5・24関西女性解放学習会の提起 戦時下で激化する女性差別に抗し、帝国主義の侵略戦争に立ち向かおう

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週刊『前進』04頁(3451号03面01)(2026/06/15)


5・24関西女性解放学習会の提起
 戦時下で激化する女性差別に抗し、帝国主義の侵略戦争に立ち向かおう


 5月24日の関西女性反戦行動実行委主催の学習会での谷口恭子さんの提起を抜粋して掲載します。革命的女性解放闘争は、革共同が「7回大会路線の根本思想」を粉砕し、血債の思想を取り戻して「連帯し、侵略を内乱へ」を基軸とした10回大会路線を貫徹する根底的な闘いです。中国侵略戦争―世界戦争情勢下、反帝国主義・反スターリン主義世界革命へ、革命的女性解放闘争を貫き闘いましょう。(編集局)

0、はじめに

 すでに第3次世界大戦が始まっている。アメリカ帝国主義が世界支配を維持できなくなり、中国スターリン主義体制を粉砕する中国侵略戦争で自らの延命を図っている。それは間違いなく世界戦争、核戦争を不可避にします。そして日本の高市政権が帝国主義の存亡をかけて中国侵略戦争に突進しています。改憲・大軍拡の攻撃と一体で差別・排外主義が激しくあおられ、社会全体がその波にのみ込まれ、再び三度の侵略国家へと変貌(へんぼう)し、私たち一人ひとりもまた差別・排外主義を「受け入れ」、侵略戦争を担わされてしまう。この情勢とどう立ち向かい、帝国主義の侵略戦争を阻止するのか、侵略戦争を不可避とする帝国主義そのものを打倒するのかを、女性差別を軸に考えてみたいと思います。
 今年の5・15沖縄闘争は、中国侵略戦争の最前線としての米軍、自衛隊の実戦演習の激化と空港、港湾をはじめ沖縄全土の戦場化、あるいは辺野古新基地建設反対の闘いをつぶそうとする攻撃が吹き荒れる中で、「中国侵略戦争阻止、全基地撤去、日米安保粉砕・日帝打倒」の実力闘争を闘いぬきました。
 日帝は沖縄を米帝に売り渡し、日米安保体制をテコとして帝国主義としての延命と「復興」を果たしてきた。そして沖縄が基地の島として固定化され続けていることにより、私たちは沖縄の女性たちに米兵からの性暴力がくりかえされている現実を強制してきたし、それは続いているのです。基地の存在で沖縄の経済は基地依存、観光依存にならざるを得ず、沖縄の貧困化は突出しています。1人当たりの県民所得は全国最低、母子家庭の多さは全国1位です。戦後アメリカに売り渡されたことにより、本土の私たちが享受してきた権利や社会保障すら受けられなかったことが今の沖縄の現実をつくりだしていると指摘されています。10代の若者を含め沖縄の多くの女性たちは、より過酷な女性差別、苛烈(かれつ)な戦場の現実のなかで生きていかざるを得ない。三度の世界戦争が開始された今、なにか救済主義的なものを対置するのではなく、アメリカ帝国主義打倒、日本帝国主義打倒をストレートに訴え、中国侵略戦争を内乱に転化する本土―沖縄を貫く闘いこそが求められています。
 「憲法は日本の宝」と言う人たちがいますが、こうした現実を日本国憲法の下でつくりだした責任が私たち自身にあることを絶対にアイマイにはできません。私は、憲法9条を変えるべきではないと考えますが、天皇条項を第1条にかかげる日本国憲法を「宝」などと称するのは間違いであり、戦争を阻止する思想ではないし、むしろ害悪だとすら思います。天皇の名において、沖縄戦でどれほどの命が奪われ、戦後の売り渡しでどれほどの犠牲が強いられてきたのか、ということです。
