関東大震災朝鮮人・中国人虐殺103年 血債かけ排外主義粉砕を

週刊『前進』04頁(3460号03面01)(2026/08/24)


関東大震災朝鮮人・中国人虐殺103年
 血債かけ排外主義粉砕を

(写真 竹やりで武装した自警団員たち。軍服を身に着けたものもいる)

(写真 画家・萱原白洞は「東都大震災過眼録」に、自らが目撃した朝鮮人虐殺を描いた。自警団によって朝鮮人たちが縛られ連行されている)


 1923年9月1日の関東大震災後、関東一円で朝鮮人約6千人、中国人約800人が軍隊や警察、自警団により虐殺された。この虐殺は、日本帝国主義の朝鮮侵略と植民地支配、民族解放闘争への血の弾圧と一体で引き起こされたものだ。アメリカ帝国主義が中国侵略戦争を開始した今、朝鮮・中国―アジア人民への血債にかけ「連帯し、侵略を内乱へ」の巨大な闘いをつくりだそう。9・1反戦デモに大結集しよう!

9・1錦糸町反戦デモへ
 中国侵略戦争阻止・日帝打倒を

 9・1反戦デモは、今秋、11・22中国侵略戦争阻止の歴史的大闘争へ攻め上る第1弾の反戦闘争だ。「中国侵略戦争―核戦争阻止!戦争式典粉砕!」を掲げて実力デモで闘った8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争の大高揚を引き継ぎ、「闘う中国人民・アジア人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争突入を内乱に転化せよ!」を闘い抜こう。
 錦糸町から亀戸へのデモコースは、朝鮮人・中国人虐殺の現場であり、その骨が埋まったままの地でもある。1923年の震災当時、南葛労働運動の拠点地域であり、中国人労働者も互助会を組織していた。その中国人たちは震災後、宿舎から金を持って広場に集まれと招集され、その場で虐殺された。この歴史を繰り返すわけにはいかない!
 日帝は9・1大震災後、さらに中国からアジア全域へと侵略戦争を拡大し、2千万人を虐殺するに至った。日帝のアジア侵略戦争の中でアジア人民が流させられた血の量に対し、帝国主義国の労働者階級としての主体的な立場から、それを自己の問題として捉えて、血の決済をしなければならない。これは抑圧民族である日本の労働者階級にとって避けて通ることはできない。
 いま始まった中国侵略戦争に対する「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いこそ、本質的に日帝と非和解の存在である在日朝鮮人・中国人をはじめとする在日外国人との真の連帯関係を形成する道だ。それは、労働者階級の階級性、国際主義を獲得し、日本革命を突破口とする世界革命を実現する道だ。

