改憲・戦争阻止!大行進座談会 ―巨大な反戦闘争の爆発を― 革命の扉開く24年決戦へ 帝国主義を打倒し世界戦争絶対阻む

発行日:

週刊『前進』08頁(3325号01面04)(2024/01/01)


改憲・戦争阻止!大行進座談会
 ―巨大な反戦闘争の爆発を―
 革命の扉開く24年決戦へ
 帝国主義を打倒し世界戦争絶対阻む

(写真 高山俊吉さん たかやま・しゅんきち/改憲・戦争阻止!大行進呼びかけ人、弁護士)

(写真 森川文人さん もりかわ・ふみと/改憲・戦争阻止!大行進呼びかけ人、弁護士)

(写真 桝渕祥子さん ますぶち・しょうこ/改憲・戦争阻止!大行進横須賀、三浦半島地区教職員組合)

(写真 関道利さん せき・みちとし/動労千葉委員長、改憲・戦争阻止!大行進呼びかけ労組)

(写真 赤嶺知晃さん あかみね・ちあき/改憲・戦争阻止!大行進沖縄、全学連委員長【リモート参加】)

(写真 矢嶋尋さん やじま・ひろ/全学連副委員長)

(写真 山口弘宣さ やまぐち・ひろのぶ/東京労組交流センター代表、日本機械工業労働組合委員長)

(写真 東京・日比谷野外音楽堂で開かれた11・19全国労働者総決起集会。各産別の労働者が反戦の決意を表明した。登壇する全国の自治体労働者)

(写真 パレスチナの労働組合の要請に応え、「ガザ大虐殺に加担するな」と日本エヤークラフトサプライ社前で抗議【12月1日 新宿区】)

(写真 23年2月、三里塚強制執行と闘う全学連。左から2番目が矢嶋副委員長)

(写真 新宿で10・21国際反戦デモ。高山さん、杉並区議会議員の洞口朋子さんを先頭に)

 ウクライナ戦争が継続し、ガザでの大虐殺が強行される戦時下の2023年は、反戦闘争を基軸に連日の激闘が展開された。それは11・19全国労働者総決起集会/改憲・戦争阻止!1万人大行進への3千人の結集として結実した。改憲・戦争阻止!大行進運動の先頭に立つ7人の方に、23年の闘いの手ごたえと、24年決戦の展望を大いに語っていただいた。司会は大行進事務局の本山隆介さんが務めた。(編集局)

11・19労働者集会の地平

3千人の結集かちとる 関さん
反戦軸に皆がつながる 高山さん
情勢つかんだ毎月デモ 桝渕さん
パレスチナ連帯を貫く 赤嶺さん

(写真 関道利さん)

(写真 高山俊吉さん)

(写真  桝渕祥子さん)

(写真 赤嶺知晃さん。沖縄県庁前でガザ虐殺に抗議しスタンディング)

