8・9 「再びのナガサキを許さない」 反戦反核・岸田打倒へ

週刊『前進』04頁(3257号03面01)(2022/08/22)


8・9
 「再びのナガサキを許さない」
 反戦反核・岸田打倒へ

(写真 「岸田は長崎から出ていけ!」。祈念式典に出席する岸田に向かってデモ隊が怒りのシュプレヒコール【8月9日 長崎市】)

(写真 デモに続いて開催された反戦反核集会では被爆者の城臺美彌子さんが発言)


 8・6ヒロシマ闘争に続き、8月8、9日の2日間、被爆77年を期して8・9ナガサキ闘争が行われました。8日は長崎の被爆者・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんによる爆心地周辺のフィールドワークが行われました。全学連を先頭に、例年を倍する参加者が被爆地ナガサキの現実に触れ、核廃絶への決意を新たにしました。
 翌9日午前、全国から結集した仲間たちは市内の城栄公園に集合。改憲と核武装を狙う岸田首相の長崎訪問を徹底弾劾する戦闘的デモを闘い抜きました。青年・学生が先頭に立ち、祈念式典に参加する岸田首相を弾劾。「岸田は長崎から出ていけ!」「九州・沖縄を戦場にするな!」と、怒りのシュプレヒコールをたたきつけました。
 デモ解散点の爆心地公園では、原爆が投下された午前11時2分に黙禱(もくとう)を行いました。その後の参加者によるアピールは核廃絶を願いその場に集まった多くの人々の心を揺り動かし、午後からの集会への飛び入り参加など、決定的な合流を実現しました。

今秋決戦総決起へ

 午後2時からは長崎県勤労福祉会館でNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)ナガサキと改憲・戦争阻止!大行進実行委員会共催の「被爆77年8・9長崎反戦反核集会」が開催され、九州をはじめ全国から約100人の仲間が結集しました。
 冒頭、主催者を代表して城臺美彌子さんがアピールに立ちました。城臺さんは地図や当時の写真などの資料を示しながら、市民の約3分の1が命を落とした長崎への原爆投下の実相、自らの被爆体験について語りました。そして「長崎が原爆投下地に選ばれたのは、真珠湾攻撃で使われた爆弾がすべて長崎製だったから。今、ウクライナ戦争下で日本政府は先制攻撃を狙い、同じことが繰り返されようとしている」「再びのナガサキを許さない、怒りのアピールを皆さんと共有していきたい」と、渾身(こんしん)の決意を込めて戦争絶対反対の想(おも)いを烈々と訴えられました。
 続いて、大成功を収めた8・6ヒロシマ大行動の報告を同実行委員会の壹貫田康博さんが行いました。
 さらに「核戦争を絶対に阻止する!」という決意のもと、改憲・戦争阻止!大行進からの提起を羽廣憲さんが行いました。羽廣さんは、激化する戦争情勢と対決し「自国政府打倒・国際連帯を貫き、今秋9・23安倍国葬粉砕集会&デモ、11・6労働者集会を最焦点とする一大反戦闘争を巻き起こそう! 来年5月の、広島での主要7カ国首脳会議(G7サミット)を粉砕しよう!」と訴えました。
 また、今秋9基の原発再稼働と汚染水海洋放出が狙われる重大情勢の中で、福島診療所建設委員会の佐藤幸子さんが2011年3・11福島第一原発事故以来の闘いを報告。安倍国葬への怒りを爆発させました。3・11反原発福島行動実行委員会共同代表の椎名千恵子さんからの連帯メッセージも読み上げられました。
 休憩後、7月末に行われた長崎保養の報告に続いて、全国各地の現場で闘う団体から報告が行われました。動労千葉の中村仁副委員長は「我々は一人一人は微力でも、団結すれば無敵」と語り、11・6集会への総結集を訴えました。
 最後に全学連の仲間が登壇し、赤嶺知晃委員長が「中国・ロシア粉砕の世界戦争を構える帝国主義を許さない。夏~秋の大反戦闘争を闘い抜き、来年G7広島サミットを粉砕しよう。8・6―8・9反戦反核運動は被爆者が闘ってつくり上げてきた。『静かに祈れ』の反動を打ち破り、9・27安倍国葬を粉砕しよう!」と訴え、今秋決戦への総決起を訴えました。広島大学の森田寛隆さんは多くの広大生が8・6―8・9闘争に参加したことを報告し、核戦争の危機のもとで被爆者の存在と闘いが隠蔽(いんぺい)されようとしていると弾劾しました。
 最後に、労働者民衆の団結で核戦争阻止・全原発即時停止を勝ち取ろうと訴える「改憲と戦争に反対し、核と原発の全廃を求める集会決議」を採択しました。
 中国侵略戦争と核戦争が切迫する情勢と対決し、本物の反戦反核運動をつくりあげる決定的な出発点として、今夏8・9闘争は歴史的成功を実現しました! 岸田打倒の今秋決戦へ、団結を固めて突き進みましょう!
(改憲・戦争阻止!大行進九州事務局)

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