高市の靖国「遥拝」弾劾 中国侵略戦争下の踏み込み
高市の靖国「遥拝」弾劾
中国侵略戦争下の踏み込み
8・15日本帝国主義・高市早苗の靖国「遥拝(ようはい)」、小泉進次郎防衛相ら4閣僚、鈴木俊一幹事長ら自民党4役の集団参拝を徹底的に弾劾する。
高市政権発足後初めて迎えた8・15敗戦の日。高市は極右政治家として靖国神社を重視し、過去の閣僚在任中も、8・15や、春秋の例大祭に欠かさず参拝を繰り返してきた。一昨年の自民党総裁選などでは、「首相就任後も参拝する」と宣言していた。
今回、靖国神社そのものへの参拝こそ見送ったが、高市は鈴木幹事長に託して玉串料を納め、自らは追悼式前の武道館の敷地内で、公用車を降り、北西方向の(靖国通りを挟んで目と鼻の先だ!)靖国神社を向いて「2拝2拍手1拝」の礼法で参拝を行った。公然と遥拝、遠隔参拝を強行したのだ。かつて日本帝国主義は日本全国のみならず植民地人民に対しても「皇居遥拝」(天皇のいる皇居に向かって頭を下げる)を強制した。その歴史を繰り返そうというつもりなのだ。
高市の靖国遥拝は、この日の全国戦没者追悼式の式辞で高市が「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」と言って、侵略戦争の歴史を居直り、歪曲したのと軌を一にした、中国や韓国、北朝鮮への挑戦だ。
小泉防衛相ら4閣僚の靖国神社参拝、さらに鈴木幹事長ら自民党4役がそろって(小林鷹之政調会長は16日)参拝したことも重大なエスカレートだ。小泉は首相として靖国参拝を繰り返した父・純一郎の後を継いで、反動的「使命感」をもって参拝を強行している。
高市は昨年11・7国会答弁(「台湾有事は存立危機事態」)で中国を激しく挑発し、さまざまな戦争遂行体制を強化し、そして8・15式辞と靖国遥拝をもって、中国への一層の敵対をあらわにしたのだ。すべてが米帝の中国侵略戦争への日帝の参戦の中で行われている。絶対に許せない。
新しい戦死者を祭ることを狙う
そもそも靖国神社とは、戦前の皇国史観を支えた国家神道の中心的な施設である。「天皇のために命を投げ出して戦え」と労働者人民を日帝の侵略戦争に動員し、その戦死者を「英霊」として祭り上げる、戦争のための装置だ。
軍人勅諭(天皇が軍人に下した訓示)には「死は鴻毛(こうもう=鳥の羽)より軽し」とある。天皇と天皇制を守るために兵士の命は鳥の羽より軽いのだ。帝国主義軍隊においては兵士は消耗品と扱われた。人民の命をそのように粗末に扱いながら、死んだら「英霊」「神」として祭り上げ、最高の栄誉を与える。戦没者を悼んだり、大切に扱うことではなく、新しい戦争のために徹底的に利用するということだ。
中国・アジア人民を2千万人も虐殺した日帝の侵略戦争を「聖戦」「自衛戦争」と歪曲・美化し、新たな侵略戦争につなげるのが靖国神社の目的であり役割である。
天皇のため、国のために命を奪われた、犬死にさせられた、侵略戦争の先兵として他民族人民を襲う人殺しの道具にされた----このことに対する遺族の怒りと恨みを抑え込み、「英霊」「神」として祭るからありがたく思え、と逆転させるのが靖国神社なのである。
戦前は陸軍省、海軍省直轄の神社だった。敗戦とともに粉砕・絶滅されなければならなかったが、宗教法人として生き残った。靖国神社付属の歴史博物館(遊就館)は、日帝の侵略戦争を美化し、「零戦(ゼロセン=零式艦上戦闘機)」などを飾っている。
靖国神社は2024年以来、元海上自衛隊海将の大塚海夫が宮司に就任している。将官を務めた元自衛隊幹部の靖国神社トップは初めてだ。これは、自衛隊と靖国神社が緊密につながったという点で見過ごせないことである。自衛官の靖国神社、護国神社集団参拝の動きが続いている。
中国侵略戦争で新しく出る戦死者を祭るのは靖国神社しかないというのが日帝・高市や小泉の考えだ。自衛隊を靖国思想で武装することが日帝の中国侵略戦争にとって決定的に不可欠の課題になっているのだ。
しかし、日本帝国主義の危機を突破するために、中国を敵視し、排外主義をあおり、再び中国人民を虐殺する侵略戦争に突入することを許すことはできない。戦前の歴史を繰り返してはならない。今こそ、中国・アジア人民への血債にかけて、日帝の中国侵略戦争を内乱に転化せよ! 高市を打倒しよう。
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今度こそ「侵略を内乱へ」
労働者階級にとって「8・15」とは何か