 司会 最初に、労働者集会であり国際反戦大集会として勝ち取られた11・19集会が何を切り開いたのかについて、話を進めたいと思います。
  11・19集会は2800人の結集で、デモだけ参加という人たちも少なくとも200人はいました。3000人と言える結集で集会・デモを貫徹できた。コロナの後、11月集会にかけようと2年がかりで訴えてきたことが結実しました。情勢ともかみ合いました。東京では10月以降、20回近くのデモが行われ、東京の労働者・学生が東京で行われる集会を先頭で組織した。これが重要でした。24年がさらにひと勝負となることは明らかです。そこに向けて3000人の結集が勝ち取られたことは大きいと思います。
 山口 11月集会の賛同人・賛同団体会議では3500人を目指そうと確認したので、それが実現できなかったことは3労組に対して申し訳ないという気はします。その上で2800という数は、日本国内の反戦闘争として最大のものを実現した。11月集会に向かって東京の各地区がいつになく闘い、最後までやりきったと感じています。
 私の職場の若い人は、「集会に参加して自分の視野が広がった。労働運動観が変わった」と言っています。われわれは外国では数万・数十万のデモがあったということを知っているから、ついつい日本ではまだ数千かと思ってしまうけれど、青年は数千のデモだって見たことがない。われわれが思っている以上に11月集会はすごいんだと、青年の反応を見て思います。
 高山 2023年の11月集会はこれまでと全く違っていました。22年もウクライナの問題があり、戦争に焦点が絞られていたけれど、23年は2月の三里塚の闘いをスタートに4月の杉並選挙闘争、5月のG7広島サミット粉砕闘争と続く中で、一貫して反戦を訴えてきた。そしてパレスチナの10・7蜂起で大きく状況が変わって、11・19に向かった。集会の発言者はすべてが反戦を語り、反戦を中心軸にして皆がつながった。それが、23年の大きな成果でした。
 森川 世界で大きく反戦デモが広がっている中で、私たちが東京でそれを実現した。新しい地平で国際連帯を実現し、それがさらに発展する可能性も感じさせた。自らの闘いへの自信を獲得できる集会とデモだったと思います。
 矢嶋 11月集会に向けての組織戦はかなり早い段階から全力でやって、全学連の隊列は2倍になりました。既成の勢力が戦争反対を投げ捨てる中で、それとは対照的に私たちは反戦をこれまで以上に鮮明にさせて、数を増やした。そこに展望があると思います。パレスチナの労働組合が、イスラエルに戦争協力する企業に反対して闘ってくれと呼びかけていますが、それに応える内容を持っている運動は11月集会陣形だけです。国際連帯を20年にわたり築き上げてきたことが真価を発揮する時だと感じます。2800人を土台にこれまでの闘いを超えるものを組織する展望をつかめました。
 赤嶺 集会では皆が戦争反対を軸に据えて発言しました。既成勢力は戦争反対を投げ捨て、イスラエルに対して「民間人を巻き込まないように戦闘をしろ」などと言うけれど、そうではなくてパレスチナの民衆に心から連帯するという精神が貫かれた集会になりました。
 全学連の学生が「日本ではまだ数万人規模のデモは起きないな」ってちょっと悔しがっていると、別の学生が「いや、11月集会には絶対反戦でパレスチナと連帯する人が2800人集まったんだ。24年はその2800人がさらに人々を組織するから、もっとすごい集会ができるんだ」って仲間に語っている。そういう若者が出てきて、時代に通用する反戦闘争をつかんでいることが重要です。
 桝渕 2017年に大行進横須賀で毎月デモをやろうと決めた時、私たちは「毎月? 忙しいし、大変だし」と思いながらも反戦の闘いを始めました。その2年後に横須賀が牽引(けんいん)して大行進神奈川が結成されました。大変だけど闘ってきたのは、労働者、地域の人たちが必ず持っている反戦の強い思いを引き出すためです。横須賀で10月1日に米原子力空母母港化反対集会を開き、関東一円から集まっていただきました。周りの人たちが集会に耳を傾けて訴えを聞き、そういう人たちが次々に運動に加わってきて、11月19日の人数になりました。
 教育労働者は、パレスチナの状況を見たときに何かしないではいられない。音信不通だった人が声をかけてきたり、いつもはチケットを買うだけの人が集会に参加したりということがありました。情勢とかみ合えば労働者は必ず立ち上がると、集会・デモを繰り返しながら私たちもつかんできたと思います。
 高山 高槻医療福祉労組の労働者の発言の重みはすごく大きかったと思います。人の命を救うための労働の場が虐殺・殺戮(さつりく)の現場になるという根本的な矛盾、医療労働者として命を救おうとしても戦争で殺されていくという矛盾に対し、医療労働者として闘うんだと、労働の現場を通して表明した。その重みが皆を揺さぶり、自分の置かれている労働の現場で戦争に参加しないとはどういうことなのかを皆が考えた。私も弁護士として何ができるのかを考えた。アメリカの港湾労働者は軍事に協力しないということで自分たちの役割を見直している。そこがポイントだと、彼女は鮮明にしてくれました。
  この間、労働組合は反戦の砦(とりで)だと訴えてきました。動労千葉は戦争にかかわるものは輸送しないという新・戦争協力拒否宣言を出していますが、それぞれの職場で労働組合としてできることは必ずあると思います。
