10・20三里塚蜂起戦40年 反対同盟との血盟にかけ三里塚闘争勝利まで闘う 革命的共産主義者同盟

発行日:

週刊『前進』04頁(3418号03面01)(2025/10/20)


10・20三里塚蜂起戦40年
 反対同盟との血盟にかけ三里塚闘争勝利まで闘う
 革命的共産主義者同盟

(写真 国鉄分割・民営化攻撃と並行してかけられた三里塚第2期着工攻撃と対決し、全学連を先頭とする部隊が成田空港第3ゲートへと進撃して機動隊と激突した1985年10・20三里塚十字路戦闘)

 日本帝国主義・中曽根政権の成田空港第2期工事着工(B滑走路建設)攻撃に対し、全学連行動隊を先頭に空前の大衆的実力闘争・武装闘争をたたきつけた1985年10・20蜂起戦(三里塚十字路戦闘)から40年を迎えた。10・20蜂起戦は、翌月の11・28―29の動労千葉の国鉄分割・民営化阻止のストライキ、浅草橋戦闘―革命軍の大ゲリラ戦と一体となって、日帝・中曽根の「戦後政治の総決算」に大打撃を与えた。以後40年、三里塚と動労千葉、そして革共同は、ありとあらゆる弾圧と転向・屈服・変質を迫る攻撃と闘いぬき、今日の日帝のどん詰まりの危機と高市反革命の登場、中国侵略戦争への突入という決定的情勢を迎えている。この時にわが革共同の内部から石田反革命を生みだしたこと、それにより三里塚芝山連合空港反対同盟に「10・12全国集会中止」という「苦渋の決断」をさせることになってしまったことについて、革共同は、反対同盟ならびに三里塚闘争を闘うすべての人々に謝罪します。そして石田反革命を完全に打倒し、反対同盟との血盟にかけて三里塚闘争の勝利=日帝打倒の革命の勝利まで闘いぬく決意をあらためて固めたい。

今こそ軍事空港粉砕へ!

 まず、日帝の中国侵略戦争突入という現情勢において、三里塚闘争が国家権力による市東孝雄さんの農地の強奪を阻止し続け、全国の闘う労働者、農民、学生、人民が結集する反戦=革命的内乱の砦(とりで)として存在していることの巨大な意義について、革共同は反対同盟と共にあらためてしっかりと確認する。
 闘争初期から反対同盟が掲げてきた「三里塚軍事空港粉砕」のスローガンは、今こそ高々と掲げられなければならない。米日帝国主義の中国侵略戦争は、日本全土の出撃・兵站(へいたん)基地化なしに成り立たない。成田空港機能強化―B滑走路延伸、第3滑走路建設(「成田空港第2の開港プロジェクト」)が、中国侵略戦争への民間空港の総動員の攻撃と一体であることは明白である。
 日帝が成田軍事利用を「公言」できないのは、「軍事空港粉砕」を掲げてきた三里塚闘争あるがゆえだ。日帝の成田空港機能強化・拡張の攻撃は、周辺住民・農民にすさまじい騒音と農地・農業、地域の破壊をもたらそうとしている。
 この時に60年にわたって国家権力と非和解で闘い、空港絶対反対、農地死守・実力闘争を貫いてきた三里塚反対同盟の闘いは、空港周辺の全住民・農民の怒りと必ず結合する。激化する沖縄・九州、日本全土の基地強化の攻撃に対して立ち上がっている住民・農民の闘いとも全面的に結合し、「侵略を内乱へ」の情勢を全国的につくり出していく圧倒的展望がある。
 革共同は中国侵略戦争阻止の巨大な反戦闘争の中に、反対同盟と共に血を流して守り抜いてきた三里塚闘争を決定的に位置づけ、三里塚闘争の勝利を必ずかちとる。