激化する排外主義

 9・1反戦デモは、日帝・高市政権による外国人をターゲットとした差別・排外主義攻撃と対決し、高市を打倒する闘いだ。
 高市は、あえて「排外主義とは一線を画す」と言いながら、外国人への差別・排外主義政策を満展開し、中国侵略戦争への国家総動員体制を推し進めている。全省庁を動員して「外国人の受け入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議」を立ち上げ、「総合的対応策」を打ち出した。そこでは「国民の安全・安心のため」を強調した「不法滞在者ゼロプラン」と「国益に資するルールの厳格化」を進めると宣言。難民申請者の強制送還を激化させ、5月には「ゼロプラン~強力推進パッケージ~」で「不法残留者の摘発強化」を打ち出した。
 昨年の参院選では候補者自ら、埼玉県川口市・蕨市周辺に暮らすクルド人をはじめとする外国人へのヘイト演説を競い合い、参政党など極右政党が国会に進出。首相となった高市のもと、翼賛国会が差別・排外主義の発出元となった。
 その国会で国旗損壊罪、改定皇室典範などが次々と成立すると同時に、改悪入管法も成立。電子渡航認証制度(JESTA)導入とともに「在留資格の変更許可等に係る手数料」が現行の上限額1万円から大幅に引き上げられた。これは、在日外国人の生活を根底から脅かすものだ。「特定活動」で在留する難民申請者の場合、3カ月以下で手数料1万円、家族が4人の場合、1年で16万円にもなる。経済的困窮状況にある家族にとって高額の手数料は「死ね」という攻撃だ。さらに昨年10月、在留資格「経営・管理」に必要な資本金が500万円から一気に3000万円に引き上げられた。在日外国人から生業を奪い、骨の髄までしゃぶり尽くし追放するというやり口は、戦後の闇市襲撃など、入管の常套(じょうとう)手段だ。
 特筆すべきは、高市政権が、永住者をターゲットにした攻撃を激化させていることだ。来年4月に施行される改悪入管法では、育成就労制度導入とともに、永住資格の剝奪(はくだつ)が税金や社会保険料の滞納などでも可能となる。8月4日に発表された「永住資格を厳格化するガイドライン案」では、年収が日本人世帯の平均(2023年統計で536万円)を上回ることを要件とするなど、国益を損なう金のない外国人は出ていけと、公然と宣言したも同然だ。「永住権」は〈一度取得すれば永続する権利〉ではなく、法務省・入管庁の恣意(しい)的判断でいつでも取り消されるものとなった。
 この攻撃は、中国侵略戦争で「敵性外国人」とされる中国人に対する凶暴な恫喝であり、戦争突入下では実際に強制収容・追放まで行き着く。絶対に許すことはできない。
 茨城県では「外国人の不法就労活動防止」条例が制定され、川口市では自治体窓口に入管職員が常駐、さらに増員される入管職員に元自衛官を配置するなど、地元自治体が外国人住民を監視・弾圧するという許し難い事態が進んでいる。
 今こそ、帝国主義打倒の不可欠の課題としての入管闘争を闘い、在日外国人の生活と闘いの支援・防衛に立とう。怒りを燃やして「中国侵略戦争絶対阻止」を闘い抜こう。
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侵略と虐殺くり返さない
 今こそ「連帯し、内乱へ」貫こう

 関東大震災後の朝鮮人・中国人虐殺は、日帝の台湾・朝鮮侵略と植民地支配、そのもとでの民族解放闘争への弾圧と不可分一体だ。
 そもそも、当時の日本国内に多くの朝鮮人が居住していたのは、日帝が日清・日露戦争を通じて推し進めた朝鮮植民地化の結果だった。1910年の「韓国併合」=完全な植民地化をもって日帝による土地や資源の強奪は激烈さを増し、200万人を超える朝鮮人民が生きるすべを失って日本などへ移り住むことを強いられた。その結果、多くの朝鮮人労働者が、日本の炭鉱や土木工事の現場などで差別を受けながら低賃金で搾取されていたのだ。
 一方で、日帝の朝鮮侵略の歴史は朝鮮人民による民族解放闘争の歴史であった。革命と反革命がせめぎ合う東アジアで、いち早くプロレタリア世界革命に民族解放の道を見いだして闘いに決起したのも朝鮮人民だった。多くの朝鮮人革命家が国境を越えてロシア革命に合流し、世界革命の成就にすべてをかけた。
 こうした歴史を背景に帝国主義本国=日本で行われた朝鮮人・中国人虐殺は、軍と警察が組織し、抑圧民族である日本人民が被抑圧民族人民を組織的に虐殺したジェノサイド以外の何ものでもなかった。日帝はこの朝鮮人・中国人虐殺とそれに連なる社会主義運動への大弾圧を決定的な転換点として戦時体制をつくり上げ、31年9月18日の柳条湖事件に始まる中国侵略戦争―アジア・太平洋戦争へと突入していった。
 虐殺の歴史を繰り返さないため、その隠蔽(いんぺい)を許さないために必要なのは、侵略と戦争の元凶である帝国主義を今こそ打倒することだ。朝鮮・中国―アジア人民への血債にかけ、自らの解放をかけて、日帝の中国侵略戦争を内乱に転化する闘いに立とう。