 森川 11・19に向けた私たちの行動は、労働者階級・民衆の戦争反対の強い思いに一気に合致していきました。デモを繰り返す中で、沿道の人たちの反応が急速に変わっていった。外国人の反応は最初からよかったけれど、日本人も手を振り、デモに入ってくるようになった。それで11・19まで上りつめた。
 桝渕 森川さんに講演していただいた10月15日の教育労働者の浅草反戦集会・デモは、10・7蜂起から1週間後で、「ガザ虐殺許すな」の第一声を上げました。海外からの観光客が大注目し、それを見て日本の労働者も「あ、デモは外国の話ではなくて日本の首都・東京でもあるんだ」って関心を寄せました。
 10・1横須賀デモでは、米軍基地の前で英語の元教員が米兵に向かって、「あなたたちが戦う相手は中国やロシアではない。自分の国の指導者を倒すのが私たちの任務だ。こちらに来て一緒に闘いましょう」と英語で呼びかけました。
 8月5日の広島での教育労働者の反戦デモも、運よく連合会長の芳野友子を直撃できた。「芳野がいるぞ」と伝令が飛んできて、コール案にはなかった連合批判のコールを入れたら、芳野は青くなって中に引っ込んだ。連合をぶっ飛ばす闘いができました。
 矢嶋 10月は連日、反戦デモをする中で、反戦の訴えがストレートに通じると実感しました。特に10・7蜂起以降の反応はすごくて、大学前でビラを配っていると学生と真剣な討論になります。世界戦争に対して、ガザ虐殺に対して自分がどういう立場で何ができるかを、学生は模索しています。10・21新宿反戦デモでは、自分と同年代の人たちがどんどん飛び入りでデモに参加してきました。
 10・7蜂起以降、すべての帝国主義国の政府とマスコミが、ウクライナ戦争でも使っている「民主主義対専制主義」という構図を当てはめて、「ハマスはテロリストだ、民主主義を守るための闘いだ」と言っていますが、世界中で爆発する反戦デモを見ても、彼らが言う民主主義とか平和とかが全く通用していないことは明らかです。かつては私も、帝国主義は圧倒的な物質力を持っているし、帝国主義の言うことに労働者はどうしても従わされるというような無力感を持っていたんですが、世界中で人々が立ち上がり、日本でも反戦デモを組織する中で、それはすべてひっくり返せると実感できました。
 山口 10・7蜂起をどう捉えるか、労働者は確かに一瞬戸惑います。若い人はパレスチナの歴史を知らないから、イスラエルというのは帝国主義が中東を支配するためにつくり出した存在で、パレスチナ人はイスラエルによって暴力的にたたき出され殺され続けてきたんだと基本的なことから話します。
 そうすると青年は、目の前で子どもたちや同年代の人たちが虐殺されていることに激しい怒りを持っているから、本質を一瞬で理解する。
 「ガザに平和を」と言うだけでは帝国主義を認めることになってしまう。われわれが「世界を支配しているのは帝国主義だ。日本は帝国主義として米帝とイスラエルによるガザ虐殺に加担している。この帝国主義を打倒しなければいけない」と訴えたことが、国際連帯を本物にした。あんなに多くのムスリムの人たちがデモに合流するという感動的なことは、そうでなければ生まれなかった。
  動労千葉は23年、全学連も含む仲間とともに訪韓して、韓日労働者の共同声明を発表しました。22年に訪韓したときから1年がかりで準備しました。民主労総ソウル地域本部とその傘下の組合の代表者6人と動労千葉の執行部4人が登壇して、一節ずつ読みあげた。ソウル地域本部傘下の各労組と一緒に声明を発表できたことは、東アジアでの戦争が迫る中、歴史的に重要な意味を持つことだったと思います。
 赤嶺 中国侵略戦争に向けて、10月にレゾリュート・ドラゴン23という「遠征前進基地作戦」(EABO)を具体化する軍事演習が沖縄で行われ、それと全面対決して那覇の中心街でのデモやスタンディング、申し入れ行動、基地前での座り込みを闘いました。11月の自衛隊統合演習では戦車が民間の道路を走りました。港湾労働者の動員も始まっています。沖縄戦の歴史があるので、自衛隊が迷彩服を着て闊歩(かっぽ)し、戦車が民間地を当たり前のように走ることへの怒りは強くあります。街宣や行動のたびに、闘いに参加したいという人が登場してきます。沖縄の労働者階級は戦争反対の闘う方針を求めていると、ひしひしと感じます。
 G7広島サミット反対の闘いで、僕に機動隊が襲いかかる動画が世界中に広がったんですが、それを見て許せないと思った人が、大行進の行動に参加しています。パレスチナ連帯のスタンディングで、僕が「ハマスの10・7蜂起はパレスチナ人民の渾身(こんしん)の決起なんだ」と訴えたら、沖縄戦を経験した女性が目を輝かせて「自分もそう思っている」と言って、マイクを持ってパレスチナ連帯を訴えて、その後も継続的に行動に参加しています。
 22年の11月集会に初めて参加した女性労働者は、「23年の集会は戦争反対で統一感があり、自分も戦争反対でもっと声を上げなければと思った」と言っています。沖縄も資本主義の矛盾が激しくて、すさまじい貧困と非正規職化が強制され、一方でものすごい排外主義があおられている。この中で若者が反戦の闘いに確信を持って決起しています。沖縄から東京まで飛行機のチケットを取って集会に行くのは、大変な選択と決起です。

