団結ひろば 投稿コーナー
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4・28闘争で団結を実感した
首都圏・高校生 田中結斗
4・28沖縄デー渋谷デモには全国から仲間が結集し帝国主義打倒に向けて全力で闘うことができました。集会で話された沖縄の現状に対する怒りと、状況を変えなければならないと訴えかける声には、強く心を動かされました。デモ自体も世間に大きな影響を与えることができて、大成功だったと言えるでしょう。
スクラムを組んだのは初めてだったので正直どうしていいかわからず、最初は周囲の人との距離感がうまくつかめませんでした。それでも、前へ前へと行進を続けているうちにみんなとの一体感が生まれ、次第に気分が高揚していきました。道すがら機動隊から厳しい弾圧を受けましたが、その度に「闘い抜こう!」と意志が燃え上がるのを感じました。また、隣の仲間が強く押さえつけられる姿を目の当たりにしたときには赫怒(かくど)し、途中途中にこうした困難はあったものの、権力からの峻烈(しゅんれつ)な弾圧を乗り越え仲間と団結した闘いは、有意義なものでした。
シュプレヒコールに反戦の意志をのせて必死に闘う人々の姿には、とても勇気づけられました。決戦アピールで新入生が「生きる希望を得た」と語っていたことを思い浮かべ、私もそれに近いものを実感しました。そして、これから世間へ影響を与えることと同じくらい、仲間への呼びかけを大切にしながら活動する決意が固まりました。
沖縄戦美化の居直り許せぬ
東京 新谷洋介
本紙3393号に、沖縄戦の牛島満司令官の「辞世の句」を中谷元・防衛大臣が「平和を願う歌」と美化したことを弾劾する記事が載っていました。全くその通り、と共感。沖縄戦の敗北を認めて腹を切る司令官が、残った将兵に投降を認めず最後の一兵まで戦えと命じた。こんな男が「平和を願った」はずがあろうか。この司令官のおかげでどれほど多くの死ななくてよかった命が奪われたことか。全くあり得ないことを言っているのです。
要するに中谷は、牛島を美化することで沖縄戦を美化し、旧日本軍を正当化しているのです。「日本軍は国土と国民を守るために沖縄県民と協力して最後まで頑張った」と百八十度転倒させて歴史を描き出そうというのです。陸上自衛隊第15旅団(沖縄県那覇市)がホームページから牛島の歌を削除しないのは、陸自が悪名高き32軍を引き継ぐという宣言です。
そもそも敗勢は決定的なのに、「もう一度戦果を挙げてから」という天皇ヒロヒトの言葉で、硫黄島戦のような島ぐるみ焦土と化す「玉砕戦」を、当時40万人いた沖縄本島で再現する作戦が採られたのです。国体=天皇制を守るための時間稼ぎ、文字通りの捨て石にされたのです。
日本軍ははなから沖縄県民を守る意思はなく、スパイ視して虐殺する、壕(ごう)から追い出す、食糧を奪う、果ては米軍への投降を認めず「集団自決」を強制するなど、許せない暴虐を繰り返し、「軍隊は住民を守らない」という痛切な教訓を残しました。
ひめゆりに関する西田昌司議員の暴言、それに輪をかけたような参政党代表・神谷宗幣の暴言が相次いでいるのは、米日帝の中国侵略戦争に向かって、沖縄戦の歴史を書き換えなければ前に進めない敵の焦りがあるからです。沖縄の怒りと結んで、戦争絶対反対の闘いを爆発させなければ、と改めて思います。
三里塚 竹尾さんを偲ぶ会
全学連 今井治郎

5月10日に千葉市のDC会館で、3月9日に亡くなった吉田素子同志(通称・竹尾さん、享年90)を偲(しの)ぶ会が開催され、約40人が集まり竹尾さんの思い出を語り合いました。
竹尾さんは1976年、三里塚が鉄塔決戦に上り詰めていく過程で神奈川地区から現地に移って食事・生活全般に責任を取り、83年の「3・8分裂」後には婦人行動隊新聞の編集を担い、条件派と決別する絶対反対同盟の確立に力を尽くしました。同志の思い出話の中で、南三里塚の闘争会館時代、多い時には百人近くの食事を取り仕切っていたというのには驚きました。
私が竹尾さんと一緒に活動したのは、現地行動隊として三里塚現地に常駐した2012年の春から20年秋までです。竹尾さんはすでに70代半ばでしたがとても元気で、車の運転も食事の準備も難なくこなしていました。いわしの手開きを教わったり、談笑しながら一緒に餃子(ぎょうざ)のあんを皮で包んだことを思い出します。
竹尾さんの生き方には、学ぶことがたくさんありました。一つは、青年・学生の決起を喜び、ともに闘う姿勢です。若い学生が現地を訪れた時、竹尾さんはいつも笑顔でみんなを迎え入れて話を聞き、自分の経験と革命運動への確信を語りました。
二つは、闘争を続けるための規律です。食事は活動する上で一日も欠かすことができません。それを40年以上担い抜いたのは、強力な意識性のたまものに他なりません。三つは、晩年まで自身が一人の革命家としてあるという自覚を持ち続けていたことです。
私も竹尾さんから学んだことを実践し、革命の勝利と三里塚闘争の勝利の報告を必ず果たすことを誓いました。