団結ひろば 投稿コーナー

発行日:

週刊『前進』04頁(3247号04面03)(2022/06/06)


団結ひろば 投稿コーナー

(写真 2022.5.22)

日本を核戦争の戦場にするな
 広島大学 太田蒼真

 5月22日から24日、バイデン訪日、日米首脳会談、クアッドに抗議する行動に参加しました。石川一雄さんがでっち上げ逮捕されてから59年を迎える5月23日に、バイデンは差別正当化装置の天皇と会談して、岸田と戦争会議をやるというのです。絶対に粉砕してやる。そういう気持ちで一連の行動に臨みました。
 意気軒高とスクラムを組み、大デモを貫徹! 首相官邸や米大使館に肉薄し、改憲と戦争を許さないという労働者階級の怒りの声をたたきつけました。警察権力のいつにも増して高圧的でチンピラのような振る舞いは、われわれに対する心の底からの恐怖の裏返しです。戦争会議を許さない闘いがいま本当に反戦運動の大爆発につながる、戦争をぶっ止める力がある、ということを確信しました。
 首脳会談で岸田とバイデンは「拡大抑止(=日本に核兵器をばんばん置いていく!)」「台湾有事に軍事介入」と言って日米帝国主義が一体となって中国侵略戦争を準備する算段を明らかにしました。
 さらには「来年のG7を広島でやる」として、ヒロシマの反戦・反核の怒りと運動を徹底的にたたき潰して、日本を第3次世界大戦=核戦争の戦場にしようとしているのです。
 しかし、労働者階級はこんな策動を絶対に許さない。8・6ヒロシマの怒りで帝国主義者どもをぶっとばして改憲・核戦争を絶対に止めよう! 今夏、反戦の闘いを一段とアツく闘っていきましょう!

資本主義葬り去るチャンス
 首都圏・学生 T

 クアッド会合粉砕の5・22闘争に参加した。先頭のてい団にいてスクラムデモもやった。
 23日の日米首脳会談でバイデンは「日本の常任理事国入りを支持する」と公言した。これは重大だ。
 バイデンの発言は、戦後世界体制を維持する力が米帝にはもはやない、ということを表している。ウクライナや沖縄をはじめ全世界の労働者民衆を犠牲にし、何千万、何億もの犠牲者を出し、文字通り屍(しかばね)の山の上に資本主義=帝国主義の腐った繁栄・延命を実現しようというのだ。絶っっ対に許せない。
 日帝・岸田も、この〈米帝の戦争〉に全乗っかりすることに自らの帝国主義としての延命の全てをかけている。米帝は〈世界戦争をやる米帝〉としてしか延命できないし、日帝は〈世界戦争をやる日帝〉としてしか延命できない。資本主義を全世界的に葬り去る絶好のチャンスが、今到来している。
 最大のカギはもちろん労働組合である。ゼネストを実現するような組織された労働者階級の潮流(それは組合主義的なものではなく明確に政治潮流として表現される)の、広告塔としての役割を果たす一大闘争が、5・22闘争であり、スクラムデモであり、白ヘルの大隊列だった。
 私たちはここで満足してはいけない。ますます暴露し、ますます扇動し、ますます宣伝し、そしてますます組織しよう!

未来拓く本番はここからだ
 全学連 吉田 耕

 ロシアがウクライナを侵攻した時、何千人ものロシア人が逮捕されながらも反戦のデモに参加し、世界のさまざまな労働組合が戦争反対の決議を上げ、ストライキで武器の輸出を止めたことに私たちも大きな勇気と希望をもらいました。
 この日本からも声を上げることで、同じように勇気づけられる人々が必ずいます。団結という言葉を空文句にせず、本当に力を持ったものにするために、私も5・22闘争に参加しました。厳重な警備体制をものともせず、デモ前の集会発言ではたくさんの労働者、学生から「今こそ声を上げる時だ」と熱のこもった決意表明がされました。また、中国人留学生からのメッセージが全学連の学生から代読されました。
 デモでも参加者の士気は高く、「バイデン帰れ」「戦争進める岸田を倒そう」のコールを首相官邸、アメリカ大使館に響き渡らせました。久々のヘルメットをかぶってのスクラムデモも新鮮で、参加者の多くが「やるぞ!」という気持ちになっていたと思います。また、行進中に自国の軍政に抗議するミャンマーの人々とエールを送り合い、日本政府のODA(政府開発援助)などを通したミャンマー国軍への支援を阻止する闘いも広げていく決意をあらためて固めました。
 集会前、公安警察は参加者に「今日は大勢逮捕される」などと言っていたそうですが、誰一人仲間を逮捕させることなくやり切ることができました。しかし、勝利感はありつつも、本番はここからです。あらゆる現場、職場、キャンパス、街頭で胸をはって展望を語り、闘う仲間を増やしていきましょう。希望はそこにあります。世界の仲間と共に未来を切り拓(ひら)いていきましょう。

