農地死守・強制執行阻止を 決戦の三里塚に駆けつけよう

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週刊『前進』04頁(3270号02面01)(2022/11/21)


農地死守・強制執行阻止を
 決戦の三里塚に駆けつけよう

(写真 緊急現地闘争に参加した180人が、新設された看板の前でシュプレヒコール【11月13日 成田市天神峰】)

(写真 新設された看板)


 全国の闘う仲間のみなさん。三里塚闘争史上最大の決戦の時が訪れた。成田空港会社(NAA)はついに、天神峰の市東孝雄さんの農地を奪い営農を破壊する最後的手続きに踏み出した。三里塚芝山連合空港反対同盟は11月1日に緊急アピールを発表し、11・13緊急現地闘争(記事1面)を開催して「強制執行実力阻止」の号令を発した。市東さん自身がその先頭に立っている。この決起に応え、職場、学園、地域の仲間と誘い合って天神峰現地座り込み行動に駆けつけよう!

軍事空港建設・拡張狙い

 NAAは10月18日、成田市天神峰の市東さんの農地に建つ建物・工作物の収去を求め、千葉地裁に強制執行を申し立てた。市東さんと反対同盟による意見書提出(11月18日期限)後、千葉地裁が授権決定(地裁が任命する執行官に執行の権利を授ける)を出せば即、執行が可能となる。執行(強奪と破壊・撤去)の対象となるのは、市東さん宅前の天神峰農地全部と南台農地の一部、そして天神峰農地に立つ作業場、農機具置き場、ビニールハウス、野菜貯蔵庫、離れ、トイレなど、さらに反対同盟の監視やぐら、看板だ(図)。
 これが実行されれば、市東さんは今回執行対象ではない部分での営農も不可能な状況になる。萩原富夫さんと共に行ってきた産直も成り立たない。敵は市東さんの営農、生活を根こそぎ奪おうとしている。こんな殺人的暴挙を許せるか!
 攻撃の凶暴さは、戦争情勢下での日帝の焦りと成田空港そのものの危機から発している。航空需要は激減し、ビジネス客も旅行客も増える見通しはない。しかも今回の執行によって、市東さんの農地があることで「へ」の字に曲がったB滑走路の誘導路が直線化される見込みもない。
 国とNAAが執行を急ぐのは三里塚闘争を破壊し、軍事空港・成田の建設・拡張を推し進めるためだ。
 関西空港と並び「民間空港」として4千㍍滑走路を有する成田は、巨大軍事輸送機や戦略爆撃機の離着陸が可能な空港として、有事の際の兵站(へいたん)拠点に位置づけられている。すでに特定公共施設利用法で自衛隊、米軍による空港の優先使用が定められ、安保関連法で、米軍以外の他国軍隊の使用も可能だ。自民党・岸田政権は現在、「台湾有事」「朝鮮有事」に備えて軍事使用のための公共インフラ整備を進めている。防衛省関係者は「有事に備え、滑走路の延伸や港湾機能の強化が必要だ」とし、北側一雄元国交大臣も「自衛隊が利用する局面も想定し、滑走路や港湾の長さなど整備した方がいい」とあおっている。
 現在進められる成田空港機能強化の真の狙いは、4千㍍のA滑走路に加え3500㍍の2本の整備(B滑走路の延伸とC滑走路新設)を通して、成田を中国侵略戦争の巨大兵站拠点に変貌(へんぼう)させることにある。かつては「日本の表玄関」と称した成田は今や、国際的競争に破れ、羽田との競合にも敗退し、もはやむき出しの軍事空港への道を進むしかない。
 三里塚闘争は56年にわたり、第一級の国策である空港建設の完成を阻み続けてきた反戦の砦(とりで)だ。様々な闘争現場をめぐって今なお語られる「三里塚のようにしてはならない」というフレーズは、不屈の実力闘争を恐れる国家権力の悲鳴であり、三里塚闘争の圧倒的な勝利性を示している。反対同盟農民の存在と闘いを解体しなければ、岸田は改憲・戦争を進めることができないのだ。