日帝の敗戦から81年の「8・15」にあたり、日本労働者階級が今、戦争と階級闘争の歴史を総括し、新たに誓うべきことは何か? それは、今度こそ戦後革命の敗北をのりこえ、再びの中国侵略戦争を阻止し、日帝打倒、反帝・反スターリン主義世界革命に勝利しよう、ということである。
日帝敗戦でアジア全域が大激動突入
1945年8月15日、昭和天皇ヒロヒトは自らラジオ放送で太平洋戦争終結の決定を国民に伝えた。日帝は天皇制の存続を目的としてあくまでも天皇の主導のもとに戦争終結を図った。日本の支配階級は、「大元帥」として「皇軍」の頂点に立ち中国・アジア人民2千万人を虐殺した最悪の戦争犯罪人=天皇ヒロヒトを、まるで「平和をもたらす慈悲深い天皇」であるかのように押し出し、戦争責任追及、処刑を求める動きから天皇を守り抜き、敗戦による階級支配の危機をのりきろうとしたのである。
はっきりさせるべきことは、日帝は米軍に敗北しただけではない、何よりも中国人民・アジア人民の民族解放・革命戦争に敗北した、という事実である。中国人民は1931年の柳条湖事件以来15年、日帝侵略軍と不屈に戦い続け、筆舌に尽くしがたい数々の困難をのりこえて、ついに日帝軍隊を打ち破ったのだ。
だからこそ「8・15」=日帝敗北の報は、アジア人民に圧倒的な喜びをもって迎えられた。朝鮮と台湾の人民は日帝の植民地支配からの解放をかちとった。アジア全域で帝国主義の植民地支配は崩壊した。
日本国内でも真っ先に立ち上がったのは中国人・朝鮮人労働者だ。戦時中、中国・朝鮮から強制連行され、非人間的な奴隷労働に従事させられてきた彼らの怒りは日帝の敗勢・敗戦を契機に大爆発した。45年6月の花岡(秋田)の中国人労働者1千人の蜂起を皮切りに、8・15直後から夕張(北海道)、常磐(福島・茨城)、三池(福岡・熊本)を始め各地の炭鉱・鉱山、建設現場で朝鮮人・中国人労働者が虐待と飢餓に抗議し、強制労働・迫害の責任者を追及し、ストライキ・暴動に決起した。政治犯釈放の先頭に立ったのも朝鮮人・中国人労働者だ。
彼らの闘いは日本労働者階級の決起の引き金となった。激しい食糧危機と物価高騰の中で、労働者は生きるために爆発的に立ち上がった。11年ぶりの46年5月のメーデーには、100万人が決起した。
まさにこの時期は、日本人民が、30年代階級闘争に敗北し日帝の中国・アジア侵略戦争に屈服したことを自己批判し、闘うアジア人民と連帯して、戦争の元凶=日帝と天皇制打倒、プロレタリア革命に向かって全力で闘うべき時であった。だがこの時、全世界的に戦後革命の圧殺に走ったのがスターリン主義である。
日帝敗戦でアジア全域が大激動突入
スターリン(主義)は、ロシア革命に勝利したレーニンの「帝国主義戦争を内乱へ」の路線を投げ捨て、一国社会主義論をもって世界革命を裏切り、帝国主義との取引・妥協に走った。第2次世界大戦では、二つに分かれた帝国主義陣営のどちらの側からみても強盗的な侵略戦争を「ファシズム対民主主義の戦い」などと美化し、ソ連スターリン主義は後者(米英など)の陣営に加わって参戦した。これを引き継ぎ戦後、日本共産党スターリン主義は日本に駐留する米軍を「解放軍」と規定して大歓迎し、47年2・1ゼネストを挫折させ戦後革命を圧殺した。憲法9条(戦争の放棄)は、天皇制護持(第1章)と引き換えに、日帝が戦後革命の圧殺のために行ったぎりぎりの譲歩である。もしもレーニン主義を貫いて闘う革命党が存在していたなら、日帝支配階級と天皇・天皇制への労働者階級の燃え上がる怒りと階級的力は、プロレタリア革命の勝利に向かって爆発的に解き放たれ、革命に勝利することは全く可能だったのだ。
スターリン主義の裏切りは帝国主義を延命させた。英仏独日など、米帝を除く主要帝国主義国は戦争による荒廃で体制崩壊寸前まで追い詰められたが、これによって危機をのりきり、米帝を基軸とする帝国主義戦後体制を構築していった。
「血債の思想」貫き中国侵略戦争阻め
今や帝国主義とスターリン主義の戦後体制の崩壊から米帝の中国侵略戦争が引き起こされ、日帝はその最前線で参戦している。日本労働者階級は戦前、階級闘争に敗北し排外主義に組織され、日帝の残虐極まる中国・アジア侵略戦争に加担した。痛苦の念なしには語れない、この負の歴史を主体的・階級的に総括し、血債にかけて中国侵略戦争を阻止しなければならない。そして闘う中国―アジア人民と連帯し、戦争責任を居直り延命している天皇制と日帝を今度こそ打倒し、反帝・反スターリン主義世界革命に勝利しよう。