 さて、世界経済フォーラムというところが毎年出しているジェンダーギャップ指数で、常に日本は主要7カ国(G7)で最下位(世界148カ国中118位/2025年)というのはよく知られていますが、毎年指摘されているのは、政治の分野が極端に低い、女性議員が少ない等ということ、そして、経済面では男女の賃金格差です。そうした日本で、初の女性首相誕生という「喜ばしい」事態が生まれた、とさかんに言われています。しかし、ジェンダーギャップ指数や高市の首相就任で、私たち女性の解放が少しでも歩みを進めたと言えるのでしょうか? 全く否です。
 女性管理職が増えれば、男女の賃金格差がなくなれば、女性差別はなくなるのでしょうか? 高市が首相になったことで、女性に幸せが訪れるのでしょうか? 「そうだ」と答える人もいるでしょう。「『売る側』にのみ処罰を規定する『売春防止法』の見直しが始まった、まさに女性である高市さんが首相になったことで画期的事態」などと称賛する声もあります。しかしこの「議論」により、「(買春の処罰は)国民の自由を不当に制限しないか十分な検討が必要」(平口洋法相)だの、「憲法13条は個人の尊重を定めており、公権力は私的領域に安易に介入すべきでない。性行為はその私的領域の中核にある。売春防止法の処罰範囲を広げる場合、必要性や合理性について慎重な議論が求められる」(大林啓吾・慶大教授〔憲法学〕)だのと言った言説をはびこらせることにつながっていることは重大な問題です。
 高市の意図は、彼らの表現を借りれば「個人の尊重」や「私的領域の中核にある性行為」を売買の対象とし、金銭と引き換えに女性の命と尊厳を踏みにじり凌辱(りょうじょく)していることを「国民の自由」などと盗人猛々しく居直らせることではありませんか! 性の商品化、女性の肉体が商品として売買されるこの社会を打倒することなしに、女性の解放も女性の幸せも望むべくもありません。高市が首相になり、侵略戦争国家づくりに突進している姿の一体どこに、女性の解放や幸せな未来を見出すことができるでしょうか。打倒あるのみです!
 あらためて問いたいのですが、昨今言葉としては定着してきたように思われるジェンダー問題とは何を提起しているのでしょうか? 持続可能な開発目標(SDGs)の「ジェンダー平等」は、「ジェンダー平等を達成し、すべての女性および女児の能力強化を行う」とあります。おそらく真面目に熱心に取り組んでいる人たちは真剣に女性差別をなくそう、あらゆる差別をなくそうという思いで活動している人たちも多くいらっしゃるでしょう。ですが「ジェンダー平等」の最終目的を「能力強化」とうたっていることが示すように、女性管理職が増え、男女の賃金格差が仮になくなったとしても、資本主義社会の下での賃金奴隷からの解放、差別・抑圧からの解放にはなりえません。
 昨今は、セクシャルハラスメントではなくジェンダーハラスメントという言葉も現れています。いよいよ、「女性差別」という言葉が亡き者にされようとしていると感じます。
 私はあらゆる差別に反対して闘っていきたいと思っています。もちろん、知らないこと、わからないこと、間違っていることも自らの内に当然あるのですが、今の社会は女性差別社会であることをあらためてはっきりさせたい。このことを声高に主張しないといけないこと自身に衝撃を受けていますが、自らの解放をかけて、そして同義である全人間の解放をかけて、始まった世界戦争を世界革命に転化していくために、革命的女性解放闘争を力強く前進させていきたいという思いです。
※セックス(Sex):身体的な特徴や生まれ持った生物学的な性別(オス・メスなど)
※ジェンダー(Gender):生物学的な性別(セックス)とは異なり、社会・文化的に作られた「男らしさ」「女らしさ」といった性別や、社会的役割、態度などのこと
※ジェンダーギャップ指数は「経済」「教育」「健康」「政治」の分野で男女格差を評価し、数値化したもの(アメリカ42位、中国103位)