軍と警察がデマ広げ扇動

 23年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするマグニチュード7・9の大地震が発生した。神奈川県の沿海部が甚大な被害を受け、東京市(当時)の都心も火の海となって警視庁や内務省も焼失。水道や電気、通信も止まり、数百万人が路上に放り出された。
 全国を揺るがした18年の「米騒動」からわずか5年。「帝都」壊滅と統治能力まひに危機感を募らせた日帝中枢の動きは早かった。1日午後には警視総監・赤池濃の要請を受け、陸軍が「治安維持」を目的に東京の近衛師団と第1師団に非常警備命令を発令。官公庁や銀行、物資集積所などに軍隊が出動し、憲兵も市内に配置された。こうした中で朝鮮人虐殺が始まる。
 何度でもはっきりさせなければならないのは、日帝中枢とその指示を受けた軍、警察権力こそが「朝鮮人の暴動」というデマを拡散し、虐殺の先頭に立ったという歴史的事実だ。朝鮮人・中国人虐殺は「流言飛語によって引き起こされた悲劇」などではなかった。
 2日の夕方には、内務大臣・水野錬太郎が東京市と周辺5郡に戒厳令を敷き、「朝鮮人にしてバクダンをたずさえて横行するものあり。社会主義その他不逞(ふてい)無頼の徒これに和し放火掠奪(りゃくだつ)いたらざるなし」などと公然とデマを吐いた。戒厳司令官は指揮下の軍隊に兵器の使用を許可した。
 同じころ、警視庁も各署に「鮮人(朝鮮人に対する差別語)中不逞の挙についで放火その他兇暴(きょうぼう)なる行為に出(い)ずる者あり」として厳重な取り締まりを命令し、「不穏の徒」の「撃滅」を命じた。警視庁自らが自動車を出して市中にポスターを張り、メガホンを用いてけたたましく「朝鮮人来襲」をふれまわったのだ。同日には東京・小松川や四ツ木で軍による虐殺も始まり、各地で在郷軍人や消防組、青年団を中心とする自警団が結成されていく。
 3日の朝には、内務省警保局長による「東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於(おい)て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。......鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし」などというデマに満ちた電文が千葉県の海軍無線電信所船橋送信所から発信され、各地方長官に伝えられた。戒厳令の施行地域は東京府全域・神奈川県(3日)、千葉・埼玉両県(4日)へと拡大し、10日までに計5万人もの兵員が投入された。
 大規模な虐殺現場の一つとして知られる四ツ木(現・葛飾区)周辺では、荒川放水路の造成のために飯場がつくられ、多くの朝鮮人労働者が働いていた。震災後、川を渡って西側から迫る火の手から逃れようと旧四ツ木橋に殺到する人々の前に自警団員が立ちはだかり、検問を行って朝鮮人を摘発、虐殺したのだ。以下は荒川にかかる鉄橋の上で自警団に襲撃された朝鮮人・慎昌範氏の証言だ。
 「うとうとしていると、『朝鮮人をつまみ出せ』『朝鮮人を殺せ』などの声が聞こえました。......間もなく、向こうから武装した一団が寝ている避難民を一人一人起こし、朝鮮人であるかどうかを確かめ始めました......武装した自警団は、朝鮮人を見つけるとその場で日本刀をふり降ろし、又は鳶口(とびぐち)で突き刺して虐殺しました」(西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』所収)

