■特集 労働者の国際連帯で戦争阻止 戦後世界体制最後的崩壊の扉を開いたウクライナ情勢 Ⅰ NATO・EUの東方拡大――ソ連崩壊後の激しい争闘戦

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月刊『国際労働運動』48頁(0454号03面01)(2014/06/01)


■特集 労働者の国際連帯で戦争阻止
 戦後世界体制最後的崩壊の扉を開いたウクライナ情勢 Ⅰ
 NATO・EUの東方拡大――ソ連崩壊後の激しい争闘戦

(写真 ヤヌコビッチ政権打倒へ独立広場【ユーロマイダン】を占拠するデモ参加者たち【2013年12月1日 キエフ】)


 ウクライナの動乱の内戦化、帝国主義間・大国間の争闘戦の軍事化・戦争化が拡大している。歴史的没落からの延命をかけた米帝の介入と大恐慌にたたき込まれたロシアの対抗によって、双方から挟まれているウクライナの危機的均衡が崩壊したのだ。労働者階級への階級戦争を展開してきた新自由主義が覆う全世界が脆弱な均衡の上に成立していることを露呈した。ウクライナ情勢は、戦後世界体制の最後的崩壊の扉を開いた。戦争と革命の時代が始まった。
 第Ⅰ章は、ウクライナがソ連崩壊によって独立国となって以後、EU、NATOの東方拡大をテコに欧米帝により蹂躙されてきた歴史を明らかにしている。
 第Ⅱ章は、ウクライナで今、何が起きているのかの経過を検討し、その核心について切り込んでいる。
 第Ⅲ章は、ウクライナの真の主人公である労働者階級の現実とチェルノブイリ原発事故の重大性を提起している。

大恐慌は革命を生み出す

 新自由主義の大破綻として起きた大恐慌は、帝国主義の根本矛盾である過剰資本・過剰生産力の爆発、基軸帝国主義・米帝の没落、世界経済の分裂化・ブロック化、帝国主義・大国間の争闘戦の戦争的激化として、激烈に進行している。これは、すべて労働者階級にとっては、階級戦争として襲いかかってくる。これが今、眼前で進行している事態である。しかし、世界大恐慌の激化、本格化はこれからである。
 29年大恐慌から39年の第2次世界大戦が勃発するまでわずか10年であった。2010年代階級闘争は、その激烈な過程へのらせん的回帰である。2010年代中期階級決戦はきわめて重大な意味を持つ。
 第2次世界大戦は、全世界を大惨禍に巻き込んだ。大恐慌で死の瀬戸際に立った帝国主義は、世界戦争で「過剰資本・過剰生産力」の処理を行ったのだ。これが帝国主義である。帝国主義は、全世界の労働者階級人民が国際的団結を固めて打ち倒す以外にない存在である。
 29年恐慌に始まる30年代階級闘争において、全世界の労働者階級は、職場における反乱を基礎に、労働組合を軸にして革命を求めて闘い抜いた。しかし、それはスターリン主義の裏切りによって敗北させられてしまった。
 現在の大恐慌は、29年大恐慌をはるかに上回る大恐慌である。新自由主義が破綻し、帝国主義の命脈はもはや尽きている。全世界で青年労働者を先頭に「生きさせろ!」の叫びが渦巻いている。大恐慌は革命を呼び起こすのだ。そして30年代階級闘争の敗北をのりこえる「現代革命への挑戦」が階級的労働運動と国際連帯をもって始まっている。動労千葉は韓国・アメリカ・ドイツなどの労働組合との国際連帯を強めている。ここに世界革命の展望が生み出されている。

