天皇にひれ伏す沖縄・玉城県政 戦争責任を不問にして総翼賛
週刊『前進』04頁(3403号04面03)(2025/07/07)
天皇にひれ伏す沖縄・玉城県政
戦争責任を不問にして総翼賛
6月4~5日の天皇ナルヒトの沖縄訪問は「慰霊」を装い、沖縄県民の怒りをなだめるために行われた。天皇を積極的に迎え入れた玉城デニー沖縄県知事は、5日の記者会見で天皇を絶賛し、ひれ伏した。中国侵略戦争に向けた総翼賛体制を許してはならない。
日米帝国主義がたくらむ中国侵略戦争は、沖縄を再び戦場にたたき込むことを前提にしている。南西諸島のミサイル基地化が進み、米兵による女性暴行事件が続発する中、沖縄戦の再来に対する沖縄県民の危機感と怒りは煮えたぎっている。だからこそ天皇の訪沖は強行された。改憲・戦争阻止!大行進沖縄はこれと真っ向から対決し、天皇制暴力を振りかざした弾圧にひるまず闘い抜いた。
昭和天皇ヒロヒトは、第2次世界大戦での日帝の敗北が必至となる中で、「国体護持」のための「捨て石作戦」として沖縄戦を強行した。県民の4人に1人が命を奪われた地獄は、天皇によってつくり出されたのだ。戦後もヒロヒトは自身の延命のため、1947年9月、米占領軍に「25年から50年ないしそれ以上の長期にわたる沖縄の軍事占領を希望する」としたメッセージを送り、沖縄を売り渡した。
だが玉城知事は記者会見で、天皇の戦争責任は不問に付し、昭和天皇や上皇アキヒトは「再び戦争を起こしてはならないという努力を続けてきた」と述べた。そして、現天皇は「さらに平和な時代、社会をつくっていくための勤めに徹している」と発言した。ヒロヒトを含む歴代天皇が平和を望んできたかのように描くのは、まさに転倒だ。その上で玉城知事は、現天皇の気持ちや姿、言葉を「広く国民が共有できる環境にしていくことが私たち行政の責任」とまで言った。これは、行政は「天皇の官吏」になるべきだと言うに等しい、恐るべき発言だ。
現憲法は本来、天皇の政治行為を一切禁じている。まして天皇の政治的発言を行政が押しいただくことなどあってはならない。だが護憲やリベラルを自称する勢力は、天皇を「平和主義者」とする虚構の上に、天皇の政治関与を積極的に認めようとしているのだ。
日本共産党は天皇訪沖について、『赤旗』に1行の記事も載せず沈黙を決め込んだ。玉城与党として天皇制を容認したのだ。
戦後、天皇制は人民の激しい怒りに包囲され、象徴天皇制という形でしかその維持はできなかった。だからアキヒトは「沖縄に心を寄せる」者として意識的に自らを演出してきた。だが天皇制はあくまで日本帝国主義の支配の要だ。中国侵略戦争の切迫下、天皇は「平和」の装いを捨て、「元首」として再登場しようとしている。アキヒトは天皇であった18年3月、陸上自衛隊与那国沿岸監視隊が発足して2年の記念日に与那国島を初訪問した。自衛隊の侵略軍隊化にとっても、天皇を忠誠の対象とすることは絶対に不可欠だ。
天皇来沖弾劾闘争で不当に起訴された全学連のAさんを早期に奪還し、無罪をかちとろう。階級闘争の決戦課題に浮上した天皇制打倒の闘いを、中国侵略戦争阻止をかけて貫徹しよう。