反戦を軸に闘った1年

連日の反戦デモで組織  山口さん
〝闘えば勝てる〟と実感  矢嶋さん
自国政府の侵略に反対  高山さん
中国への戦争阻止軸に  赤嶺さん

(写真  矢嶋尋さん)

(写真 山口弘宣さん)

 司会 反戦闘争を軸とした23年の1年間の闘いを振り返ってみて、どうでしたか。
 山口 東京では、反戦一本で闘うという洞口朋子さんの決意に全面的に賛成して、杉並区議選を全力で担いました。その勝利があって反戦闘争を闘えた。
 11月集会に向かって、これまでの参加者を2倍、3倍にして3500人の結集を実現するためにはどうしたらいいのかを議論しました。「職場の仲間を組織することは重要だけれど、それだけではあと1人か2人しか増えない。ならば街頭に打って出て労働者を組織しよう」と提起した。でも、それまでは職場で地道にオルグを重ねて11月集会へという感覚だったから、「それで本当に2倍化、3倍化できるのか」という意見も結構あって、真剣な議論を重ねました。東京の各地区の力では数十人のデモしかできないけれど、各地区のデモに東京全体から集まれば100人規模になる。実際にそういう闘いを実践したら、街頭の人たちがデモに合流してくるようになった。ハチャメチャな方針に思えたけれど、こういう闘いを経験して、皆が「これで組織できる」と実感した。この闘いを実現できたのは、世界戦争が始まっているという時代認識をきちんと持てたからです。
 高山 23年は年頭からずっと行動がありました。思い起こせば22年は、情勢をつかむには学習という思いが強くあり、「問題意識を鮮明に、先鋭に持つために学習会をやろう」と呼びかけて、私がレポーターになって何回かの集会を開きました。23年の特徴は、街に出る、人に見てもらう、人との間に交流をつくることでした。行動の中で学習することに進化した。街頭での若い人たち、外国人との交流は、実質的には共闘です。共闘を実践したことが、私にとって一番の22年と23年の違いです。
 森川 ウクライナ戦争が始まってからマスメディアはナショナリズムを利用して国家対立の方向に持ち込んで戦争に動員しようとした。けれど、そんなのはインチキだと皆が気付いて、労働者階級と自国政府の対立構造、階級的な対立構造が戦争をめぐってはっきり表れる時代が来たと強く感じました。
  やはり時代認識が重要です。動労千葉の故・中野洋顧問がよく「会議では情勢から話を始める。情勢をきちんと認識しなければ方針も出せない」と言っていました。
 23年1年で言うと、2月の三里塚強制執行との闘いが非常に大きかったと思います。その後の杉並選挙、広島G7サミット粉砕闘争、8・6広島、そして10・7を機にいろいろなデモが行われた。一つひとつをやりきったことが11月集会の結集につながったと思います。
 矢嶋 機動隊との激突はこれまでもオリンピック粉砕闘争や安倍国葬粉砕闘争であったんですが、2月の三里塚は、機動隊の阻止線を破って12時間ぶつかり続けた。そういう経験は初めてだったので、自分の中にまだあった「権力万能神話」を打ち破って、闘えば勝てるという実感を持ちました。強制執行阻止を闘った学生・労働者が、権力の限界を見て、やればいけるという感覚を持ったことが、G7サミット粉砕を闘う力になりました。3・11福島と杉並選挙では、右翼もぶっ飛ばせるという確信をつかみました。
 高山 対決構造で物事を捉えることが当たり前になってきた1年だったと思います。今、自民党の裏金が問題になっているけど、あれを見るときの皆の視点は「何とかしてよ」という感じではなくて、「この国の政治の基本構造がこれなんだ。こんなものはひっくり返さなければだめだ」となってきている。対決構造で問題を捉え、その全体をひっくり返せとなることの延長上に、私は「内乱」があると思っている。矢嶋さんが「権力万能神話」を突破したということは、多くの人も潜在的には同じなんだと思います。