石田反革命の介入許さぬ

 第二に、この三里塚闘争の歴史的な勝利のために、石田反革命との闘いは絶対にあいまいにできない。
 石田反革命は革共同の内部から生み出された反革命であり、この反革命が三里塚闘争や動労千葉、11月労働者集会に介入することを阻止し粉砕することは、革共同の責任において必ず果たさなければならない。しかし、これは、決して革共同という「一党派」の問題ではないことを訴えたい。
 国家権力と闘う運動・組織内における女性差別・性暴力を徹底的に糾弾し、粉砕し、自己批判させることができないような運動・組織は、必ず腐敗し、変質する。階級社会に根を張り、末期的腐敗を極める帝国主義の下で激化する女性差別を絶対に許さず、女性解放闘争を徹底的に闘うこと抜きに、帝国主義と非妥協的に闘いぬくことはできない。このことを明確にした時、革共同には、この問題について、反対同盟をはじめ三里塚闘争を闘うすべての人民に対して、自らの自己批判をかけて徹底的に明らかにし、石田反革命を粉砕し尽くす義務がある。
 あらためて石田反革命とは何か。2024年11月の関西における党内女性差別・性暴力を擁護する指導部の打倒を決断した女性同志たちの蜂起から革共同第34回全国委員会総会の烈火の過程を経て、革共同は革命的女性解放闘争の貫徹=プロレタリア暴力革命・共産主義に向かって、「すべての逡巡(しゅんじゅん)を許さず」「荒々しく」進撃を開始した。その革命的前進があぶり出したものこそ石田反革命だ。
 「政治局員」「中央学生組織委員会(SOB)議長」という「革命党幹部・石田」による党内女性差別・性暴力を絶対にあいまいにせず、石田を徹底的に打倒し自己批判させようとする政治局と全国委員会総会を破壊するために、石田らは反革命「蜂起」に踏み切った。これは当然にも、関西で決起した女性同志や労働者同志らの怒りで瞬時にして粉砕された。
 にもかかわらず石田一派は恥知らずにも「革共同」「中核派」「全学連」を名乗り続け、反革共同のデマ宣伝をSNS上でばらまき続け、革共同を憎悪する国家権力と反革命・反動・腐敗分子を喜ばせている。このような石田反革命が、三里塚闘争に介入することなど断じて認められない。
 三里塚闘争は革命的女性解放闘争の結集軸となってきた。大木よねさん、婦人行動隊の闘いは、農村で抑圧されてきた女性たちが、文字どおり政治と暴力を奪還し、国家権力・機動隊に真正面から実力闘争を挑んだ闘いだった。この闘いに多くの女性労働者・学生・人民が感動し、三里塚闘争に自らの解放をかけて結集し闘った。この三里塚闘争に、革命的女性解放闘争に敵対する石田一派のような反革命が入り込む余地は1ミリたりともない。
 三里塚闘争は、原則的闘いを貫き通すために、実力闘争・革命的暴力を否定する日本共産党スターリン主義との決別、反革命カクマルの永久追放、三里塚闘争の条件闘争化・体制内的変質を図った脱落派との1983年3・8分裂など、幾度もの激しい党派闘争、分岐・分裂を経てきた。闘争を変質させ解体しようとする者と非妥協的に対決してきたからこそ今日の三里塚闘争がある。
 そして革共同自身もこの三里塚闘争において、亡き戸村一作委員長、北原鉱治事務局長、萩原進事務局次長、市東東市さんを始めとする反対同盟の革命的精神と不屈の闘争に学びつつ、自らを徹底的に打ち鍛えてきた。この三里塚闘争と革共同の60年の血盟、共闘関係の中でつくり出してきたものと石田反革命とが絶対に相いれないことはあまりにも明白である。
 日帝権力は中国侵略戦争の前に立ちはだかっている三里塚闘争と反対同盟を何としても破壊しようとしている。石田反革命はその最悪の先兵だ。石田一派を打倒し、軍事空港反対、農地死守・実力闘争を貫き、市東孝雄さんの南台農地死守・空港機能強化粉砕の闘いを全力で闘おう。
このエントリーをはてなブックマークに追加