1、女性差別の歴史を概括してみる

 人間社会に私有財産・階級が発生すると共に、男による女の抑圧、親による子の抑圧として父権制家族が歴史に登場しました。これは、「女性の世界史的敗北」と言われています。
 人類が、食べるだけで精一杯だった時代には、食料を備蓄するような力はありませんでした。その頃は、階級社会は存在せず、共同体の一員である子どもを産む性である女性は、子の親として存在の確かさに裏打ちされ、共同社会の中で威厳をもち、従属的な立場に追いやられることはありませんでした。
 牧畜や農耕が発展し、余剰生産物(備蓄できるほどの食料など)を作りだすことができるようになると、共同体の共有財産であった土地や生産手段が私有財産に転化していきます。生産と余剰生産物を管理監督する役割を果たす者、そのような精神労働をつかさどる者が固定化して、支配者となっていきます。その私的所有と支配階級としての存在を維持・存続させていくものとして個人的支配=家族的独占が現実化し、特定の家族の他の家族への支配、家族関係の私有財産、権力維持機構への転化、家父長制と女性の従属的身分化など、生殖関係が私有財産と権力維持のための道具になることが必然化しました。人間生活の社会的生産行為が肉体労働と精神労働とに分裂し、生産手段と生産物が私的所有になったことで、疎外された社会的分業が成立し、男と女の自然的「分業」も、疎外された社会的分業へと固定化されていきました。
 この疎外された分業が成立していく過程は、本来、生産手段・生活手段の生産と、他人の生活の生産(生殖)とは、統一的な社会的生産であったはずのものを、「私的」なものと「公的」なものに分裂させ、前者を「公的」なもの、後者を「私的」なものとして貶(おとし)めていく過程でもありました。そのことによって女性は、「公的」な社会的生産一般から排除され、「家内奴隷」「子産み道具」とされたのです。マルクスが言う、人間と人間との関係における最も「直接的で自然的で必然的な関係」としての男と女、親と子の関係が、支配、従属抑圧、差別の関係として作られていきました。基軸的社会的生産から排除された女性の労働は、私的労働、補助労働とされ、女性は「無能力者」とされました。女は「劣った性」「弱い性」として差別・抑圧の長い歴史を歩まされることになったのです。