日帝追いつめた朝鮮人民の闘い

 日帝は1904年以降、3度にわたる日韓協約によって朝鮮侵略を推し進め、10年の「韓国併合」に至った。しかし、日帝の侵略は当初から朝鮮人民の激しい抵抗闘争=抗日義兵闘争に直面した。朝鮮人民の闘いに追いつめられた日本軍は村落を焼き討ちするなどして大虐殺に及んだ。
 19年には植民地支配への怒りが3・1独立運動として全土で爆発した。その口火を切ったのは東京の朝鮮人留学生たちだった。約200万人の決起を日帝は武力で徹底的に弾圧し、8千人近い人々を虐殺した。日帝が1895年に植民地化した台湾と同様、朝鮮植民地支配は人民虐殺の上に強行・維持されたのだ。
 「天皇の代理人」として君臨した初代朝鮮総督・寺内正毅の「朝鮮人はわが法規に服従するか、死か、そのいずれかを選ばなければならぬ」という恫喝の通り、日帝の官憲は、身命を賭して植民地支配に抵抗する朝鮮人を「不逞鮮人」とさげすみ、平然と命を奪った。そもそも、「鮮人」という呼び方自体、「韓国併合」後に日帝が意図的につくり出した蔑称だ。「不逞鮮人」の語は国内でも急速に広められ、人民の中に〝植民地支配に逆らう朝鮮人はけしからん、徹底的に攻撃すべきだ〟という認識が定着していった。
 関東大震災時の内相・水野は3・1運動後の朝鮮総督府政務総監を、また警視総監・赤池は同時期の朝鮮総督府警務局長を務めた経験をもつ。そして当時、日本陸軍の全師団が朝鮮派兵=植民地戦争を経験していた。朝鮮で人民を虐殺した兵士らが在郷軍人となり、震災後の自警団結成と虐殺の先頭に立ったのだ。
 これに先立ち、第1次世界大戦の軍需景気で肥え太った日帝は1915年に21カ条要求を中国に突きつけた。17年にロシア革命が起こると直ちに「シベリア出兵」=反革命干渉戦争を開始し、25年の完全撤兵まで足かけ8年も居座り続けた。一方、シベリア出兵による米価高騰を契機に爆発した米騒動は、労働者人民の力と日帝の支配の危機を満天下に示した。
 こうした中で迎えた23年の9・1直後、日帝支配階級が恐れたのは、震災を契機とする食糧暴動と、独立を求める朝鮮人民の闘いが合流することだった。それを阻止するために朝鮮人虐殺をあおり立てたのだ。

帝国主義打倒する闘いを

 103年前の当時、問われていたのは、日帝打倒・朝鮮―アジア解放に向けた闘いをつくり出すべき革命党の路線と実践だった。ロシア革命以後高揚した日本での労働争議には朝鮮人労働者も参加し、22年のメーデーには初めて朝鮮人労働者が参加するなど結合が始まっていた。その上で、当時の日本労働者階級に求められていたのは朝鮮人労働者との一般的な「連帯」ではなかった。それは、植民地支配に対して命がけで民族解放闘争を闘う朝鮮人民と連帯し、日帝打倒の内乱を巻き起こすことだった。
 しかし、22年に非合法で結成されたものの23年6月の一斉検挙で大きな打撃を受けた当時の日本共産党は、関東大震災後の朝鮮人・中国人虐殺、その後に権力が日本の労組活動家らを虐殺した亀戸事件、甘粕事件などの大反動に勝ち抜くことができず、24年に自ら解散を決議した。こうした革命党の屈服をもって、23年の朝鮮人・中国人虐殺は中国侵略戦争に向けた戦時体制=総動員体制づくりの決定的なテコとなった。
 日帝は25年に施行した治安維持法を朝鮮で初適用し、死刑を振りかざして独立運動の壊滅を狙った。こうして日帝は朝鮮を足がかりとした全面的な中国侵略戦争へ乗り出す。差別と排外主義に屈した日本労働者階級は「皇軍」=天皇の軍隊として帝国主義戦争に動員され、2千万人ものアジア人民の命を奪った。
 しかしながら45年の敗戦を経ても日帝は天皇制を残したまま延命した。そして、現行憲法施行前日の47年5月2日、昭和天皇ヒロヒトが最後の「勅令」として公布したのは外国人登録令だった。台湾や朝鮮の人々を数十年ものあいだ植民地支配下におき、「天皇の赤子(せきし)」として命を差し出すことを強制した張本人が、今度は一方的に台湾・朝鮮人民から日本国籍を奪い、一切の社会的権利を剝奪(はくだつ)したのだ。日帝と、その侵略と戦争、植民地支配の生き証人である在日朝鮮人・中国人との抑圧―被抑圧の関係は今日に至るまで入管体制のもとで継続し、差別・排外主義は戦時下でいっそう強化されている。
 日帝・天皇制を打倒し、この歴史に労働者階級の側から決着をつけるのが中国侵略戦争阻止闘争であり、「闘う中国人民・アジア人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争突入を内乱に転化せよ!」の闘いだ。侵略と戦争、虐殺の歴史を絶対に繰り返さないという誓いは、帝国主義打倒によってのみ貫徹しうる。今こそ、朝鮮・中国人民をはじめ闘うアジア人民への血債にかけて「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いを切り開こう。9・1反戦デモに総決起を!


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