団結ひろば 投稿コーナー 8・6ヒロシマを闘って
団結ひろば 投稿コーナー
8・6ヒロシマを闘って
「平和式典」のペテンを粉砕
首都圏・学生 志村小春

今年初めて広島の反戦反核闘争に参加しました。
やはり広島「平和式典」のペテン性は、高市の発言や式典に向けて発表された米国大使の声明を見れば明らかだったと思います。高市は自身の立場を隠しながら「世界の安全保障環境は厳しさを増しており」と述べ、非核三原則に関しては「堅持しており」と、現状説明にとどめました。米国大使は「インド太平洋全域で平和と自由を守るという使命において、日米パートナーシップは前進を続けなければならない」と、安全保障における日米の連携を強調しました。
もちろん高市の言う「世界の安全保障環境」も米国大使の言う「インド太平洋の平和と自由」も、米帝―帝国主義の利害を貫徹するためのスローガンでしかありません。「自由と平和」という建前で中国の再分割戦をやろうという国家意思の表れです。
今年の「平和式典」は反戦運動、階級闘争を「平和」の名のもとにたたきつぶす一つの重大な転換点でした。もちろん以前の「平和式典」も、ヒロシマ・ナガサキが何の結果もたらされたのかということを覆い隠し、人々の反戦への決起を、「平和を祈る」といったものにねじ曲げるものでしたが、今年の式典が持っていた意味は別格です。
革命的反戦の立場に立つならば、やはり式典粉砕の方針しかなかったと思います。今年の式典を黙って見過ごせば、「平和を祈ります」とうそぶく帝国主義者の前に人民が総屈服したところを見せるところでした。「非暴力」の静かな闘争スタイルを押し出す勢力も、意図してなのか、おのずと帝国主義者の片棒を担いでいます。
今後、さらに大勢の人々を実力闘争の隊列に呼び込まなければなりません。実力で反戦闘争を闘わなければ人民は敗北し、再びの侵略戦争を許してしまうのだと、今回のヒロシマ闘争を経てさらに強く確信しました。
戦争式典粉砕訴え怒り組織
8・6広島暴処法弾圧被告 西納岳史
7・30広島暴処法弾圧裁判控訴審での不当判決に対する回答は、何よりも中国侵略戦争阻止の反戦反核闘争の爆発である----そのような決意をもって、約1週間にわたって広島現地での8・6闘争に向けた準備と組織戦にまい進してきました。
一昨年の今頃はこの街の獄の中にあった我が身が、今はこうして「闘うための自由」を得て、仲間とともに街頭に立っていることに、弾圧を打ち破ったご支援への謝意を改めて強くします。アメリカ帝国主義とともに中国への侵略戦争に踏み切った核武装推進者=高市が出席する式典など、もはや「戦争式典」以外の何物でもないという訴えは、鮮明な分岐とともにヒロシマにおける帝国主義への深い怒りを組織する、まさに「党派的=大衆的」スローガンでもあったと感じました。
私たちの実力闘争の意義と真価が明確となり力を発揮していくのはまさにこれからです。これまでの運動の不十分性を徹底的に総括し、実践的に大胆に乗り越え、「血債の思想」と「連帯し、侵略を内乱へ」の決意をみなぎらせて実力のデモを打ち抜いた今回の8・6闘争の意義は計り知れません。この闘いの熱気を引き継ぎ、ただちに11・22決戦に向けた闘いに打って出る決意です。
8・6の成功へ派遣団に参加
8・6広島暴処法弾圧被告 古郡 陸
7月30日に行われた8・6広島暴処法弾圧裁判控訴審は、広島高裁が高市政権と一緒になって反戦反核闘争をつぶすという意図をむき出しにした反動判決でした。それは、高市が8・6の式典に乗り込み広島を核共有―核戦争に利用するためには高市と非和解で闘う階級意思を根絶しなくてはならない、という国家権力の悲鳴でもありました。私たち被告団は自らの行動の正しさを再度認識し、今夏8・6広島闘争に向かって派遣団として広島現地にとどまって闘いました。
最も印象に残ったのは、現地の仲間と派遣団員の活動・生活の両領域での奮闘で、重層的な活動ができたことです。連日、広島市内で縦横無尽に宣伝活動ができました。
私は、広島大学に行って多くの学生と話すことができ、私たちの活動をずっと見てきた学生とも出会うことができました。8・6の朝のデモにも参加してくれたようです。
呉の見学と街頭宣伝も印象的でした。武力を誇示するかのように並べられた数々の軍艦、軽空母「かが」の巨大さ、「複合防衛拠点」化が狙われる日鉄跡地の広大さ----。高市が沖縄や全国でやっている戦時体制構築の実態を目の当たりにして、高市打倒の怒りを強くしました。戦争がすでに始まっていること、同時に現地の人々も危機感と怒りを持っていることを実感しました。
ささやかながら、私の活動で広島現地や全国の地熱を高め、歴史的な今夏8・6闘争の成功に導けたとしたら、うれしいです。