2、資本主義社会での女性差別、日本では

 私たちが生きる資本主義社会では、女性差別はどのように現れるのでしょうか。
 資本制社会では、人間の労働力を商品にすることを基礎に、すべての生産物を商品として生産します。だから、この社会を支配している資本家階級、資本にとっては価値(剰余価値・儲〔もう〕け)を生み出す行為=商品を生産すること以外は無価値なもの、意味のない行為なのです。資本家にとっては、商品を生み出す過程こそ意味があり、価値があるものではあるが、労働力商品の担い手である労働者が、日々の賃金労働を貫徹できるように労働力を再生産する過程は、資本のあずかり知らぬこととして、労働者個人にゆだねられています。つまり、一人ひとりの労働者個人が、毎日賃労働に勤(いそ)しむことができるようにするための家庭労働、家庭における労働者階級の男女の生活は、「私的」な領域とされ、「無きもの」とされています。
   ◇    ◇   
『共産党宣言』マルクス・エンゲルス著
 ブルジョアジーは、支配権をにぎったところでは、あらゆる封建的、家父長的、牧歌的な諸関係を破壊した。人間を生まれながらに上下に結びつけていた多彩な封建的な絆を無慈悲にひきちぎり、人間と人間のあいだに、むきだしの利害、冷たい「現金勘定」以外にどんな絆をも残さなかった。......ブルジョアジーは、家族関係から、涙をさそう感傷的なベールをひきはがし、純粋の金銭関係に還元してしまった。
   ◇    ◇   
 これは、『共産党宣言』のかなり序盤の部分の一部抜粋です。ブルジョアジーは、家族関係を純粋な金銭関係にしてしまったのです。「現金勘定」以外の絆などないと表現しています。資本主義は、無限の価値増殖を追い求め、ブルジョア家族というものは、資本と私有財産の相続が目的になります。資本主義が発展していく過程の自由主義段階はまさにこうした過程でした。資本の自由な展開と発展こそが価値あるものとされ、個人個人が自由平等で、資本は個人を自由に搾取すればよかったのです。このブルジョア的物神崇拝によって家庭労働は「無価値なもの」として切り捨てられる一方で、労働力商品化に対応した性の商品化を生み、底知れぬ退廃を資本主義社会は生み出していきます。
 そして、帝国主義段階という「死滅しつつある資本主義」に世界が突入したことで、帝国主義段階の支配的資本である金融資本は、国家をとおして「家族」「家庭」をも支配していくようになります。「自由な発展」が頭打ちになった資本主義である帝国主義は、世界再分割・侵略戦争と国家支配のために「家族」に介入するようになります。
 日本ではどうでしょうか。資本主義社会として近代国家を形成していくところから、少しひも解いてみようと思います。
 私たち現代日本で生きる女性は多かれ少なかれ家父長制に抑圧、支配されてきた経験があると思います。両親は離婚して母親に育てられたので、家父長制はあまりわからない、という人もおられるでしょう。その場合、経済的貧困を強制された母子家庭になるケースがほとんどだと思います。そのこと自身が、家制度や家父長制に基づいた社会が形成されていることによって強制された貧困と困苦です。子どもを抱えた女性が就ける職業は極めて限られており、多くは非正規労働や、男性と比べて賃金格差がある中で、いわゆる「女手一つで」の子育てという困難を強いられます。離婚した夫は、「家」から外れた女性や子どもに対する責任を負う必要はないと言わんばかりです。女性差別そのものである「家制度」は現代にも貫かれています。
 最近は、女性差別を受けたことも感じたこともない、という女性も多いようですが実際にはどうでしょうか。高市が重視する「家族」「戸籍」という点からみていきます。
 私自身は国民学校で教育された父により、家父長制の差別抑圧を受けながら育ってきました。両親をみていて結婚は人生の墓場だと考えていました。「家族」「家」「夫婦」「結婚」の中に女性差別が貫かれていることを実感してきました。
(資料1、2別掲)
 上記二つの資料から見えてくるものは、
1870(明治3)年 平民に氏の使用許可
1871(明治4)年 戸籍制度 税金の徴収、徴兵制
1875(明治8)年 氏の使用義務化―兵籍取調べ=徴兵制度の必要から
1889(明治22)年 2月11日に大日本帝国憲法発布
1894(明治27)年 日清戦争
1898(明治31)年 明治民法が施行 家制度確立----「戸主と氏(姓)を同じくする家族」が戸籍編製の単位となる(それまでは夫婦別姓)
1904年(明治37年)日露戦争
