沖縄を再び戦場にするな 世界戦争阻む5・15闘争へ

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週刊『前進』04頁(3240号03面01)(2022/04/18)


沖縄を再び戦場にするな
 世界戦争阻む5・15闘争へ


 来る5月15日、沖縄が米軍統治下から日本に「復帰」してちょうど50年を迎える。ますます激化するウクライナ戦争が世界戦争・核戦争へと転化しつつある中で、今年の5・15沖縄闘争は歴史の帰趨(きすう)をかけた決戦に押し上げられた。沖縄本島を含む南西諸島は、米軍と自衛隊によって対中国戦争の最前線の出撃拠点と位置づけられ、再び「捨て石」にされようとしている。この暴挙を絶対に許さず、ウクライナ反戦闘争に決起する世界の労働者人民と連帯して、世界戦争・核戦争を阻止する5・15闘争に総決起しよう。

中国侵略戦争を狙う米日

 ウクライナで多くの人民が戦火に追われ、命を奪われている中で、米バイデン政権はこの戦争を止めようとする動きを一切見せず、ロシアの疲弊(ひへい)と弱体化を狙ってひたすら戦争を長期化・泥沼化させる戦略をとっている。民間人の虐殺や重要施設への攻撃などのすべてを、なんの調査も証拠もなくロシア軍の仕業と断定して大々的なキャンペーンを繰り広げ、各国に対ロ経済制裁への参加を激しく促している。
 他方、3月28日にその概要が公表された米国防総省の国家防衛戦略(NDS)は、米国にとって「最重要の戦略的競争相手」は中国だと明記。中国こそ「我々の利益に挑戦する軍事・経済・技術的な潜在力を持っている」(ヒックス国防副長官)と、その理由を説明した。そして国防費の大幅増額を打ち出し、核兵器の先制使用も辞さないとする核戦略をあらためて宣言した。ウクライナ戦争でロシアを徹底的にたたきながら、同時に「最大の敵」である中国との戦争を全力で準備しているのだ。
 日本列島から台湾、フィリピンへと至る「第1列島線」を防衛ラインと位置づける中国軍に対し、米軍はこれを突破して中国本土へ侵攻することを狙い、そのために九州南端から台湾付近までの約200の島々から成る南西諸島を出撃拠点にしようとしている。昨年12月には、この構想を具体化した日米共同作戦計画の原案が、米軍と自衛隊の間で密かに作成されていたことが共同通信のスクープで発覚した(右上図)。この計画では、米海兵隊の新たな作戦構想「遠征前方基地作戦(EABO)」に基づき、奄美大島、宮古島、石垣島などの有人島を含む約40カ所を臨時の軍事拠点として中国軍とミサイルを撃ち合うことが想定されている。「(作戦が)実行されれば南西諸島が攻撃対象となるのは必至」(昨年12月24日付沖縄タイムス)だ。沖縄本島をはじめ150万人以上が生活する島々が、かつての沖縄戦以上の、そして現在のウクライナ以上の地獄のような戦場に変えられようとしているのだ。
 米軍はすでに2010年代初頭から南西諸島を「琉球の防壁」と呼び、対中国戦争の最前線と位置づけてきた。それは南西諸島で暮らす人々を守るためでは断じてなく、むしろ戦争の初期段階で空母打撃群や航空部隊といった米軍の主力を退避させるため、これらの島々を「防壁」に、言い換えれば「捨て石」にすることを構想したものだった。以後、この米軍の構想に合わせる形で自衛隊の「南西シフト」が進められ、地元の反対の声を無視した南西諸島のミサイル要塞(ようさい)化が急ピッチで進行している(左上図)。
 「いま、再び南西諸島は沖縄戦前夜の様相を帯びている」(沖縄国際大名誉教授・石原昌家氏、昨年8月17日付沖縄タイムス)——このような地元住民の危機感と怒りに満ちた声が広がっている。本土と沖縄が一つになった反戦・反基地闘争の爆発が、今ほど求められている時はない。

岸田迎え撃つ実力デモを

 第2次大戦末期、沖縄が凄惨(せいさん)な地上戦の戦場とされたのは、天皇と軍部が米軍の本土上陸までの時間稼ぎを狙い、沖縄をそのための「捨て石」としたからである。沖縄戦では、日本軍によって「軍官民共生共死の一体化」が強制され、住民が戦場に駆り出された。日本軍は住民から食料を奪い、多くの住民に軍命で「集団自決(強制集団死)」をさせ、抵抗する者やスパイとみなした者を殺害し、泣き声を上げた乳幼児を絞め殺した。沖縄県民の死者は民間人約9万4千人、沖縄出身の軍人・軍属約2万8千人に上り、4人に1人が命を落とした。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」の一語に尽きる。
 戦後、米軍は沖縄を「太平洋の要石(キーストーン)」と位置づけ、アジア全域への米軍の展開と核兵器の大量貯蔵を可能とする巨大軍事要塞へとつくり変えた。さらに1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効により、沖縄が日本本土から切り離された結果、住民は日本国憲法も適用されない無権利状態のもとで土地を強奪され、困窮を強いられ、相次ぐ米軍機の墜落事故や米兵の凶悪犯罪に命と生活を脅かされ続けた。60年代以降、特にベトナム戦争のただ中で爆発した沖縄民衆の本土復帰闘争は、このような米軍支配を終わらせ、沖縄から一切の基地をなくすことをめざして闘われた。それは本土において全学連や反戦派労働者を先頭に激しく闘われた70年安保・沖縄闘争とも結合し、71年には基地労働者の組合である全軍労(全沖縄軍労働組合)を先頭とする2波の全島ゼネストにまでのぼり詰めた。
 だが、米軍にとって沖縄は、基軸国・アメリカのアジアおよび全世界に対する軍事支配を支える絶対的かつ最重要の戦略的要衝であり、これを失うことはそのアジア支配―世界支配の崩壊に直結する。他方で日本もまた、沖縄米軍基地を最大の実体とする日米安保体制をあくまでも維持し強化することでしか、アジアをはじめ諸外国に権益を拡大する帝国主義国家として延命できない。だからこそ米日政府は、72年5月15日の「ペテン的返還」(別掲コラム参照)後も基地を維持・固定化し、在日米軍基地の70%以上を沖縄に集中させ(左図)、辺野古に新たな巨大海上基地をつくろうとまでしているのだ。
 そして今、米日の中国侵略戦争の切迫下で、米軍・自衛隊が一体化した軍事演習がかつてなく激化し、米軍機の重大事故、有害な化学物質の流出、基地由来のコロナ感染や米兵の凶悪犯罪などが頻発している。嘉手納基地の周辺住民が騒音などの基地被害の損害賠償と米軍機の飛行差し止めを求めた嘉手納爆音訴訟では、本土「復帰」後に生まれた40代以下の世代を中心に原告数が(二つの訴訟で)過去最大の4万人に達するなど、怒りの声は限度を超えて拡大している。
 こうした中で、沖縄の人々の命と生活を踏みにじり、抗議の声を無視して辺野古基地建設を強行し、南西諸島を戦場化する新たな戦争の準備を進める岸田が5月15日、「復帰」50年記念式典に出席するため来沖する。青年・学生を先頭に、式典会場に迫る怒りの実力デモでこれを迎え撃ち、中国侵略戦争を阻止する新たな安保・沖縄闘争をここから開始しよう。世界戦争・核戦争を阻止する国際反戦闘争のさらなる爆発を5・15沖縄闘争で切り開こう!
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