 赤嶺 沖縄にとって重要だったのは、全国の大行進の仲間と一体で闘ってきたことです。沖縄で中国侵略戦争反対をはっきりと打ち出したことが重要でした。アメリカ帝国主義は「ロシアを抑えつけ、中国を打ち負かす」と言って、中国への侵略戦争で生き延びようとしている。そのために沖縄を戦争の基地にする。沖縄では北朝鮮の衛星発射に対してJアラートが夜9時に鳴り、携帯が鳴りテレビも鳴って排外主義があおられました。米軍や韓国軍でさえ衛星と言っているものを日本政府は無理やりミサイルだと言って騒ぎ立てた。中国侵略戦争阻止が据わらないと、毎日のように行われる激しい排外主義キャンペーンにのまれてしまう。「中国とアメリカという大国にはさまれる沖縄は中立外交をしていきましょう」とか、「中国とアメリカの両方を呼んで沖縄で話し合いをしましょう」では、辺野古新基地建設を強行し宮古島へのミサイル配備を進める岸田政権への怒りにつながりません。
 高山 戦争絶対反対とは、戦争には総じて反対ということじゃなくて、侵略戦争に反対することなんです。自国政府との対決とは、自国政府の侵略政策に反対することです。おしなべて戦争はよくないという議論になった途端に、何が是で何が非か、何が正で何が邪かが全部あいまいになる。侵略戦争反対に絶対にこだわることが、私にとっての大きな教訓でした。もう一つ、自衛戦争だけは許されるという議論では、アメリカの軍事政策も全部許容されてしまう。ネタニヤフも自衛戦争だと言うし、ゼレンスキーは自衛するイスラエルに連帯すると言う。自衛戦争と言って侵略戦争が容認されてきた歴史があるのだから、自衛戦争をけっして認めてはならないんです。
 桝渕 この間、私は組合の会議で「日教組はパレスチナ情勢、ガザ虐殺に対して何の声明も出していないが、どう考えているんだ」と詰問しています。元日教組委員長の清水連合事務局長が、たった8行、あやふやな、立場を明らかにしない情けない談話を出しているだけです。中央委員会の議案にも一切書かれていない。私は組合の会議で戦争の話ばかりしています。一昔前は「桝渕さんは戦争の話をするけれど、うちらの仕事と何の関係があるの」と組合員からよく言われました。私が組合の会議で提起するのはほとんど戦争の話で、自分たちの仕事の話はほんのちょこっとだけ。それが今では当たり前になって、話を聞いている仲間が私をフォローして発言してくれます。
 でも、まだ至らないところが多くて、職場の仲間から「桝渕さんはすごく当事者感覚を持って戦争に反対しているけれど、僕たちは今のこの忙しさにかまけてしまって、ひとごとと感じてしまう」と言われたりする中で、「違うよ、あなたがそう感じたことがすごいんだよ」というやり取りを一人一人と交わしています。その中から11月集会に何人もの人が参加しています。24年はそれを爆発的に増やしていく年にしたいと思います。
  動労千葉は10月の大会で原則70歳まで組合員という方針を立てました。うちの組合員は国鉄分割・民営化反対の2波のストライキを首をかけて闘ってきた仲間です。そのかけがえのない団結、運動と組織を渡辺剛史書記長のような若い世代に引き継がなければならない。JRは「変革2027」と言って、職場を統括センターにして、今日は運転士、明日は車掌、次は駅、その次は清掃と、労働者を何でも屋にする攻撃をかけ、それを27年までに完成させようとしています。戦争をめぐってもこの5年が決戦です。この情勢と闘うためには組織が必要だと考えて、この方針を出しました。
 山口 組合の中で動労千葉の物販を数十年やり続けて、それが私たちの組合の一つの基盤をつくってきました。初めはほとんど売れなかった。動労千葉の役員を招いて講演してもらっても、「国鉄・JRのことでしょ、うちとは関係ない」という感想が多かった。でも、十数年、動労千葉の解雇撤回闘争支援を訴え続けて、動労千葉の闘いが組合に浸透している。うちの組合がストライキを打てるのも、その力があるからです。
 動労千葉が70歳まで組合員という方針を打ち立てたのは、闘う労働組合を維持するという強烈な意識を執行部と現場組合員が共有しているからだと思います。戦時下で新たな挑戦を始めた動労千葉の闘いを、われわれの運動の中にもっとしっかり位置づける必要があると思います。