ソ連スターリン主義の崩壊

 こうした世界大恐慌のただなかで、帝国主義間・大国間の争闘戦が激化し、ウクライナは戦争的危機にまで至っている。
 これを根底的に規定しているのは何か。それは、1989年の「ベルリンの壁」の崩壊に象徴される東欧スターリン主義圏の解体と1991年のソ連スターリン主義の大崩壊とその後の資本主義化である。【ベルリンの壁/ドイツの東西分割は、東ドイツ国内に位置するベルリンをも東西に分割する異様なものだった】
 すでに最末期帝国主義の絶望的延命形態としてある新自由主義にのめりこんでいた帝国主義から見れば、ワルシャワ条約機構(ソ連・東欧がワルシャワで結んだ集団防衛機構で91年に解散)というソ連スターリン主義支配下の軍事ブロックから解放された東欧に、巨大な新市場が生まれたことになる。過剰資本の重圧下にあった帝国主義は中東欧を目がけてハイエナのごとく襲いかかった。それが20年近くにわたるNATO(北大西洋条約機構、アメリカ合衆国とカナダおよびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟)とEU(欧州連合)の「東方への拡大」であった。それは米欧帝国主義間の争闘戦を含みつつ進む「東方」の勢力圏化であった。
 これを主導したのがドイツ帝国主義である。ドイツは「ベルリンの壁」の崩壊に乗じて、90年にソ連の承認を取りつけたうえで、対米対仏対抗的に東西ドイツ統一を行い、帝国主義としての国家的統一の回復を成し遂げた。これは戦後世界体制をその根幹において揺るがす世界史的事件であった。
 ドイツ帝国主義のヨーロッパ全域における3回目の覇権国的登場が、帝国主義間・大国間の争闘戦を新たな次元に押し上げた。ウクライナを含めた全ヨーロッパの労働者階級人民は、この情勢が熾烈化させている労働者階級への分断と抑圧の階級戦争に直面している。
 戦後世界体制は、戦勝国であるアメリカ帝国主義とソ連スターリン主義による世界の再分割の体制であり、ヨーロッパを、その中枢として位置付けた。そこにおける「戦後処理」の最大の問題は、ドイツ問題であった。第1次世界大戦、第2次世界大戦という二つの帝国主義戦争を挑んだのは遅れて帝国主義の一角に登場した「若々しく、腕力の強い帝国主義=ドイツ」(レーニン『帝国主義論』)であった。
 米ソは、敗戦帝国主義となったドイツが再び米ソに挑戦することができないように、ドイツを東西に分割し、これを軸に、ヨーロッパを帝国主義圏としての西欧とスターリン主義圏としての東欧(ソ連が対ドイツ戦争で軍事占領していた)に分割し支配してきたのであった。
 その戦後世界体制の柱の一方であるソ連と東欧圏のスターリン主義体制が、半世紀にわたる存続の後、基本的に崩壊したのである。「一国社会主義論」をもってロシア革命を圧殺し、「ソ連防衛」のために国際共産主義運動を血の海に沈め、世界革命を裏切ったスターリン主義の根本矛盾が、ついに爆発したのだ。
 こうして崩壊したソ連スターリン主義の支配下にあった東欧諸国を、NATOとEUに包摂することを通じてヨーロッパの「東西分割」を帝国主義的に再統一しようとして開始されたのが、90年初頭以来のヨーロッパ全域にわたる激動過程の内容であった。
 現在爆発しつつあるウクライナ情勢を規定しているNATOとEUの「東方拡大」の過程は、世界大恐慌の爆発に至る過程でもあった。この世界大恐慌は最末期帝国主義の絶望的延命形態として1980年代以来展開されてきた新自由主義がヨーロッパ全域を含めた全世界で破産した結果であった。新自由主義の破産は、争闘戦を極限的に激化させ新たな世界戦争を生み出すと同時に、階級戦争を熾烈化させ帝国主義=資本主義の墓掘り人を全世界的に生み出すのである。そして、その過程が今、ウクライナで進行している。