----という歴史の流れです。明治維新以降、近代国家を形成していく日本は存亡をかけて他国へ勢力を広げようとします。まずは台湾、そして朝鮮半島への侵略戦争、それをめぐり日清戦争に至り、さらに日露戦争へと続きます。最初から日本は、帝国主義国家として歩み始めています。当時は欧米の資本主義国家が帝国主義国家として世界の分割・再分割戦にしのぎを削っていた時代です。欧米列強から不平等条約を結ばされていた日本は、帝国主義国家への飛躍をかけて明治憲法=大日本帝国憲法を策定します。欧米的な個人主義的思想が蔓延(まんえん)すると国家の基盤が弱まると恐れた政府が打ち出したのが、個人を家族単位で管理する戸籍制度です。そして、「家制度」を天皇制家族イデオロギーで貫き、天皇制国家としては「戸主と家族」の関係を「天皇と国民」になぞらえ、天皇主権を浸透させていきました。
 つまり日本は、近代国家、資本主義国家としての成り立ちが最初から侵略国家としてあり、その国家支配と戦争動員への要諦(ようてい)として天皇制がありました。その天皇制イデオロギー=天皇制国家思想・天皇制家族思想が、「家制度」として支配と戦争の道具として極めて恣意(しい)的、意識的に形成され、生まれ出たばかりの日本のプロレタリアートに強制されてきました。
   ◇    ◇   
天皇制家族国家とは
家父長制の国家化:明治の民法における「家」制度(戸主が家族を統率するシステム)を国家全体に拡大したものです。天皇を家長とする巨大な家族(家)として位置づけられました。
忠君愛国の精神:天皇への忠誠と親への孝行(忠孝一致)を同一視し、個人の権利よりも国家や天皇への奉仕を最優先する道徳観が強制されました。
現人神(あらひとがみ):象徴天皇制へと移行した現在とは異なり、戦前は天皇を神聖不可侵の存在として仰ぐ体制が敷かれていました。
   ◇    ◇   
 今でも「家族」というとまるで神聖不可侵な「幸せの象徴」であるかのように考えられています。女性にとっての幸せが「結婚」であるかのようにも言われています。戦後は法律的にも「家制度」はなくなり、結婚は男女の平等な関係であるとされており、初婚同士であれば、婚姻届を提出して2人で新しい戸籍を作成するという行為になります。再婚等の場合は、配偶者の戸籍(筆頭者の戸籍)に加入するということで、入籍とも表現しますが、今現在でも当たり前のように結婚することを「入籍」だの「籍を入れる」だのと表現するのは、今まで述べてきた「家制度」の考え方であり、天皇制と女性差別に無自覚に屈服している現れです。
 果たしてそもそも、幸せな「結婚」や幸せな「家族」というものが存在するのでしょうか?
 日本においては、資本主義としての始まりが後進帝国主義としての出発であり、労働者階級、農民などの反乱を弾圧、粉砕する支配体制を基軸に据えて、侵略戦争、帝国主義戦争に動員するために、天皇制家族イデオロギーで人民を暴力的に支配していく過程としてありました。それは言うまでもなく、強力な女性差別思想に貫かれたものでした。
 帝国主義段階とは、ブルジョアジーが自ら生み出した、自らの墓掘り人であるプロレタリアートによって打倒される革命の前段階です。予防反革命として階級支配を貫き、侵略戦争に動員していくための精神的支柱として、必須不可欠な要素として取り入れられたのが天皇制家族イデオロギーです。私たち女性に対する差別・抑圧の元凶である天皇制打倒なくして被差別・被抑圧階級人民はむろんのこと、私たち自身も、真に解放されることなどありえないのです。
 「果たしてそもそも、幸せな『結婚』や幸せな『家族』というものが存在するのでしょうか?」と問いましたが、資本主義、帝国主義足下の私たちが考える「結婚」や「家族」なるものは、天皇制家族イデオロギーに裏打ちされたものでしかないのです。私は、資本主義、帝国主義国家を打倒・破壊することが自らの解放の必須不可欠な条件であると考えています。であるならば同様に、現在の社会に存在する家族・家族イデオロギーなるものも、いったん破壊すること抜きに、女性差別からの解放も、人間解放もありません。「家族の幸せ」に執着するようであれば、それは、容易に帝国主義家族イデオロギーにのみ込まれていきます。労働者家族は相続すべき私有財産などなく、最初から無家族状態を強いられています。賃金奴隷としての「家族の幸せ」からの解放をかけて闘いましょう!
 単なる抵抗闘争ではなく、ラディカルに、あくまでもラディカルに闘いを推し進め、アメリカ帝国主義打倒、日本帝国主義打倒―世界革命へと闘いの道を切り開いていくために、旧態依然たる家族イデオロギーを自らの内から断固ひきはがして闘っていきましょう!

