十亀弘史の革命コラム-29- 「満洲国」での治安維持法
十亀弘史の革命コラム-29-
「満洲国」での治安維持法

これは日本が犯した〈ガザのジェノサイド〉じゃないか。『検証 治安維持法』(荻野富士夫著、平凡社新書)の「第六章 『満洲国』の治安維持法」を読みながら、強くそう感じました。以下の事実の紹介は基本的に同書によります。
1932年の「満洲国」建国後も、中国人共産主義者や民族主義者による「反満抗日」の決起が絶えません。しかし、「関東軍を主体に、関東憲兵隊や『満洲国』軍・警察が一体となった治安戦というべき軍事的討伐が猛威を振る」い、「三〇万人ともいわれた反満抗日勢力は三五年頃には数千人にまで激減」させられます。それでも抵抗は絶えず、決死の決起やそのための組織の結成はなおも続きます。それに対して、「軍事的討伐」に「思想的討伐」を重ねた残虐極まる弾圧が強行されます。43年には憲兵隊長が、「八路軍は一人残さず殲滅(せんめつ)せよ。八路軍に食糧を与えた者も皆死刑にせよ」と命令しています。
日本帝国主義の敗戦・中国人民の勝利まで、すさまじい虐殺が続きます。「中国共産党員・八路軍兵士、反満抗日運動にかかわるとみなした農民・学生ら」が次々に検挙され、拷問にかけられ、多くが「厳重処分」に付されます。「厳重処分」は殺害を意味し、当時の憲兵隊員が、「その殺害方法は『主に銃殺、斬殺』であり、『特殊なものは軍用犬に咬(か)み殺させたもの、刺突の標的としたもの、射撃の標的としたもの、毒瓦斯(ガス)試験用としたもの、生体解剖に使ったもの』もあった」と告白しています。
七三一部隊で虐殺された闘士たちは最低でも300人に上ります。「暫行懲治叛徒(はんと)法」や「『満洲国』治安維持法」を駆使しての、あるいはそれらさえ超える弾圧による、学生や青年を多く含む何十万という犠牲者の数、そのおびただしい血の量とその凄惨(せいさん)さに身震いを覚えます。直ちに、ガザでのジェノサイドを想起させますし、私たちが償うべき血債の具体相を厳しく把握させられます。
著者は、その「終章」では、この先の「新・治安維持法」の制定を想定した上で、同書を次のように締めくくっています。「(いま)排外主義の沸騰を契機に『新しい戦中』に突入し、新たな『国体』が生み出されていくことが予想される」。私たちは、その中国への再びの侵略戦争が始まる前に、必ず日帝を打ち倒さなければなりません。
(そがめ・ひろふみ)
2025.5.19