EUの東方拡大





 1990年代初頭に始まるNATOとEUの「東方への拡大」の過程を検討し、それがウクライナ情勢にまで煮詰まっていく必然性を明らかにしたい。
 ドイツを先頭とするヨーロッパ帝国主義にとって、そして米帝にとって、ソ連スターリン主義の崩壊と東欧スターリン主義圏の解体は、争闘戦の世界的構造の地殻変動的な意味を持った。
 74~75年恐慌と75年ベトナム戦争の敗北によって戦後の帝国主義的発展は終わった。最末期帝国主義はその絶望的延命策としての新自由主義に走った。それは民営化であり、労働運動の抹殺であり、マルクス主義の破壊であり、反共主義であった。資本に対する抵抗勢力を根絶やしにして資本による徹底した利潤の追求の自由を確保しようとするものであった。長い時間をかけて全世界の労働者階級が闘いとってきたあらゆる権利を剥奪
しようとするものだった。
 新自由主義の旗頭である米帝レーガンは、「帝国主義間争闘戦激化・対ソ対決」政策の下で、ソ連スターリン主義に対するSDI(宇宙防衛構想)なる宇宙を核戦争の戦場とする大軍拡競争を仕掛けた。ソ連はこのレーガン大軍拡の戦争重圧、80年代の10年におよぶアフガニスタン侵攻の大敗北、そして86年のチェルノブイリ原発事故による放射能大災害に対する人民の巨大な反乱をもって「一国社会主義」の根本矛盾を爆発させて崩壊した。
 ソ連が崩壊後にどのような道をたどるか、ヨーロッパの前面に再登場したドイツ帝国主義との新たな争闘戦やEU内の軋轢の激化がどのような形をとるか、などの問題が生まれてきた。このような現実に直面した東欧諸国に対して、新自由主義の米欧帝国主義は、相互間の争闘戦をかけて敏速に行動を開始した。
 すでに1989年、東欧の激動を受けてEUの欧州委員会がPHARE(ポーランド・ハンガリー経済改革援助計画)を策定した。90年には欧州復興開発銀行(EBRD)が設立された。米帝主導のIMF(国際通貨基金)も、東欧諸国への融資をこの段階で開始している。
 そして、過剰資本の重圧下にあったドイツを始めとする帝国主義諸国から東欧諸国への直接投資が、EU加盟前から企業の工場移転や不動産投資などの形態で、堰を切ったように開始されていった。

「市場経済への暴力的移行」

 東欧諸国は、EUとの加盟交渉においても、ⅠMFとの協議の際においても、融資・援助の条件として、必ず「財政安定化」「構造改革」「緊縮政策」が要求された。旧スターリン主義諸国の「市場経済への移行」がほとんど新自由主義的・暴力的なやり方で強制されたということである。
 その内容は、賃下げ、年金カット、社会保障の解体、労組への弾圧などを意味した。80年代後半、スターリン主義体制打倒をめざし大衆的に決起した東欧諸国の労働者人民の闘いを抑圧、解体する階級戦争であった。「モスクワもひどいが、ブリュッセル(EUの本部所在地、ベルギーの首都)もひどい」という怒りが、NATO、EU加盟の以前からこれら諸国の労働者人民に拡大していった。
 東欧諸国が最終的にEUに加盟するのは、2004年の段階になってからだが、それに先立つ数年にわたる加盟交渉(「安定化・連合プロセス」)でも、こうした新自由主義のショック・ドクトリン的なやり方が横行してきたのである。国際競争にさらされたほとんどの産業がつぶされ、米欧資本に置き換わった。

NATOの東方拡大

 NATOの東方拡大はEUの東方拡大に先行した。
 EUの東方拡大が、新自由主義の破綻と世界恐慌の接近・爆発によって規定されているように、NATOの東方拡大は、90年代から2000年代におけるヨーロッパ・中東・西アジアの激動の過程のなかで進行していった。
 91年ソ連崩壊直後に、ポーランド、ハンガリー、チェコの3カ国がNATOにいち早く接近し、加盟申請を行った。その理由は、戦後体制におけるヨーロッパ東西分割が終わり、これら3国(「中欧3カ国」と呼ばれるようになる)が、米欧とロシアという新たな「東西の谷間」に押し込められるのではないかという恐怖から発している。
 事実、第2次世界大戦の口火を切ったのは、ヒトラーとスターリンとの間の「独ソ不可侵条約」の締結とともに行われた両国によるポーランド侵攻と分割(1939年9月)だったという歴史があるからだ。米帝が、これを対ドイツのてこにEUを分裂させ、対ロシアの牽制をも狙って、チェコとポーランド(ウクライナと国境を接している)へのMD(ミサイル防衛)の配備を策動し始めた。

