団結ひろば

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週刊『前進』04頁(3258号04面04)(2022/08/29)


団結ひろば

長崎で城臺さんと現地調査
 全学連三里塚現地行動隊 二川 光

 今年の8・9ナガサキ反戦反核闘争に数年振りに参加しました。前日の8月8日は、原爆資料館の見学と城臺美彌子さんによる現地調査に参加しました。
 長崎原爆資料館では当時のキリスト教の礼拝堂や建築物が原爆によって跡形もなくなっていく状況がレプリカによって鮮明に出されていました。当時の長崎は軍事都市で、長崎市の中心部は兵器を造る軍事工場の大拠点でした。
 ファットマンの核が爆発する構造や、原爆によって朝鮮半島出身の労働者やオーストラリアの労働者が犠牲となり、原爆症で苦しみながら死んでいった人々のインタビューも放映されていました。現在も世界中で内部被曝で苦しみ続けている人々がいることも紹介されています。
 原発の燃料として採掘するウランでの内部被曝はアメリカが深刻で、若くして死んでしまうことが共通しています。世界で最も核を保有しているアメリカが、ロシアのウクライナ侵攻を契機に核戦争を現実にしようとしている現在、被爆者の怒りが戦争阻止の根源的な力になると感じました。
 午後の城臺美彌子さんの現地調査では、平和公園の中にある「グラウンドゼロ」と言われる原爆落下地点を見ました。平和公園周辺だけでなく、戦前に建てられ被爆した城山小学校を平和祈念館として保存している状況について説明を受けました。現地調査の中で被爆者として闘い続けてきた城臺さんの熱意に圧倒され、命を懸けて語り部として伝え続けている姿に感動しました。
 現地調査を通して、原爆で亡くなった労働者階級に対する祈り、現在も参戦国化を許さない被爆者の怒りは一体だと感じました。戦争を阻止する力は、実力で反対し続けている被爆者の闘いが根底にあるからであり、ここに戦争絶対反対の核心があると思いました。

靖国神社前ハンストに連帯
 一般合同労組さいたまユニオン 新井 拓

 8月14日、15日の2日間、「遺骨を掘る人」=ガマフヤーの具志堅隆松(ぐしけん・たかまつ)さんが「沖縄戦犠牲者の遺骨が混じった土砂を新基地建設に使ってはいけない」と訴え、沖縄から靖国神社前でのハンガーストライキに立ち上がりました。埼玉でも全力で支援しようという運動があり、私たちも参加させてもらいました。
 〈ガマフヤー〉とは、沖縄戦で亡くなった方の遺骨を40年にわたって掘り続けてきた具志堅さん自身が名付けた名前です。それは「遺骨をきちんと遺族のもとに返したい」という思いと同時に、遺骨が語る沖縄戦の実相―「声なき声」を伝えたいという思いを込めたものだそうです。それは具志堅さんの本『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』に詳しく書かかれています。
 沖縄戦の激戦地であった南部地域の土砂が辺野古新基地建設の埋め立てに使われる計画が発表されて以来、「基地の是非」を超えて全国から反対の声が上がっています。具志堅さんを先頭にあらゆる取り組みが行われてきたからこそです。ハンストには多くの支援者が集まり、シール投票も行われ、96%の方が「反対」の意志を示しました。
 基地も戦争も、民衆をとことん軽視し、犠牲にして初めて成り立つというのが「歴史の真実」です。沖縄を中国侵略戦争の「最前線の島」にしようとしている岸田政権を倒し、沖縄の人々とともに基地建設を止めよう!

ポリープを切除せずに放置
 獄中者家族 須賀陽子

 8月3日、爆取でっち上げ弾圧で横浜刑務所にいる私の夫・須賀武敏の大腸内視鏡検査が昭島市の東日本成人矯正医療センターで行われました。しかしこの検査は、医療行為としてはあまりにもでたらめだったことが分かりました。
 面会で聞いた話では、①腸の動きを抑える薬や鎮静剤の投与がなかったため、検査中に何度も激痛に襲われた、②4個のポリープが発見されたが切除されなかった、③検査結果の説明もなかった、とのことです。
 そもそもこの大腸内視鏡検査を求めたのは、昨年の4月に横浜刑務所で実施された検査で直腸に7㍉のポリープが確認されながら、切除もせずに放置した事件があったからです。5㍉以上のポリープは普通はその場で切除するはずであり、また、がんの疑いを完全に払拭(ふっしょく)するには細胞診検査が必要です。その後の追及で横浜刑務所当局もその問題性を認め、今回の検査でポリープが再発見されれば必ず切除し、精密検査も行うと約束していました。
 ところがセンターで検査を担当した医師は、ポリープの切除を求めると「当局の判断を聞く」と言ってその場から姿を消し、いつまで待っても戻らないし返答もない。従って検査結果の説明はなかったそうです。
 こんな態度が「医師」として許されるのか! 星野文昭さんの命を奪った医療センターはおよそ「医療機関」とは言えないと、改めて実感しました。獄中同志の命と健康は闘いによってしか守れません。星野国賠闘争の勝利、大坂さんの解
をかちとることは決定的です。共に闘いましょう。

在日歌人の告発と向き合う
 東京 櫛渕秀人

 関東大震災朝鮮人・中国人大虐殺事件は来年100年目を迎えます。切迫する中国侵略戦争というただならぬ情勢だからこそ、在日朝鮮・中国人民という日本人民にとって大切な友であり隣人である、彼らの歴史と現在と結びあうことが求められています。その生きざまに向き合い学んでいく課題を私たちに突きつけています。
 最近『朴貞花第二歌集 無窮花の園―在日歌人・朴貞花が告発・糾弾する日本近現代史』(花伝社刊)を読みました。朴貞花さんは1歳の時、強制連行されて日本の常磐炭鉱に渡日となった父に連れられてきた人です。
#強制連行のアボジ(父)の子なり棄民なり、差別、蔑視、無視、放置の六十余年
#「慰安婦」に民族差別、女性差別、人権蹂躙(じゅうりん)、私自身のこと
#拉致、拉致の土砂降りの雨、子に孫に差し出す傘なく生みしを悔やむ
#水に住む魚の空中飛ぶがごとく、チマ・チョゴリの少女雑踏を行く
 私は貞花さんの歌に全身を揺さぶられました。彼女の慟哭(どうこく)と恨(ハン)は私の胸に突き刺さり、同時に彼女の朝鮮民族、人間としての誇りと強さ、爽やかさに身を洗われたような気がします。
 彼女は独学で歴史を学び、日帝の侵略の歴史を1872年の「潜入盗測」からだと断じています。彼女の歌は日帝の朝鮮植民地支配はもちろん、関東大震災時の大虐殺、日本軍性奴隷、靖国神社、民族教育と統一朝鮮等々、(在日)朝鮮人に関わる全てのことに及んでいます。朝日歌壇賞も何度も受賞しています。
 岸田政権は大多数の人民の反対を無視して安倍国葬を強行しようとしています。安倍を賛美し改憲・核武装に走り、中国、朝鮮、アジア侵略の道へと絶望的暴走をしています。
 今こそ朝鮮・中国人民と固い団結を求めて、日本労働者人民の渾身(こんしん)の決起で戦争を止めるときが来ています。

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