戦後最大の農地強奪攻撃

 三里塚農民は半世紀を超える歴史の中で、問答無用の機動隊暴力で土地を奪おうとする国家権力・資本とは完全に非和解であることを、血を流しながら学んだ。労働者人民との団結に依拠した体を張った闘いこそが、自らの意志を国家権力に強制する力になるという、実力闘争の思想をつかみ取ってきた。
 「一切の話し合い拒否、農地死守・実力闘争」という反対同盟の基本路線の形成にとって決定的だったのが、取香の大木よねさんへの強制収用との闘いだ。1971年9月、空港公団は記者会見を開き、本日の執行は延期するとうその情報を流した。駆けつけていた数千人の支援者の多くが帰路についた頃を見計らって、機動隊が脱穀作業中のよねさんに襲いかった。脱穀機にしがみついて抵抗するよねさんの前歯をへし折って引きはがし、家財もろとも家を破壊した。
 この卑劣な蛮行への怒りが日本全体に燃え広がった。その後の反対同盟と支援の実力闘争の展開で、空港公団が農民の土地に再び手をかけることを許さぬ力関係を築き、千葉県収用委員会を解体に追い込み、事業認定を期限切れで失効させるに至った。国家による土地強奪の最後の手段=土地収用法を破綻に追い込んだのだ。
 あせりに駆られた国家権力と公団、後のNAAは、市東さんの農地を奪うために農地法を使い(農地法の本旨を踏みにじり)民事訴訟を起こすというアクロバット的手法に手を染めた。
 市東さんの農地は祖父の市太郎さんが開墾し、父・東市さん、孝雄さんと3代100年にわたって引き継がれてきたものだ。
 耕作者の権利を守ることを目的に作られた農地法は農業従事者以外が農地を取得することを規制し、小作人の権利を保護してきた。だがNAAは、市東家に無断で地主から底地を買収し、十数年間もそれを秘匿する違法をはたらいた。小作人の同意のない農地の売買や賃貸借契約の解除は、戦後史に一つの例もない。
 しかも、今回奪おうとする農地の面積は1・3㌶。71年第1次、第2次強制代執行を足した面積を上回る戦後最大の農地強奪だ。事実上の戦時収用攻撃にほかならない。

11・27天神峰現地闘争へ

 11・13緊急闘争で市東さんは、「執行をやるというなら、こちらは受ける。ここに集まったみなさんの力で跳ね返す」と胸を張り発言した。反対同盟各氏も、強固に一致して実力阻止闘争を呼びかけた。敵が心底恐れるのは、このように国家暴力をも恐れぬ不屈の闘志であり、それが共感を呼び、拡大することだ。
 動労千葉の中村仁副委員長は、「動労千葉はジェット燃料輸送阻止闘争で解雇者を出しながら、反対同盟と連帯し闘った。この戦争情勢に傍観者であってはいけない」と、労農連帯を貫くことを固く誓った。
 革共同も三里塚農民から不屈の闘魂を学び、ともに血と汗を流してきた。星野文昭さん、大坂正明さんもかつて全学連として三里塚の地に立ち闘った。いつの時代も本気で闘う者が三里塚に結集し、そこで「本気さ」を試され、職場、街頭、学園でも闘いの先頭に立った。三里塚は各々の思想と実践を鍛える「革命の学校」であった。
 この重大事態に際し全てに優先して天神峰に駆けつけることを訴える。11・27現地闘争(要項1面)に結集し座り込みに加わろう。学生と青年労働者の大隊列を登場させ、市東さんの農地を実力で守り抜こう!
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代執行はね返し農業続ける

 NAAによる農地強奪の強制執行攻撃が迫る中で開かれた、11・13三里塚現地集会での市東孝雄さんの発言の要旨を紹介します。(編集局)

 私も三里塚へ帰ってきてから22年目になりました。
 2006年から16年、農地法裁判より先に始まった耕作権裁判がまだ続いています。この訴訟でNAAは原告なのに、こちらが反論した時だけしか反論しない。ですからこの裁判は16年たった今も前に進まない状況です。それで千葉地裁の裁判長は、「16年やったんだからもういいんじゃないか」みたいなことをこちらに言う。じゃあ、NAAに向かって証拠隠しの違法を指摘して証拠を出せと、なぜ言えないんだと。そういうことで伸びてるだけなんです。ですから、判決は判決として(強制執行をやるというなら)やればいいんですよ。受けますこっちは。そういう意気込みです。
 私にとって農地は命そのものです。その農地を取るというのなら、私だけでなく、ここに集まられた皆さんの力ではね返すという気持ちで、これからも農業をやっていきます。最近は「体が続く限り」っていつも言ってますけど、まだまだ大丈夫です。ともに、明るい未来へ。三里塚をもう一度明るくしましょう。

【要項】
耕作権裁判・デモ
 11月28日(月)午前9時 千葉市葭川公園集合→市内デモ/午前10時30分開廷 千葉地裁

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