市東さんの控訴審陳述(中) 小作人同意なき売買無効

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週刊『三里塚』02頁(0894号01面02)(2014/04/28)


市東さんの控訴審陳述(中)
 小作人同意なき売買無効


(写真 自宅と農地の位置関係を示す写真)
(写真 サツマイモの収穫作業)


 3月26日に東京高裁で行われた市東孝雄さんの陳述の2回目を掲載します。市東さんは23枚のスライド写真をスクリーンに映しながら陳述しました。その内の2枚を左に掲載します。

❹ 父東市の同意のない売買は無効

 次に、判決は「知事の許可は不要だから小作人の同意も不要」だという空港会社と千葉県の勝手な主張を、うのみにしています。
 「空港への転用目的で買った」「成田空港のための用地買収には知事の許可はいらない」、だから「売買について小作人の同意はいらない」というのですが、これは絶対におかしいと思います。 これでは父も私も、明日には空港になる土地を知らずに耕していたことになります。私は絶対に納得できないし、これも農家なら10人が10人、あってはならないことだと言います。
 そもそも知事の許可と、小作人の同意の必要はまったく別のことです。スリカエだと思います。小作人に断りなく行われた秘密売買は無効だし、空港会社に地主を名のる資格はありません。
 しかも当時の空港公団は文書を偽造したり、地主と示し合わせて地代をだまし取ったりして、二重三重に法を破っています。
 また、手続きに小作人の同意が必要なことは、解約でも同じです。空港会社が解約申請に動き出したので、私は亡くなった萩原進さんと一緒に農業委員会に確かめに行きました。そのとき萩原さんが、「今まで小作の知らないうちに解除申請が出されたことがあるのか」と聞いたところ、事務局は「小作の同意のない申請は、過去に一度もありません」と答えました。当然のことであり、判決は認められません。

❺ 農地法による不当な収用

 さらに訴えたいことは、空港公団が1993年に千葉県収用員会に収用裁決の申請を取り下げて土地収用法が使えなくなったということで、今度は農地法を使って強制的に取り上げる、こういうやり方があっていいのかということです。
 判決は「解約手続きであって強制収用ではない」と言っています。しかし最後は強制で畑を取り上げるのです。しかも「へ」の字の誘導路の手直しのためにです。形の上では解約ですが、実際は裁判でいう「公用収用」です。
 千葉地裁では私の畑について、かつて土地収用法の手続きがおこなわれたことが明らかにされました。そして成田空港シンポジウムで「強制的手段の放棄」を約束したあと、空港公団はその手続きを取り下げています。私は、これで農地が取られることが無くなったと受け止めて、家に戻ってきました。
 大木よねさんの時には、土地収用法の代わりに農地法を使うのは正しくないと、当時の農林省が答えています。なぜ私の農地の場合には、農地法を使って収用することが許されるのでしょうか。
 土地収用法が有効ならば土地収用法を使い、失効の時には農地法の解約手続きで取り上げる、──手続きも補償も違うのに、こんなデタラメが許されて良いはずはありません。
 私の身に降りかかっているのは、「契約解消」に名を借りた、農地収用です。
 しかも取り上げられようとしている畑は、私の耕作地の4分の3にもなり、これほどの農地を取り上げられれば、もはや農業を続けることはできません。生計が断たれてしまうこのような解約が認められたことが、かつてあったでしょうか。あるはずはないのです。

❻ 他に代えられない私の畑

 さらに強く訴えたいことは、南台と天神峰の畑は他に代えることができない農地だということです。
 これらは、開拓から100年近く耕作してきた農地です。父の復員が遅れ、解放されないままになってしまいましたが、父はその畑を大事に作り続けてきました。川崎製鉄に出稼ぎしながら、たいへんな時にも誠実に賃料を払ってきました。その父の遺言を受けて相続し、何度も改良を重ねた畑は私の身体の一部です。
 農地は単なる土地ではありません。特に有機農業は土づくりがすべてです。農薬や化学肥料は一切使いません。乾燥鶏糞、カキガラ、ヌカなどを毎年1反歩に2トンから4トン、畑にすき込みます。そこには億の数の微生物が生きています。
 一口に北総台地といっても、水はけ、土質などが微妙に違います。ある畑で最適な土壌ができたからといって、別の畑でも同じことが通用するわけでもありません。その土地に応じた工夫をしないとうまくいかないのです。
 私は何年にもわたり、精魂込めて自分の野菜作りに合った農地へとつくり変えてきました。
 千葉県農業会議を傍聴した時、農地課の役人が「1億8000万円は農業収入の150年分に当たるから解除申請を許可すべき」と、私の目の前で報告しました。これは私に農業をやめろ、ということです。私にとって農地は命です。取られれば、しかばね同然です。なにが「150年分」か、と怒りがこみあげました。
 また、この畑は産直消費者のものでもあります。現在400軒の消費者に野菜を届けています。「農家だより」や消費者からの手紙、産地交流や総会で、「顔の見える関係」をつくってきました。これは、南台と天神峰の有機の土壌から生まれる野菜によってなりたつ関係なのです。
 その農地から生まれる作物が、アトピーの子どもにも受け入れられ、多くの人々の支えとなっていることに私は誇りを感じています。
 天神峰の私だけでなく、東峰地区も空港によって生活を台無しにされてきました。しかし今も頑張り続けています。この地区は有機農法を他に先がけて始めており、耕すことに誇りをもっています。私の農業と農地はそのなかのひとつです。
 天神峰・東峰の農地は、他に代えられず、表土を剥ぎ取り移せばよいというものでもないのです。
(つづく)

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