3、中国侵略戦争阻止―高市打倒を!

 私たち女性は、奪われた政治と暴力を奪還し、開始された世界戦争を、世界革命で迎え撃とう!
 「家族」「戸籍」「家」にこだわって、これまで述べてきましたが、このことに最もこだわっているのが現首相の高市です。高市の主張はこうです。
・「男系男子の皇位継承を維持する」
・「選択的夫婦別姓をやらない。それにあたって旧姓の単記使用を法制化する」----これは、旧姓の使用は認めるという形で夫婦同姓を固定化し、戸籍制度は何としても維持するという意思の表れです。
 憲法24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と書かれています。これは「夫婦が同等の権利を有することを基本として相互の協力により維持されなければならない」という考え方に基づいています。自民党は24条の「のみ」をとることを画策しています。「のみ」をとる意味は、戦前の家制度では婚姻には家長や親の同意が必須であった、そこに戻すということです。自民党は「家族は社会の自然かつ基礎的単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない」と「憲法改正草案」に定め、家制度の復活をもくろんでいます。
 高市首相は中国侵略戦争体制の核心に天皇制家族イデオロギーを据えています。日帝にはそれ以外に労働者人民を帝国主義戦争に動員するイデオロギーはありません。だから夫婦別姓や同性婚などを家制度に仇(あだ)なすものとして排撃の対象としています。それに対し、夫婦別姓や同性婚を求めることは「天皇制家族イデオロギーの土俵にあげてくれ」と主張しているようにはなりませんか。日本における、あるべき家族像の中に、自分たちも含めて欲しいと。しかし私たちがなすべきことは、その土俵そのものを爆砕することではないでしょうか。
 私たち女性が連綿と受け続けてきた差別・抑圧の歴史を本当にここで、私たちの手で断ち切りましょう!
 高市自民党政権は、帝国主義侵略戦争でもってしか帝国主義として生き残ることができない状況の前に、国家支配を戦前に戻し、国家総動員体制で侵略戦争に国民全体を引きずり込もうとしています。
 1980年代、当時の首相・中曽根康弘が「お座敷をきれいにして(新しい)憲法を安置する」と言って社会党・総評ブロックを解体し、国鉄分割・民営化を強行しましたが、それから40年も、自民党は憲法に手をつけることができずにきました。高市は、まさにその「時はきた」と言っているのでしょう。高市自民党は、憲法9条の「改正」、緊急事態条項の創設をもくろんでいます。高市個人で言えば、2000年の衆院憲法調査会で「(憲法前文の)『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』----この非常におめでたい一文を真っ先に変えようと思っている」と述べたことをまさに実践に移そうとしているのです。
 私たちこそが問われています。戦後なしえなかったプロレタリア革命を、今度こそ本当に貫徹すべき時です。憲法に示されるように、日本の労働者階級は天皇を打倒しきれませんでした。また、「平和憲法」「国民主権」の美名の下、婦人参政権が付与されたその裏で、戦後もなお朝鮮・台湾・中国人民―アジア人民を憲法の名の下に排撃してきました。沖縄も冒頭述べたとおりです。部落解放、障がい者差別からの解放も、天皇制打倒ぬきにはありえません。
 日本という国家の成り立ちについて若干述べてきましたが、天皇制国家・家族イデオロギーという、戦争と差別、暴力支配で労働者階級人民を支配してきたこの国家体制を革命によって転覆し、帝国主義を打倒しましょう! 日本の現状を見ると、「そんなことができるのか?」と思われるかもしれません。しかし、世界初の労働者革命、共産主義革命を実現したのはロシアの労働者階級でした。最も遅れた反動の牙城(がじょう)と言われていたロシアで革命が起こったように、私たちもこの、反動の牙城である日本帝国主義を打倒することは必ずできます。そしてそれは不可避に世界革命とつながっているのです。
 イラン人民、パレスチナ人民をはじめ、全世界の闘う被抑圧人民との連帯にかけて、戦争に突進する自国帝国主義の敗北を促進し、アメリカ帝国主義打倒! 日本帝国主義打倒! 世界革命に向かって進撃していきましょう!
 6月14日、首相官邸・アメリカ大使館を直撃する戦闘的デモに大結集を!

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【資料1】結婚制度って何?「家制度」ができた背景とは
               (2023年1月16日付毎日新聞より抜粋)
 1898(明治31)年に明治民法が施行され、家制度が確立。家制度は当時の結婚の形を象徴するもので、現代でも「○○家に入る」「家業を継ぐ」など「家」の意識は残っています。家制度の主な特徴は次の通りです。
・家族は戸主の命令・監督に服従する
・家の財産と戸主の地位は、原則として戸主の長男が継ぐ
・家族は戸主の同意がなければ結婚できない
 戦前までの結婚は、妻が夫の家に入って子どもを産み、夫の家を存続させることが主な目的でした。妻は夫の家に入り、子どもは生まれた家の家族になるため、いずれも家の氏(名字や姓のこと)を名乗りました。
 また、明治民法で妻は「無能力者」と位置づけられ、夫の許可がなければ働けなかったほか、土地の売買や借金などの契約を結ぶこともできませんでした。
 家制度が誕生した背景には、1871(明治4)年にできた戸籍制度が関わっています。政府は、税金を集めたり男子を兵隊に取ったりするために国民の状況を把握して管理する必要があり、戸籍制度を整えました。

【資料2】我が国における氏の制度の変遷(法務省ホームページより抜粋)

徳川時代 一般に、農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
明治3(1870)年太政官布告 平民に氏の使用が許される。
明治8(1875)年太政官布告 氏の使用が義務化される。
※兵籍取調べの必要上、軍から要求されたものといわれる。
明治9(1876)年太政官指令 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
※明治政府は、妻の氏に関して、実家の氏を名乗らせることとし、「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお、上記指令にもかかわらず、妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。
明治31(1898)年民法(旧法)成立 夫婦は、家を同じくすることにより、同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。
昭和22(1947)年改正民法成立 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※改正民法は、旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ、男女平等の理念に沿って、夫婦は、その合意により、夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。
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