入管法改悪絶対阻止を誓う 全国交流集会 今こそ労働者の国際連帯で

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週刊『前進』04頁(3294号02面01)(2023/05/15)


入管法改悪絶対阻止を誓う
 全国交流集会
 今こそ労働者の国際連帯で

(写真 労働者・学生が難民・仮放免者との団結を深めた【4月30日 横浜市】)

 4月28日、衆院法務委員会で入管法改悪案が強行採決! 30日に横浜市教育会館で全国交流集会(主催 入管法と民族差別を撃つ全国実行委員会)が開かれた。集まった260人の参加者の誰もが怒りに燃える総決起集会となった。
 冒頭、全国実の鎌田由子さんが基調提起を行った。「今なぜ入管法改悪か。ウクライナ戦争が泥沼化し中国侵略戦争が狙われている。この戦時下での反戦闘争の主体としての日本人労働者と外国人労働者を分断し、団結を破壊しようとする攻撃が入管法改悪だ。入管法・入管体制への怒りを戦争反対の怒りと一体化し戦争絶対反対、入管法改悪案廃案へ、国会を怒りで包囲しよう!」
 「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺から百年----今こそ労働者階級の国際連帯を実現する時」と題する森川文人弁護士の講演が始まった。森川さんはまず「入管法改悪は戦争遂行に不可欠な排外主義攻撃であり、『徴用工問題』を無理やり解決させる日韓関係の正常化とは対中国戦争をにらんだ日米韓軍事同盟の再構築だ」と指摘し、「ナショナリズムを利用した国家権力の策動に今度こそ振り回されてはならない。『今度こそ』というのは100年前、中国侵略に向かう1923年関東大震災時に起こった朝鮮人・中国人虐殺を繰り返さないということだ」と切り出した。
 2003年に関東大震災時の虐殺について日本弁護士連合会で調査し国家責任を明らかにした経緯を語り、「歴史を振り返るとロシア革命、朝鮮の3・1独立運動や中国の5・4運動、日本でも米騒動があった。震災前年の22年メーデーには朝鮮人が初めて参加、23年メーデーでは『植民地の解放』が掲げられようとしていた」と指摘。一方、日露戦争からシベリア出兵に至る侵略戦争を担った日本兵が在郷軍人会・自警団として虐殺に手を染めたと解き明かし、「当時も今も問題は『戦争か革命か』。闘うべき相手は国と資本と権力だ。今度こそ労働者階級の国際連帯で自国政府を倒そう」と呼びかけた。(抜粋別掲)
 韓国から旭非正規職支会組合員を迎えて共に闘った3・30AGC株主総会のビデオ上映後、旭非正規職支会支援共闘会議顧問の金元重(キムウォンジュン)さんが、韓国の非正規職闘争を牽引(けんいん)する旭支会の闘いを報告した。
 集会後半は、入管法・入管体制の実体である入管収容所闘争の現場から、牛久入管収容所問題を考える会の田中喜美子さんの報告で始まった。牛久には収容期間がすでに11年、8年という超長期被収容者もいるなど驚くべき実態が明らかにされた。クルド人を始めとする200人もの難民申請者の子どもたちが仮放免で在留資格がなく、保険証もないまま暮らしている。自民党は衆院法務委員会の過程で「破格の譲歩」だと言って「子どもに(だけ!)在留資格を与える」という修正協議を野党に提案。しかし協議が決裂すると「譲歩案」は跡形もなく消え去った。野党取り込みのために切実な要求をもてあそぶとは、絶対に許せない。
 難民・仮放免者が登壇し、都道府県を越えての移動禁止、働くことも禁止、保険証もないなど人権侵害そのものの境遇を語り、「私たちは動物じゃない、人間だ」と口々に訴えた。
 日本の労働者・労働組合から動労千葉、動労総連合水戸、合同・一般労組全国協などが次々と発言し、入管法改悪阻止を共に闘う決意を明らかにした。
 最後に全国実の福島尚文さんが、国会に駆けつけ入管法を廃案にしようと呼びかけた。「闘いはこれからだ。廃案まで闘おう」と意気上がる集会となった。

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関東大震災から100年
 弁護士 森川文人さん

 1923年9月1日に関東大震災が起こり、判明しているだけで6000人以上の在日韓国・朝鮮人および700人以上の在日中国人が虐殺されました。
 23年の第4回メーデーの準備会では「植民地の解放」のスローガンが挙げられ......当日は、朝鮮人労働者により「朝鮮の同胞を解放せよ」「労働者には国境はない」という演説がなされました。100年前、今と同じ戦争の時代の中、国際連帯による革命・民族解放の可能性は現実的なものとして存在していました。にもかかわらずなぜ流言を信じ、集団虐殺までしたのでしょうか。
 一つには、日本はすでに帝国主義としての侵略国家であり、実際、朝鮮の東学農民軍と戦った日本軍兵士は当時の経済的弱者の労働者たちであったし、在郷軍人会・自警団の基本的枠組みは18年の米騒動を契機に警察主導で整備されたものでした。
 私たちにとって重要なのは、この〝不逞(ふてい)鮮人〟を殺した民衆は、等しく街頭に出て〝政府〟打倒の革命を起こし得る民衆でもあった、ということです。100年後の今も私たちの前に突きつけられている「課題」であり、「希望と可能性の提起」でもあります。
 今、戦争の時代の中で私たちが行うべきことは、100年前に殺された人たちが起こそうとしていた革命と民族解放の闘いの国際連帯を今こそ実現することです。

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