情勢をどう捉えるか

戦後世界体制は大崩壊  矢嶋さん
反戦で組合の団結強化  桝渕さん
青年の決起でスト決断  山口さん
民族解放の蜂起に連帯  森川さん

(写真 森川文人さん)

 司会 24年決戦を闘う上で、今の情勢をどう捉えるかが重要です。
 矢嶋 大事なのは、今、私たちが生きているのはどういう時代なのかということです。戦後世界は基軸帝国主義のアメリカが、ヨーロッパでは北大西洋条約機構(NATO)、中東ではイスラエル、東アジアでは日米安保という形で3正面に巨大な軍事同盟をつくり上げて、世界を支配してきました。米帝は大没落して、国内ではブラック・ライブズ・マター(BLM)運動や中絶権の最高裁反動判決をめぐる決起、戦時インフレに対する労働組合の決起が巻き起こり、支配は揺らいでいます。米帝は数年後には政治的にも経済的にも軍事的にも中国に追い抜かれるという危機感に駆られて、中国侵略戦争に突き進んでいる。すでに3正面のうちの二つで戦火が起き、何万人もの労働者が殺されています。この情勢に対し、日本で日米安保粉砕の闘い、自国帝国主義打倒の闘いが巻き起こることに決定的な意義があります。
 赤嶺 10・7蜂起はパレスチナ民衆による民族解放・革命戦争であるとしっかり捉えることが重要です。パレスチナの命がけの決起に応える、体を張った実力の反戦闘争をつくらなければならない。11月集会は戦後日本の今まで通りの平和を求めるものじゃないんです。日本は戦後民主主義なんて言いながら、米帝による血みどろの世界支配を支えてきた。沖縄の基地から米軍機が飛び立って中東での戦争が行われてきた。日米安保と日本の政府を倒す闘いとして11月集会があり、11月集会自体が一つの情勢になって、集会の前と後では訴えるときの力強さが変わっています。
 森川 戦争と内乱の時代が到来して、ブルジョア民主主義的なものの虚構が明確になってきました。これまで平和主義だとか人権だとか言っていた国が、イスラエルによる虐殺を自衛戦争だとして擁護する。こんなデマは通用しなくなっています。護憲・平和ではなくて改憲阻止・反戦が民衆の階級的意思なんです。その分、われわれの行動と選択が問われます。歴史の変わり目にあるから身震いもしますが、自分たちの行動次第ですべてが決まる時代に入っています。
 高山 ものすごい激動と奔流の中に今の情勢があると感じます。一つは、ごまかしが進みつつある。リベラルと言われる法律家団体が、福島の核汚染水を「処理汚染水」と表現しています。あいまい化してどっちの立場に立つのかを明確にしない。
 その一方で、物事の正体が非常に鮮明になってきた。ハマスに対してどう言うかで、どの立場に立っているかは仕分けされるけれど、そこで岸田と日本共産党は同じことを言っている。問題が分かりやすくなり、われわれがどこに立脚して闘うかを明確に指し示すことも、しやすくなったと思います。
 赤嶺 京都大学では極右の元防衛副大臣の中山泰秀を呼んで「テロとの戦い」という講演会が行われた。そこで「ふざけるな。アメリカ・イスラエルこそがパレスチナ人民にテロをしてるだろう」ってやじを飛ばした京大生を、大学は公安警察を呼んで逮捕しようとした。とんでもないことが起きています。京大はイスラエルのテルアビブ大学と連携している。テルアビブ大学はイスラエル軍と一体の産官軍連携の大学です。僕も沖縄大学でパレスチナ連帯のビラをまいていたら、教員がそれを回収しに来たので抗議したら、「私は戦争反対だ。だけど私が戦争反対なのと戦争反対のビラを回収することは関係ない」って言う。ただただ暴力と金で労働者・学生を抑えつけている。対決構造がますます明らかになってきて、侵略に加担する大学なんか解体しろという機運が大衆的に生まれている。「帝大解体」っていう70年闘争時の大学闘争のスローガンが浮かないものになっています。
 桝渕 私の組合の組合員は公務員なので、「教育委員会が言うことは、おかしい、嫌だと思うけれど、従わざるを得ない」っていうことが結構あったりします。その中で常に私が言っているのは、「戦争反対だ、赤紙が来たら拒否するって急に言っても、恐らくできないよ。だから普段から当局や資本に対して抵抗する力をつけておかないといけない」っていうことです。すると若い人は、「そういうこと言っていいんですね」「おかしいと思ってたけど、言っちゃだめだと思ってました」と激甚に反応してきます。若い人にはストレートに通じるんです。