沖縄労働者と連帯する闘い
 茨城 斉藤知香子

 沖縄県庁前で5月16日、辺野古へ行くバスを待っていた時のエピソードです。
 「ここにいる人たちは何の集まりですか?」と近付いて来た50代の男性がいました。これから辺野古の工事阻止に行くこと、昨日も岸田が来た記念式典の抗議に行ったと話しました。14日の国際通りのデモを知っていたようで、色々な質問をされました。
 医療労働者だと言う彼は私の「式典でお祝いする状況ですかね?」という問いに「式典賛成と反対は半々という感じです。でも賛成には、沖縄を忘れさせない!との思いがあり、式典でもやるだけ良いということなのです」と答えました。また「リゾートホテルに泊まって、国際通りで飲食する旅行者を見て、何だろうと思っていましたが、あなた達みたいな人もいるのですね」と言い、一緒にいた徳島の仲間には、「えっ、徳島ですか」と全国から来ていることにびっくりしていました。
 沖縄労働者の賃金の話も出て「沖縄の人たちが、もっと行動しないといけないのですが、生活でいっぱいいっぱい」。彼の賃金も15万円位と言っていました。バスが来たのであいさつをして別れましたが、「前進」を持っていなかったことが悔やまれました。
 思わず話しかけられた沖縄の労働者から、私たちの3日間が沖縄全体の労働者と連帯する闘争であったことを実感することができました。

「もう沖縄を犠牲にしない」
 新潟 荒畑隆夫

 沖縄の本土「復帰」からちょうど50年となる5月15日、新潟では改憲問題や沖縄の基地問題にとりくんでいる様々な人たちと共に発足させた「もう沖縄を犠牲にしない新潟アクション」で、新潟県内各地で沖縄基地問題を訴える行動を行いました。のべ人数で130人以上が参加しました。
 14日には雨の中、新発田市の国道沿いで、15日には新潟市内の古町と万代地区、新潟駅前。さらに上越市でもメッセージボードをもって、スタンディングを行いました。多くの道行く人々に対して、米軍基地問題や「台湾有事」、憲法改悪によってさらなる軍事機能の強化が狙われていることを訴えました。
 私が参加したところではビラの受け取りもよく、手ごたえを感じることができました。通行人から「基地がなくなったら何で食っていったらいいんだ?」と声をかけられ、その場で少し議論となりました。
 その後、新潟駅前に場所を移し、街頭宣伝を行ったのちデモ行進に出発。主催者から「沖縄の基地問題が本土の私たちにボールが渡されている。自分の問題として考えよう」との訴えがありました。
 今回のアクションは、これまでは参加していない新たな人を迎えての行動となったこと、県内各地で取り組みがあった点がよかったです。
 「台湾有事」は確実に沖縄を戦場にします。そんなことを絶対に許さないために、沖縄の人たちと連帯して地域での活動を拡大していきたいと思います。

式典粉砕のデモ&実力闘争
 三多摩 I

 3年振りに沖縄闘争に参加した。1日目の5月14日は県庁前での街宣の後、国際通りをデモ。街宣では沖縄の労働者が続々と発言したが、早々に右翼の妨害に遭った。街宣隊のマイクアピールと右翼の妨害とで現場は騒然としていたが、私は道路反対側で核ミサイル配備反対署名を集めた。騒然とした光景を車から降りて見ているタクシードライバーに声をかけると、快く署名してくれた。ストリートパフォーマンスの若い女性達がいて、色々議論になった。
 その中の一人はウクライナ戦争と台湾有事は決して無縁ではなく、南西諸島のミサイル基地化の事なども良く知っていて、白紙の署名用紙を持ち帰ってくれた。署名は実質40分で10筆。デモは右翼の妨害を吹き飛ばして沿道からの反応は良かった。
 夜は「復帰」50年5・14集会が行われた。
 2日目は「復帰」50年記念式典粉砕のデモ&実力闘争に打って出た。記念式典会場の沖縄コンベンションセンター手前までデモ、その後規制のかかる会場前まで突撃した。歩道前に機動隊のバスを付けて、まるで目隠しをされている様だったが、青年労働者や学生が沖縄の変わらない現実に対し怒りをたたきつけた。
 会場前では他にも、チョウ類研究者の宮城秋乃さんや「#コドソラ」の与那城千恵美さんがいて、元山仁士郎さんがハンストを闘っていた。みな機動隊の妨害に遭ったり会場に入れなかったり。今こそ、実力闘争が必要ではないか?

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