十亀弘史の革命コラム-15-「桐島事件」の報道に思う

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週刊『前進』04頁(3335号04面06)(2024/03/11)


十亀弘史の革命コラム-15-
「桐島事件」の報道に思う

 警視庁公安部が、入院中に「桐島聡」と名乗った人物について「桐島本人だった」と特定し、書類送検したというニュースが流れました。しかし、一連の事態には多くの謎が残されています。公表されているのは全て警視庁公安部からの情報でしかありません。そこには、労働者の闘いを貶(おとし)めようとする意図的なうそが多く含まれているに違いありません。また、援助者も立会人もいない瀕死(ひんし)の病人に対する公安部の「事情聴取」が、相当に過酷だったことも容易に想像できます。
 マスコミは、公安部情報を無批判に拡散しています。桐島氏が、あたかも三菱重工ビル爆破事件にも関与したかのようなイメージを広げ、その「残虐さ」を強調しています。一方で侵略資本の犯罪性は一切報じようとしません。
 「東アジア反日武装戦線」が、三菱重工や鹿島建設(旧鹿島組)、間組などに示した激しい怒りは正当です。三菱重工は、日本帝国主義の最大の軍需企業であり、戦前・戦中そして今も、殺人兵器を作り続け、無数のアジア人民の血を流しています。鹿島組と間組は、朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働の2大主体です。1945年の「花岡蜂起」は、過酷な労働と虐待で多くの仲間を殺された中国人労働者による、鹿島組への命がけの蜂起でした。間組も同じ罪を犯しています。それらの資本の加害に対する糾弾の意思は正しいと思います。
 しかし、彼らに決定的に欠けていたのは、労働者を信頼し、労働者を組織し、労働者と共に闘おうとする姿勢であり、そのように闘えば必ず勝てるという確信でした。彼らの一員で後に獄死した大道寺将司氏が、『明けの星を見上げて―獄中書簡集』(れんが書房新社)に書いています。「(侵略に無関心な)多くの日本人民に対する絶望感、不信感が抜き難くあったことから、ぼくたち自身を含む日本人民の生命に対する軽視があった」と。
 ガザの虐殺に加担する二つの企業に対する、私たちの抗議行動には「日本人民に対する絶望感、不信感」はありません。伊藤忠アビエーションと日本エヤークラフトサプライに真正面から激烈な怒りをたたきつけ、そこで働く労働者の耳にも鮮明な怒りを伝えました。資本と労働者は本質的に非和解です。そこに確かな展望があります。絶望ではなく希望と確信が、不信ではなく労働者階級への絶対の信頼が、侵略企業を根本から打ち砕いて行くのです。
(そがめ・ひろふみ)
2024.3.11

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