 「今、戦争で10分に1人の子どもが死んでいる。あなたたちがいる教室で、35人の子どものうち6人が1時間たったら消えてるんだよ」ってリアリティーを持って話すと、シーンとなりますよね。そんなことが許されていいのかっていうことが純粋に通じる。こんな時代だから、今まではこつこつと抵抗闘争を続けてきたけれど、今ここで立ち上がらなかったらすべてが戦争にのみこまれてしまう。職場の攻撃もすべて戦争に向かっている。こういう話をするとき、「あなた一人でそんなこと言える? 私だって言えないよ。何で私がこんな話を堂々とできるかっていうと、組合があるからだよ。皆の声が私に集まってくるから、私は堂々と話ができるんだよ」って言うと、皆「そうですね。組合って本当に大事ですね」ってなるんです。これを本当の団結として強めるために、このやり取りを繰り返し繰り返し進めなければなりません。
  情勢について言えば、私は労働組合なので、23年、そごう・西武のストライキ、アメリカでは全米自動車労組(UAW)のストライキがありました。11月集会を共に闘う全国金属機械労組港合同の昌一金属支部と日本機械工業労組は、11・19集会の翌日にストライキに立ちました。そごう・西武労組はUAゼンセンの傘下で、UAゼンセンは体制を維持するために育成された労働組合です。UAWも元々は腐敗していて、資本が労働者を支配するための道具に位置づけられていた。そこで全組合員の投票により執行部が代わり、ストに決起した。
 私たちは毎年ストライキをやっています。悔しいですが列車は止まりません。それでも団結のためにストライキをしているわけです。けれど今は、支配階級の側が崩壊したようなところでストライキが起きている。そごう・西武の後には山口放送や岩手医科大学などのストライキがあり、航空会社でもストを構えた闘いが行われた。世の中全体がストライキは当たり前という感覚になっている。岸田と経団連は何%の賃上げと言っていますが、そうではなくて労働者・労働組合は旗を立てて春闘を闘い、ストライキで賃金を上げるんだという機運をつくらなければならない。岸田と経団連が言う賃上げは大企業だけのことです。うちの組合員にもいますが、非正規職労働者は2100万人。非正規職をなくす闘争が必要です。国鉄分割・民営化以来の新自由主義に対して労働者階級が立ち向かい打ち勝つきっかけが日本にもできた。それを発展させなければなりません。
 山口 日本機械工業労組は昌一金属支部と同じ日にストライキを貫徹しました。一時金をめぐるストライキだけれど、そこに込めた労働者の思いは経済闘争の枠を越えている。会社は3期連続の赤字で債務超過、これに対して組合が闘いきれなかった面もあって、青年がどんどん職場をやめていく。この現実を覆すためにストライキを決断しました。うちの組合は77年の歴史があるけれど、今まで秋にストライキをしたことはないんです。一時金を1万円、2万円上げるために賃金カットされてストライキをしても割に合わないという感覚があった。ストライキをモノをとるためだけのものに位置づけて、それが持つ階級性、革命性を切り捨てる戦後労働運動のあり方にとらわれていた。これを打破しなければならないということでストライキをやった。組合員は、われわれを安い道具のように扱う資本への怒りに燃え、労働者の誇り、階級性をかけて闘いました。
 ストライキを実現できたのは反戦を徹底的に訴え、青年組合員が反戦闘争に立ち上がってきたからです。反戦闘争と職場の闘いは階級闘争として一つです。職場だけにとらわれてはいけないし、反戦闘争だけやって職場のことをやらないわけにもいかない。労働組合が闘わなければ戦争は止められません。
 連合は今、非常に純化した帝国主義労働運動として登場しています。芳野会長は共産主義に反対するんだったら何でもいい、自民党ともくっつくという姿勢です。資本と一緒になって戦争に突き進むしかないという運動に完全に変質した。この状況にわれわれがかみこんで、24春闘でどれだけストライキを組織できるかが大きな課題です。
 森川 23年は1923年の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から100年目でした。当時はロシア革命から6年後で、朝鮮での三・一独立運動と日本での米騒動という内閣を吹っ飛ばした内乱的蜂起に対する予防反革命として虐殺があった。政府が意図的に動員したジェノサイドだったことは階級的に見れば明らかです。100年後の今、それをしっかり総括するために、僕は韓国にも行って話したし国会前集会でも話しました。聞いてる労働者・民衆にそれは伝わったと感じます。100年前は大虐殺になってしまったけれど、今度は民族解放闘争と革命的な蜂起に連帯して勝利しなければいけないと思います。
 高山 関東大震災のときの虐殺について、政府が「記録は何もない」と言うのに対して、「事実はあった」という議論はあるけれど、予防反革命と捉えるのは新しい視点です。予防反革命ということは、それが必要なぐらいに革命の機運があったということです。日本はどうしようもない、デモもできない国だという議論があるけど、1917年のロシア革命から6年後に、日本で革命が起きる可能性が現実にあった。これはすごく大事なことだと思います。

