反戦の砦=三里塚闘争60年 「農地死守・実力闘争」貫き労農連帯で軍事空港と闘う

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週刊『前進』04頁(3465号03面02)(2026/09/28)


反戦の砦=三里塚闘争60年
 「農地死守・実力闘争」貫き労農連帯で軍事空港と闘う

(写真 1971年2月、駒井野とりでにかけられた第1次強制代執行に対し、「日本農民の名において収用を拒む」と怒りの大衆的実力闘争で反撃)

(写真 1971年9月20日、国家権力は成田市取香の大木よねさん宅に強制代執行を強行。この日早朝、千葉県は「今日の代執行は中止」と記者会見し、昼過ぎに脱穀作業中のよねさんを急襲した)

(写真 燃料輸送貨車に「ジェット燃料輸送阻止」とペンキで大書する動労千葉組合員。スローガン列車が千葉県内を駆け巡った【1977年】)

機動隊暴力と激突

 三里塚闘争は60年の歴史を不屈に貫いてきた。
 1966年7月、政府は「新東京国際空港」の建設地を千葉県成田市の三里塚地区とすることを閣議決定した。天神峰・東峰地区をはじめ入植・開墾の苦労を重ねてきた地元の農民にとって、空港建設のために耕作地を奪われるなど「寝耳に水」であり、絶対に認められないことであった。
 300戸以上の地元農家が参加して三里塚芝山連合空港反対同盟が結成された(戸村一作委員長、北原鉱治事務局長)が、同時に政府側の切り崩しと条件派形成も激しく進められた。反対同盟は県・政府への陳情・抗議を繰り返したが権力側は対話を拒否し、闘いは実力闘争化していく。
 67年10月10日、空港建設の最初の具体的攻撃として外郭測量のくい打ちが強行され、反対同盟は座り込みで徹底抗戦した。その時、日本共産党は離れた場所から「座り込みをやめよう」と呼びかけ労働歌を歌っていた。10・8羽田闘争(佐藤首相の南ベトナム訪問阻止闘争)の翌々日である。実力闘争を否定し敵対する共産党を反対同盟は追放し、逮捕・流血を恐れず機動隊と闘う全学連との共闘に至る。
 反対同盟は農業に励みながら地域ぐるみ、家族ぐるみで闘い、条件交渉を拒否し、「農地死守・実力闘争」の闘争原則を確立していった。
 69年12月に当時の建設大臣がついに土地収用法に基づく事業認定を行い、空港反対闘争は文字通り国家との直接対決にせり上がった。71年2月、同年9月の2次にわたる強制代執行との闘いは、大量の機動隊、空港公団職員、重機の数々で襲いかかる国家暴力に対し、反対同盟農民および全国から駆けつけた労働者・農民・学生・市民らが大激突する「北総反乱」となった。機動隊の激しい暴行を受けて家と土地を奪われた取香(とっこう)の大木よねさんは、壮絶な闘いで「農地死守」を体現した。

農地・鉄路を武器に

 動労千葉(当時は動労傘下の千葉地方本部)は、当初から三里塚農民を支援して闘ってきた。
 78年の空港開港に向けて、ジェット機の燃料の運搬が深刻なネックとなっていた。千葉港からのパイプラインでの輸送は沿線住民の猛烈な反対で敷設工事が暗礁に乗り上げていた。政府と国鉄当局は「パイプライン完成までの暫定措置」としてタンク貨車での鉄道輸送計画を打ち出した。組合員が実際に機関車のハンドルを握らされることになる動労千葉は、労組としての存在意義をかけて立ち上がった。「三里塚連帯」で一致し、強力順法闘争とストライキをもって開港を前にした備蓄輸送拒否を貫いた。国鉄当局は、全国から機関士免許を持つ助役をスト破りとして投入し、輸送を強行しようとした。これに対し動労千葉は闘争の渦中で議論を重ねた末、ハンドルを握りしめ職場を明け渡すことなく、決定的瞬間にストで車両を止める「輸送拒否から阻止へ」の戦術転換を行った。
 反対同盟の戸村委員長は「農民は農地を武器に、動労は鉄路を武器に闘う」とこれを断固支持した。
 この過程は、動労本部を牛耳るカクマルとの激烈な組織攻防戦と一体で進み、動労千葉は79年に本部からの分離独立をかちとる。
 そして動労千葉は81年3月のジェット燃料暫定貨車輸送の期限延長に対し、組合の総力で5日に及ぶストを敢行し、ついに千葉県下の国鉄がすべてストップした。4人解雇など空前の重処分が下されたが、組合の団結は揺るがなかった。
 三里塚闘争の大義にかけて処分を覚悟で立ち上がった動労千葉は、反対同盟との労農連帯を不抜のものとして固め、日本労働者階級の進むべき道を示した。

中国侵略阻む拠点

 成田は今、「第2の開港」を掲げて、周辺地域を破壊しつつ全長12㌔、2300㌶の巨大空港への拡張が狙われている。だが戦争情勢にも起因する航空需要の減衰、日本経済の停滞、人口減少のただ中で、開発事業としての「第2の開港」の破綻は必至だ。
 その破綻の先に現れるのがむき出しの軍事空港としての成田だ。高市政権は、航空・宇宙など先端産業育成と国際的物流の拠点機能を備えた軍事空港、兵站(へいたん)基地へとつくり上げる成田空港機能強化を、国家プロジェクトとして推進している(前号3面参照)。反対同盟が結成当初から「軍事空港阻止」を掲げて反戦闘争の先頭に立ってきたことは完全に正しかったことが、この中国侵略戦争―世界戦争情勢のもとで証明された。
 「農地死守・実力闘争」「労農連帯」「軍事空港阻止」こそ三里塚闘争60年の揺るぎない原点である。
 今日、三里塚闘争を回顧する書籍や映像が出回っているが、大半が事実をゆがめ、闘争の原点を破壊する内容だ。真実は現に闘っている反対同盟、市東孝雄さんに体現されている。
 革共同は反対同盟とともに三里塚闘争を担ってきた責任と誇りにかけて、勝利まで闘うことを誓う。日帝自身の危機と焦りに規定されて、攻撃は苛烈(かれつ)さを増している。第3滑走路予定地の強制収用を許すな! 市東さんの南台農地を守りぬこう! 耕作権裁判控訴審に勝利しよう。10・11三里塚全国集会に総決起し、高市政権打倒の突破口を切り開こう。
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●推薦資料 ★書籍『大地の乱/成田闘争―三里塚反対同盟事務局長の三〇年』北原鉱治著 御茶の水書房/『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』萩原進著 星雲社 ★DVD「三里塚2021/市東さんの農地を守れ」(本編43分・付録14分) 制作・三里塚芝山連合空港反対同盟
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市東さんが意見陳述 傍聴を
土地明け渡し請求権時効裁判
 10月1日(木)午前10時30分開廷 千葉地裁

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