省が軍事に利用できると判断するからカネが動くのだ。科学者がカネにつられて戦争協力をするという構図は世界大戦期となんら変わらない。大学こそ、カネを出さない政府や、そもそもカネがないと研究さえできないような資本主義社会に異を唱えるべきである。今すぐ大学の軍事研究を中止させなければならない。この思いを強くした。
 この度のコロナ・ショックで一層、資本主義経済が立ち行かなくなっており、もはや戦争でしか彼ら資本家階級・支配階級は延命できない。だがその戦争は私たち労働者・学生の犠牲の上に成り立つものである。無意味な戦争を推し進め、犠牲を強いる岸田政権を直ちに打倒しよう。
 コロナによって労働者・学生はこれまでにない不平不満を抱いている。今こそ革命の時代だ。全世界に運動を波及させ、労働者・学生が団結して闘おう。

60年ぶりに上京人々の真剣な顔
 星野救援会 Y

 11月7日、小春日和の穏やかな日、80歳にして初めて飛行機という物に乗り東京に60年ぶりに行ってきました。かつて、マグロ船団で水揚げに行って以来のこと、懐かしかったです。 東京・日比谷野外音楽堂は満席状態。二十歳(はたち)から八十路(やそじ)の世代が、全国から、北は北海道、南は沖縄より一堂に会しました。
 労働組合の組合員、支援団体、協賛者、民主団体等々多くの人々の熱気のこもった発表、それに呼応する人々の真剣な顔、顔、顔。演壇で話されるあいさつ、報告を一言も聞き逃すまいと集中している姿が、壇上から横断幕をもっていると肌にひしひしと感じられ、東京に来てよかった。
 タクシー運転手の状況は、全国各地でその土地土地でいろいろと問題を抱えていて、労働条件は良くない、改善闘争は厳しいと報告されました。国際連帯で、滞日・在日外国人労働者からの訴えもありました。全員によるシュプレヒコール、銀座、東京駅までデモ行進。翌日は東京拘置所の大坂正明さんに差し入れをしてきました。小さな声も、集まれば大きな声になります。ガンバロウ!

7月に決意をし11月で確信もつ
 千葉 山中 久

 今回初めて参加しました。本当に参加して良かった。
 「改憲・戦争阻止大運動の発展を」として、改憲・戦争阻止!大行進の呼びかけ人である高山俊吉さんを始めとして、各地の運動地点を抱える横田、木更津、広島、福島、沖縄から一斉に壇上に上がりました。
 それぞれが各地で抱える問題、闘争・運動は様々です。しかし、改憲・戦争阻止の気持ちは一つです。そのことは、壇上のマイクの前に立った全ての人々の言葉、にじみ出る意志によって示されたと言えます。
 労働者の集会で、このような運動の団体が壇上に上がるのは何故か。それは、実際に戦争になれば、実際に人を殺(あや)めるのは軍服を着た労働者たちであり、軍服を着ていない労働者が日を追うごとに軍服を着せられ、着ないままでも加担させられるからです。
 それは、日本にこれから血の流れる可能性のあることであり、現在のミャンマーでもあります。
 集会でミャンマー連帯決議が行われたように、今回の集会では「改憲・戦争阻止」と「国際連帯」が掲げられていました。
 ミャンマーでは現在、国軍に対する労働者民衆の決死の闘いが続いています。その力の源には、市民運動と労働運動の融合がありました。
 自分は元々、革命的共産主義者同盟の支持者でした。ですが、自分が実際に戦うことはありませんでした。闘う勇気も覚悟も無かったからです。自分がそれをようやく持てたのは、2021年7月になってのことでした。
 闘う人々の姿を目の当たりにして、自らも戦う覚悟を決め、そして日比谷野外音楽堂の空気に触れ、これから自分が進むことになる道は、間違ってなどいないのだと、確信が持てました。7月が決意を持てた月だとすれば、11月は確信を持てた月だと、私事ですが、思っています。
 改憲・戦争阻止! そして、労働運動の変革をさらに目指していこう!