24年決戦の決意と展望

昨日と隔絶した明日へ  森川さん
東アジアでの戦争阻止  関さん

 司会 最後に24年決戦の決意と展望をお聞かせください。
 高山 私は、ウクライナ戦争もパレスチナ戦争もずっと深刻化すると思います。ウクライナ戦争は、世界最高・最大の軍事力を持つアメリカでも泥沼状態にすることしかできない状況ですが、この戦争が深刻化しつつ続くことは避けられません。パレスチナについては、イスラエルはガザ地区の完全な制圧を狙い、戦争は中東全域に広がると思います。23年、私たちは街頭に出て、出会った人たちと共に闘った。こういう行動がさらに必要になる。24年は街頭にもっと出ようと提案したい。
 森川 11・19集会はこれまでの延長ではない新しいものを生み出しました。24年もこれまでの延長ではない新しい地平を切り開く覚悟で闘うことが大事です。仲間と団結することで力が何倍にもなる。その確信をわれわれはつかんだし、それを信じてさらに飛躍する。昨日の延長ではない明日を現実のものにすることが革命的な闘争です。それを皆でやりましょう。
 赤嶺 米軍のオスプレイが屋久島空港からたった1㌔のところに墜落し、漁民や周辺住民は恐怖に震えました。同盟軍と言われる米軍こそが住民や漁民の命を脅かしている。日本政府は必死に「不時着水だ」と言って、物事をごまかそうとした。これを見て多くの労働者階級が、資本家階級の語る「国家の防衛」や「安全」の虚構を実感したと思います。
 11・19集会で採択したパレスチナ連帯決議に基づいて、大行進と動労千葉は12月1日、イスラエルを軍事的に支援する伊藤忠アビエーションと日本エヤークラフトサプライへの抗議行動に立ちました。軍事企業への抗議行動はそれ一発で「日本は中立なんかじゃない。深々と戦争に加担しているんだ」っていう事実を暴きます。24年は冒頭から、日本の戦争協力を具体的に粉砕する抗議行動、実力闘争を沖縄で展開したいと思います。
  私がデザインを考えて動労千葉のTシャツを作ったんですが、「万国の労働者、団結せよ」の文字を入れました。韓日共同声明で宣言した通り、労働者の国際連帯で東アジアでの戦争を阻止するために闘います。
 JRは在来線の4割を廃止しようとしています。岸田はデジタル田園都市国家構想という形で、鉄道を廃線にする一方、防衛費は倍増するという、戦時国家改造を進めています。千葉の久留里線の久留里―上総亀山間を廃線の突破口にしようとしていますが、例えば羽越本線は、東北本線が不通になった場合、北海道から戦車などを運ぶために必要だから廃線にしない。久留里線の廃線が狙われている区間の赤字は2億4千万円ほどですが、羽越本線の赤字は88億円。でもそこは戦時輸送のために残すんです。鉄道労働者として戦時輸送は絶対にさせない闘いをしたいと思います。
 赤嶺 沖縄でも宮古島の下地島空港などの交通インフラや漁港を、防衛省の金で修繕すると言っています。軍隊のもとに社会全体が買収され組織される。大学も軍事研究に動員される。侵略戦争を具体的に阻止する労働者・学生の闘いが重要です。
 桝渕 私自身は教育労働者なので、「教え子を戦場に送るな」の闘いを中心に大行進運動をますます前進させたい。自治体による自衛隊への子どもたちの名簿提供は即、戦争につながると、教育労働者なら瞬時に分かります。子どもたちを守るんだ、戦場(いくさば)に行かせないんだと訴えれば、反戦を闘うあらゆる市民団体が「本物はここだ」と合流してきます。それを道しるべに団結を固め運動を広げていく。24年はそれが必ずできると思います。11・19集会で発言しましたが、「闘う教育労働者の私たちが日教組なんだ」って、日本中の教育労働者に訴えていきたいと思います。
 矢嶋 戦争がどんどん拡大する一方、ウクライナ戦争もパレスチナへの侵略戦争も、アメリカが完全にコントロールすることはできていません。米帝が没落して戦後世界体制が崩壊すればするほど、米帝は延命をかけて中国侵略戦争にのめりこんでいく。敵の側も本当に戦争をやるんだとものすごい大転換に踏み込んでいます。私たちは、それに勝てるような実力をつけて、左から事態をエスカレートさせなければいけない。労働者は戦争になったら絶対に立ち上がると思います。黙って殺されるような存在ではない。
 そこに強い確信はあるんですが、そのときに運動を主導しているのはどういう勢力で、どういう路線をとっているのかによって、闘いの成否は決まります。世界戦争の時代は人類史の未来を決する時代でもあるんです。それが、戦後革命期に日本共産党が2・1ゼネストを裏切って革命が一気に抑え込まれた歴史の教訓でもあるし、2015年の安保国会で日本共産党が実力闘争を徹底的に排除し運動を議会主義に流し込んで闘いをしぼませていったことの教訓でもあると思います。労働者階級の立場を真に貫く革命党の建設が必要です。11月集会の切り開いた地平があるから、それはできる。24年はその主体的な力量をつけなくてはいけないし、それは実現可能だと思います。
 今、立ち上がっている自分より若い人たちは、戦時下で一瞬にして人生をかけた闘いに決起します。生まれてからずっと新自由主義の中を生きてきて「鉄鎖以外に失うものは何もない」っていう『共産党宣言』の労働者像そのままのような世代が、どんどん立ち上がっています。帝国主義の侵略戦争に反対して闘おうという訴えが、本当に響く時代です。そうした闘いを全力で組織したいと思います。
 山口 帝国主義を倒すために必要なのは革命党です。そのために革共同は重要な存在であり、闘ってきた歴史があります。そして、階級的労働運動を組織する労組交流センターを発展させたいと思います。
 司会 24年は戦争がますます激化していくことは間違いありません。2月の日本ウクライナ復興推進会議で、日帝はウクライナへの武器供与に道を開こうとしています。中国侵略戦争が切迫し、沖縄も大決戦に入りました。反戦デモとストライキを巻き起こし、崩壊する岸田政権を打倒して、資本主義・帝国主義を覆す革命へ向かいましょう。ありがとうございました。

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