NATOの軍事行動

 ソ連の崩壊によって、従来の主要な標的=ワルシャワ条約機構を失ったNATOは、中東・西アジアの激動のなかで91年に「新戦略概念」を打ち出し、「域外派兵」と「(対テロ)危機管理型の緊急出動」を決定した。
 これが1992年に開始されたユーゴスラビア内戦(帝国主義によるユーゴスラビア解体の策動)における94年のNATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆で発動された。
 これは、NATO結成以来の初めての軍事行動で、米帝の軍事力における圧倒的優位性を、独仏を始めとする帝国主義諸国、そしてロシアに示した。さらにNATO加盟を申請中の中東欧諸国への恫喝であった。国連安保理の武力行使決議さえ得ることなく行われた。その根底には、蓄積しつつあった全ヨーロッパ、そして中東諸国の労働者人民の怒りが爆発することへの威嚇があった。
 この過程で、NATOは、加盟を申請していた東欧諸国に対し、NATOの「域外派兵」「緊急出動」への出兵を、加盟の条件として強制してきた。99年にポーランド、ハンガリー、チェコの3カ国が真っ先にNATO加盟国になるが、その直後に行われたコソボ空爆への支持を求められた。
 そして、4年後の2003年3月の米帝のイラク侵略戦争に際して、ドイツとフランスが「大量破壊兵器」問題で反対するなかで、これら3国は米帝支持の立場をとり、ヨーロッパの政治的軍事的分裂という事態が生じた。
 こうした過程を通じて、04年のブルガリア、ルーマニア、スロバキア、09年のアルバニア、クロアチアのNATO参加、13年のクロアチアのEU参加をもって、NATOとEUは、旧ソ連スターリン主義の東欧圏諸国のほとんすべてを包括する28カ国体制となるに至り、ヨーロッパの政治地図は一変した。

ウクライナが谷間に

 ソ連崩壊直後から、ロシアは、NATOとEUの東方拡大に対して、CIS(独立国家共同体)を結成し、かつてのソビエト連邦を構成していた諸国を勢力圏内に引き留めようとした。旧ソ連邦は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの中核的3カ国、中央アジア4か国、カフカズ地方4カ国、バルト3国(+モルドバ)の15カ国で構成されていたが、バルト3国は参加しなかった。参加12カ国のうち、グルジアは93年になって加盟、ウクライナは準加盟国。ロシアは、さらにベラルーシ、中央アジアの3国(カザフスタン、タジキスタン、キルギス)とアルメニアと関税同盟を結成し、2000年10月にユーラシア経済共同体を設立した。東欧の旧スターリン主義圏諸国が、NATOとEUに接近するなかで、モルドバ、その黒海対岸のグルジア、カスピ海をはさむアゼルバイジャンとウズベキスタンは、ロシアから距離を置く政策を採った。この段階では、ウクライナは、ユーラシア経済共同体に参加しなかった。
 だが、現在、東欧諸国はもちろん、バルト3国までもが、NATOとEUに参加、さらにアゼルバイジャン、アルメニア、モルドバへも米欧帝国主義の手が伸び、ウクライナは、世界大恐慌の下での帝国主義間・大国間の争闘戦のなかで、ロシアとNATO、EU(隣国はポーランド)の間に挟まれた「谷間」の位置に置かれ、軍事的・戦争的激突の焦点になったのである。
 労働者階級にとっては、このすべてが、抑圧と分断の攻撃として襲いかかってくる。
 1991年のソ連スターリン主義崩壊を、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命へと転化できなかったわれわれ国際プロレタリアートは、それから24年、主客にわたる革命情勢の成熟のただなかにある。
 まさに階級的労働運動の復活と国際連帯が、新自由主義への怒りに燃えた世界の労働者人民が、プロレタリア世界革命の勝利へ向かって進むための緊急の課題である。