星野・沖縄・反戦で統一行動
 日教組香川三観地区教職員組合前委員長 須藤角一

 11月14日、沖縄返還協定批准阻止闘争から50年。中四国統一行動として、高松市内で香川連帯ユニオン、日教組香川三観地区教職員組合の仲間が11・28全国集会の呼びかけと星野文昭さんの国家賠償請求訴訟勝利の署名活動を行った。
 50年前の1971年11月14日、佐藤政権は一切の集会・デモを禁止し、渋谷の街を1万2千人の機動隊で弾圧し、戒厳令のような状況をつくった。同年の5月19日、11月10日の沖縄全島ゼネストに固く連帯して「核も基地もない沖縄」を願い、「沖縄返還協定」の批准に反対し、沖縄の労働者階級と共に渋谷闘争を闘った星野文昭さん。「人間が人間らしく生きられる社会」を目指した星野さんの思いと闘いに1ミリでも近づきたいと思い、私たちはこの日の行動に立った。
 さらに同日、善通寺市内にある善通寺駐屯地に「陸上自衛隊演習の中止」を求める申し入れを行った。9月15日から11月下旬まで、陸自の全部隊を対象とした大演習が行われている。陸自14万人のうち10万人が九州地域に結集し、中国侵略戦争の準備に入った。自衛隊は9月から米、英、仏、豪、印などとの合同軍事演習を沖縄近海で繰り返している。
 「闘いの現場はどこにあるのか? ここにある。闘う労働組合、その人たちと連帯する多くの人の心の内にある」----11・7全国労働者集会での高山俊吉弁護士の言葉を思い出した。「生きさせろ」、人間を回復する闘い、社会を根底から変える闘い以外にない。
 大事なことは、労働者は団結し、その団結形態である「労働組合」をつくることである。労働者の国際連帯で戦争を阻止しよう。

原子力・化石燃料ムラ許さぬ
 迎賓館・横田爆取弾圧裁判元被告 福嶋昌男

 今年の夏は、カリフォルニア州のディスバレーで54・4℃という信じられない熱波を記録したり、ほとんどが北極圏のグリーンランドで観測史上初めて雪でなく雨が降るという事態がありました。このように気候変動・気候危機は全世界で深刻化しています。このような中でCOP26(国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議)も開催されましたが、そもそも日本政府の対応はどうでしょうか?
 日本政府は10月22日、「第6次エネルギー基本計画」を閣議決定しました。それによれば、2030年度における日本の電源構成プランは、石油・石炭などの化石燃料が約4割、原子力が20〜22%、太陽光・風力などの再生可能エネルギーが36〜38%です。これは、他の帝国主義諸国と比べても、化石燃料と原子力の比率が著しく高く、そして再生可能エネルギーの比率がきわだって低いことにおいてきわめて特徴的です。理由は簡単です。つまり、とくに日本では原発を推進する利益集団と、石炭火力発電を推進する利益集団がまったく同一の大企業だからです。これを「原子力・化石燃料ムラ」と名付けている人もいます。
 日本政府は、そうした大企業を強力に利益誘導しつつ、原発を独自の核武装の基盤として維持・推進しています。ですから、私たちが全世界で気候危機に立ち向かっている人々と連帯していく場合、「日本帝国主義打倒・プロレタリア革命」として闘い抜いていくことが大切だと思います。

『やさしい猫』を読んで思う
 東京 鈴木健一

 この東京で、「家族3人で暮らしたい」というささやかな願いを実現することが、あまりにも困難で、幾多の試練をくぐり抜けねばならない人々がいることを思い知らされました。
 たとえば、母国でなく日本でしか生きられない外国人が、出会った日本人を愛し結婚することを、入管当局は偽装結婚・結婚詐欺と決めつける様を『やさしい猫』は克明に描きだしています。愛するが故に一時身を引くことを「偽装」と捉え、突然、病気にかかったので金銭の援助をしたことを「打算による結婚」としか判断しないのです。彼らは、信頼関係を金銭関係に置き換えてしまうのです。
 家族3人が弁護士の協力を得て、7年間愛を育んできたことの証拠をてこに裁判に臨み、検察官の卑劣な妨害を一つひとつ打ち負かしていく様子は大変迫真力があり、私自身が明るい光が見えたり、落胆に落ち込んでいるように感じました。
 名古屋入管が、スリランカのウィシュマ・サンダマリさんの命を医療放棄と虐待で奪いましたが、本書でも通報を受けて収容所へ到着した救急車を追い返す場面があります。彼らは外国人を殺しても構わないと思っているのです。
 スリランカの男性2人に対し、異議申し立てを棄却したと告げた翌日に強制送還した入管当局の対応が「裁判を受ける権利を侵害し、憲法違反である」という東京高裁判決が確定しました。本書の中で、仮放免申請を却下された人に対して、「裁判を起こしても100%勝てない。だまされて高額な弁護費用を支払うだけ」と提訴を諦めるように言い寄る入管当局の姿が腑(ふ)に落ちました。
 「やさしい猫」とは、スリランカの民話で、子ネズミの両親を食べてしまった猫が、子ネズミの訴えを聞いて反省し、子猫と一緒に子ネズミを育てたという話です。強者が弱者に手を差し伸べる、日本国憲法に言う基本的人権、幸福追求の権利、健康で文化的な最低限の生活をする権利、これらは差別なく誰でも享受できているのでしょうか。

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