反対同盟民主労総 9年間の交流の歴史 〝労農連帯は海越える〟 動労千葉の主催で交流 韓国労働者「絶対反対48年」に共鳴

週刊『三里塚』02頁(0907号02面02)(2014/11/10)


反対同盟民主労総 9年間の交流の歴史
 〝労農連帯は海越える〟
 動労千葉の主催で交流
 韓国労働者「絶対反対48年」に共鳴

(写真 2006年11月3日に行われた民主労総との第1回交流会【三里塚現地】)

(写真 初めて訪韓した反対同盟の故萩原進事務局次長【中央横顔=09年11月8日】)


 反対同盟と韓国・民主労総(全国民主労働組合総連盟)の9回にわたる現地交流は、労農連帯に国境はないことを証明してきた。新自由主義の全面的崩壊―争闘戦の激化―戦争化・軍事化、搾取・収奪の極限的強化へと情勢が突き進む中で、三里塚闘争が「反戦・反核の砦」として、全世界の「労農同盟の拠点」として、飛躍すべき時が来ている。ここでは、反対同盟と民主労総の交流の歴史について紹介したい。
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 民主労総との直接的交流が始まったのは06年だが、81年の三里塚全国集会で、市東東市(孝雄さんの父親)さんは次のように述べている。「光州の武装蜂起から一周年になる。光州人民は命をかけて戒厳軍と闘った。今、韓国の大学では、全斗煥体制打倒の集会やデモが続々と行われ、最後の血がかれるまで闘うと言っている。私たちは韓国の人民と連帯し、わが闘いとしてともに闘っていかなければならない」と。(追悼集より)
 それから四半世紀を経てついに、06年、民主労総20人の仲間が三里塚を訪れ、三里塚闘争との具体的な連帯が始まった。06年当時は、03年に大統領となったノムヒョン政権のもとでイラクへの韓国軍の派兵、非正規職法の制定、韓米FTA推進・締結をめぐる攻防が激しく闘われていた頃である。とりわけ、三里塚と深い関わりを持つことになった公務員労働者の労働基本権をめぐる攻防は熾烈を極めていた。04年末にノムヒョン政権は、公務員労組特別法の制定を強行し、制定阻止を掲げてストを闘った全国公務員労組の組合員400人以上を解雇、2500人懲戒の重処分を下した。しかし、全国公務員労組は特別法の承認を拒否し、「あえて法外の道を行く」と宣言して06年4月に民主労総に正式加盟した。
 この闘争のまっただ中、三里塚を訪れた同労組・ソウル本部組織局長のオ・ヒョウングンさんは、以下のように述べた。 「韓国政府は団結権も団体交渉権も保障しない公務員労組特別法を作った。私たちは基本権をかちとるために法外労組にとどまり闘っている。ノムヒョン政府は組合事務所170数カ所をヤクザや警察の暴力で閉鎖した。法の枠内に入ろうとの意見もあるが、三里塚の闘いをみて原則的に闘うことが生存権を守ると確信した」 。
 その秋には、前年に続き民主労総はゼネストに20万人が決起。その先頭に立ったのが公共部門労働者だった。その後、2500人の懲戒者の処分を撤回させる勝利をかちとった。三里塚のように一切の話し合いを拒否し、組合員に依拠して闘ってきたことによる勝利だ。09年に訪れた公務員労組のキムギュホンさんは、萩原進事務局次長の「話し合いを始めれば、どのような名目をつけても屈服の始まりだ」という言葉が記憶に残ったと語っている。今年2014年、11月1日には、「公的年金死守」を掲げソウルで100万人総決起大会を開催し、老後の生存権の破壊に対してストも含めた闘いを推し進めようとしている。この号砲にこたえ、日本における公務員労働者の闘いをともに推し進めよう!
 07年には、2000年6月以来、非正規職労働者自らが労働組合を組織し闘ってきたイーランド労組の組合員3人が三里塚を訪れた。7月に、座り込みに対する公権力による192人強制連行、指導部6人が拘束される激しい闘いをやり抜きながらの三里塚現地への訪問だった。
  「非正規職保護法が7月から施行されたが、その直前にイーランドの非正規職の1000人が解雇され立ち上がりました」(ハン・ミョンヒさん)、「長い間闘ってきた現場を見せていただいて尊敬という言葉しかありません。この経験を韓国の人たちにも知らせたいと思います」(アン・ウンジュさん)と述べた。6月23日以来続けられていたストライキは一年以上、510日に及んだ。イーランド闘争は非正規職労働者の決起が正規労働者を獲得してともに立ち上がった画歴史的闘いだった。この闘いは、外注化阻止・非正規職撤廃の路線形成にとっても重要な教訓を与え、動労千葉は正規・非正規の壁を打ち破りCTS労働者の更なる組織化へ突き進んでいる。
 08年には、06年に続いて金属労組・ハイテクRCDコリアの仲間が訪れ「帝国主義戦争から世界の民衆を救う三里塚闘争は必ず勝利する」という横断幕を反対同盟に手渡した。7年間に及ぶ闘いの中で、つらくなったときには三里塚で触れた闘いを思い起こしているという。「敵よりも一日長く」、「不屈の精神」こそ勝利をひらく。
 09年には、ついに反対同盟が訪韓を果たした。故萩原進事務局次長は「ヨンサンの強制立ち退きで5人の犠牲者を出した現場を見てきた。権力と人民は絶対にあいいれない。これは日本でも韓国でも一緒だ」「労働者の同盟軍として農民の決起を作っていきたい」と決意を述べた。それに先立つ三里塚現地での交流会で萩原さんは、一切の話し合い拒否・農地死守・実力闘争の原則について講演を行っている。「闘う労農連帯こそが三里塚闘争43年間を貫く核心的な力だった」、「私たちは労働者階級の同盟軍として資本主義と闘っています」、「勝利は国際連帯にある」、「ぜひ皆さんのご助力をえて日韓農民の出会いが実現するように願いたいと思います」と結んだ。萩原さんの果たしえなかった夢は現在の反対同盟へと引き継がれ、地元住民、周辺労組、空港関係の労働者の組織化へ全力を挙げている。一斉行動をテコに、11・29市東さんの農地取り上げに反対する会のシンポジウムの成功へ反対同盟とともに取り組もう。今こそ全国農民会議の発展を勝ち取り、国際連帯へと発展させよう!
 13年には、全学連三里塚現地行動隊が訪韓闘争に決起。車線を占拠し非合法デモを打ち抜く韓国労働者階級の力強さ、「社会の主人公は労働者だ」という誇り・主流派精神を実感した。動労千葉と反対同盟との労農連帯を柱に反対同盟と民主労総の交流・連帯がかちとられてきたことを改めて強く確認したい。

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