南西諸島戦場にするな 全港湾がストライキ ミサイル駆逐艦入港に反撃 石垣島で戦時下の反戦闘争

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週刊『前進』05頁(3336号02面01)(2024/03/18)


南西諸島戦場にするな
 全港湾がストライキ
 ミサイル駆逐艦入港に反撃
 石垣島で戦時下の反戦闘争

(写真 入港阻止へ石垣港で闘う住民。大行進神奈川も行動を共にした【3月11日】)

(写真 海上奥に、入港を強行した米ミサイル駆逐艦ラファエル・ペラルタが見える)


 3月11日、米海軍ミサイル駆逐艦が沖縄県石垣市の石垣港に入港した。これに対して石垣島の住民が怒り、その先頭で全日本港湾労働組合沖縄地方本部がストライキを決断。石垣島において八重山部会が全面ストライキに突入し、駆逐艦が出て行った13日朝までストライキを貫徹した。動労千葉は連帯を表明し、沖縄民権の会、改憲・戦争阻止!大行進神奈川は現地に駆けつけ連帯行動を行った。現地からの報告を掲載します。(編集局)

中国侵略戦争へ踏み込み

 米ミサイル駆逐艦ラファエル・ペラルタ(9500㌧)が3月11日、石垣港に入港した。米軍艦船が石垣港に入港するのは本土「復帰」後で3度目。これまで緊急の名目でオスプレイその他が石垣空港に着陸してきたが、今回はそれらに比してもより大きな意味を持つ攻撃だ。民間施設を含むすべてを最前線の攻撃拠点として使用するための踏み込みであり、米日帝国主義の中国侵略戦争態勢の質的なエスカレーションである。米軍と自衛隊がアイアンフィストと称する共同演習を展開している最中、また「釣魚島(尖閣諸島)の緊張」のもとでの強引な入港であることも銘記しておかなければならない。
 これに対して石垣島で、昨年9月の米海軍掃海艇の石垣港入港阻止闘争に続いて住民が闘いに立ち上がった。その先頭で全港湾沖縄地本(1500人)が那覇―石垣を貫いたストライキを物流を止めても実行すると決断。交渉の末、那覇港ではストライキは見送られたが、石垣港では全港湾八重山部会(50人)が11日の午後1時から全面ストに突入、駆逐艦が出て行くまでストを貫徹した。戦時下の反戦決起として入港・上陸阻止の大きく鋭い反撃がたたきつけられた。戦時下の攻防が火を噴いているのである。

EABO発動への攻撃だ

 ラファエル・ペラルタは横須賀を拠点とするイージスシステムを装備した駆逐艦だ。トマホーク・ミサイルを96発も発射する能力を持つ。これ1隻で自衛隊ミサイル基地の能力を上回るので「動くミサイル基地」と言われる。同駆逐艦は、空母に替わって台湾海峡に乗り入れ、いわゆる「航行の自由作戦」で南中国海の南沙諸島付近も航行している。海兵隊の遠征前進基地作戦(EABO)と結合してこのクラスの艦船が展開することで中国の「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」体制を突破し、釣魚島から台湾海峡に至る東中国海領域の制海・制空を実現しようというのだが、そのためには石垣島を米軍の拠点として押さえることが必要なのだ。それは宮古島を使用する作戦計画にもつながっている。
 今回の入港計画に対して、全港湾沖縄地本は危機感を持ち石垣・那覇港での全面ストを通告。沖縄港運協会(船主側の連合体、全港湾の交渉相手)は「安全に配慮して民間港への入港は控えてもらいたい。そこは一致している」と述べ、沖縄県も同様の態度を表明した。しかし、米軍と日本政府はそうした態度表明が形だけならまったく意に介さない。日米安全保障条約に基づく在日米軍地位協定により、米軍はいつでもどこでも好きなように動くことができる、となっている。戦争を阻止する力は労働者人民、地域住民の実力による闘争だけだ。

人民の決起が戦争止める

 バーゼル宣言が言うように、帝国主義国家権力を革命の現実性で脅かす人民の決起だけが戦争を止める力を持つ。今回、米駆逐艦の石垣港入港をめぐって港湾労働者と住民の決起が示したのはまさにこの真理だ。
 港湾労働者は全国の港で戦争の最前線に立つことを強いられる。ラファエル・ペラルタのような動くミサイル基地を無抵抗に自分たちの職場―労働現場に受け入れて、労働者と地域住民の安全など守れない。ここで「受動」を決め込んだなら、日本の労働者階級は戦争に反対する力を急速に失っていくだろう。だからこそ全港湾沖縄地本が、ここでストライキに立つことを決断した意義は大きい。
 同駆逐艦は喫水線が深いため、万トン級の観光クルーズ船が寄港できる停泊地でも安全基準を満たさない。米軍と日本政府は、そこを突破するために沖合に停泊し艦員を上陸させるという「知恵」を出してきた。何がなんでも強行したいのである。全港湾沖縄地本は、停泊地点は石垣港の検疫錨地(びょうち)であり、それは「接岸」でなくとも入港そのものだとしてストライキの貫徹を宣言した。その最終決断は11日の午前中までかかった。最後は「上陸」の断念がギリギリの線となったと思われる。政府と直結した石垣市の右翼・中山義隆市長は直前に上京して腹合わせをし、港湾労働者と住民団体の要求を拒否して、寄港も上陸もなんら支障はないという態度をとった。
 石垣港でのストで12日の港湾業務は止まり、石垣島の物流は大きな影響を受けた。右翼は市長にもあおられスト非難の声をあげている。だが、戦争へと流されていいのかという危機感にかられ、子や孫のことを思っての闘いが貫かれたのだ。この闘争は今後の反戦闘争全体の展開にとって決定的であった。動労千葉は関委員長の連帯メッセージを全港湾沖縄地本に届け、改憲・戦争阻止!大行進神奈川も応援に駆けつけた。
 これらは確実に現場の港湾労働者と上陸阻止の住民の闘争に力を与えた。早朝から夕刻まで30人が決起し、上陸する米軍の大型バスに体をぶつけて阻止行動をやり抜いた地元住民の闘争も新しい発展を遂げるであろう。
(黒島善輝)

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