市東さん農地裁判の勝利かけ3・29 栗山公園に大結集を 現闘は農地死守の先頭に立つ 三里塚現闘・行動隊座談会

週刊『三里塚』02頁(0912号01面01)(2015/01/26)


市東さん農地裁判の勝利かけ3・29 栗山公園に大結集を
 現闘は農地死守の先頭に立つ
 三里塚現闘・行動隊座談会

(写真 1月18日に行われた座談会)

(写真 団結旗開きに先立って、新年の鮮明な決意を示した反対同盟【1月11日 東峰神社】)


 世界大恐慌が「恐慌の中の恐慌」に突入し、それが戦争(世界戦争)に転化し始める中、反戦・反権力の砦=三里塚が日帝・国交省、成田空港会社(NAA)を圧倒する前進をかちとっている。2014年、市東孝雄さんの農地を守る闘いで、霞が関を席巻し、国交省・NAAを追いつめた。安倍「成長戦略」の一環である「首都圏空港機能強化」の攻撃を真っ向から迎え撃って押し返し、2015年の決戦の舞台を準備した。反対同盟は「(足かけ)50年の歴史のすべてを注ぎ込んで勝負する決戦の年」と宣言した。15年の闘いにあたり、三里塚現闘・全学連三里塚現地行動隊の座談会で大いに語り合った。

《座談会出席者》
松井 剛さん
白川 賢治さん
船田 明さん
北里 一枝さん
土屋 栄作さん
司会 週刊「三里塚」編集委員会

 ――まず、それぞれ三里塚現地に派遣された経緯から。
 松井 私は1970年12月、翌年の第一次代執行阻止闘争を闘う一員として木の根現闘に着任しました。
 北里 私は、空港開港攻撃の強まりの中で、岩山大鉄塔をめぐる闘いを担うため、1976年4月に天神峰現闘本部に来ました。
 白川 僕の場合は、1983年3・8分裂の直後、6月に、当時南三里塚にあった三里塚闘争会館に来ました。
 船田 僕は1987年だったかな。前任者の交代で着任しました。
 ――一番若い土屋君はいつですか。
 土屋 私は2010年の11月ですね。市東さんの農地を守る決戦がいよいよ本格化するので、全学連三里塚現地行動隊長ということで来ました。

試練のりこえて闘った1年

 ――さて、2015年の話に入る前に、昨年を振り返りたいのですが、前年の萩原進事務局次長の急逝という事態は反対同盟の歴史の中でも厳しい試練だったと思いますが。
 松井 その通りだよね。私自身のショックも半端じゃなかった。直接の家族である萩原家、後継者である富夫さんの受けた打撃は大変なものがあったと思う。彼自身が「百万人署名ニュース」2月号で書いているけれど、家族会議も含めて、葛藤があったと思う。
 進さんの死がどんなに打撃だと言ったって、「もう闘えません」なんて言えるはずもない。
 だけど日々求められる闘争方針、その形成を実際どうやっていくのか。去年の1月のうちは、富夫さんにしても、外の集会に出ていって訴える余裕はない状態だった。「現地のことで精一杯だよ」という雰囲気だった。
 ――援農に入って、そばで見てきた船田さんはどうでしたか。
 船田 確かにつらそうだった。家のことも全部、富夫さんにかかってきた。重圧をふり払うために仕事に没頭する、といった感じかな。
 北里 富夫さんは進さんとは対照的な個性だからね。家族の中心になって継がなきゃならない上に、進さんが果たしてきた闘争関係の責任のかなり大きな部分を担わなければならない、それも突然だからね。現闘も必死で支えたけれど。今出た2月のあの「ニュース」の後は、急速に表情が変わって行った。
 松井 市東さん、富夫さん、伊藤信晴さん、太郎良陽一さんという4人からなる事務局体制を確立したのが、何と言っても大きかった。反対同盟全体が想像していた以上の力を出したんじゃないかな。
 土屋 やはり、市東さんの存在が大きいと思いますよ。『週刊三里塚』の新春座談会で伊藤信晴さんが「市東さんが微動だにしない姿を示してくれたことが大きかった」といっている。支援者である私たちから見てもそのことは実感した。
 白川 私が驚いたのは3月23日の全国集会で司会をした富夫さんの迫力。北原さん、市東さん、他の同盟と一体となって、闘い全体に責任を取る、みたいな〝オーラ〟が出ていた。
 松井 北原事務局長を頂点に頂きつつ、「4人の集団指導体制」が120パーセントの力を出し切ってきたんじゃないかなというのが実感だね。
 3月23日の集会、3月26日の市東さん農地裁判の控訴審第1回目、という山を乗り切って、3月30日に支援を含めて総括の集まりをもった。あれが大きかった。あそこで、「これでいける」という自信をつかんだ。
 ――同盟の苦闘ぶりだけではなく、現闘、行動隊も簡単な闘いではなかったわけですね。
 松井 本当だよ。3万人署名のことを振り返ると苦闘の連続だった。2013年秋から、控訴審にむけた新たな3万人署名を呼びかけたリーフ、カラービラも作った。だけど動き出すのに時間がかかった。3・26の第1回弁論を控えた3月初めでも確か、2000筆位しか集まっていなかった。「署名提出行動をやると言ったってこれじゃ、格好つかないよ」という思いだよね。それからは必死になったよ。それに応えてくれた全国の仲間の努力にも感謝したい。全日建運輸連帯関西地区生コン支部からも2000筆以上が送られて来て、3・26には8000を超える署名簿を提出できた。

2・15国鉄〜3・11福島〜三里塚

 白川 必死になった時の現闘、行動隊は普段出ない力が出るからね。まさに〝現闘精神〟というか......。やはり、13年に始めていた周辺一斉行動、あの闘いは本当にすごいと思う。
 船田 一斉行動は進さんが出した方針だけど、実は自分自身ではあまり自信がなかったみたいだった。13年5月の第1回目の時、朝の打ち合わせをすませて出かける時の足は重かった。ところが、市東さんが回った旧下総町の西大須賀で、回った家の半分から署名をもらえたというので、それをすぐ進さんに携帯電話で伝えたら「おーそうか!」と、やっと手応えを感じたみたいだ。
 北里 やっぱり継続は力なりという言葉を実感した。一斉行動には、単に署名の数を取るということだけではない奥深い意味がある。
 船田 9月23日の反原発集会での署名行動の手応え。1163筆の署名協力をもらった。全参加者の1割近くだよ。「三里塚です」と声をかけると、知らない人はいない。三里塚も今年で足かけ50年。その影響力を改めて実感した。
 ――同盟の奮闘ぶりはどうでしょうか。
 土屋 市東さんの姿に驚いている。いろいろな集会での発言が、日を追うごとにすばらしくなっている。僕なりの解釈で言えば、もう自分一人の闘いではないという強い思いが出ている。「負けられない闘いではなく、必ず勝つ闘いを」とか「15年を勝負の年に」とか、気迫がすごい。
 白川 同盟ということで言えば北原事務局長のがんばりを抜きには語れない。一斉行動は20回を超えたけど、一度も休んだことはない。辻立ち演説が主なんだけど、毎回演説の内容を考えている。93歳になろうという人のすごい決意だよ。
 北里 北原さんの権威というのは、周辺を回っているとよく分かる。「同盟ニュース」の北原さんの写真を見て驚く人がたくさんいる。
 松井 1月11日の東峰神社前での発言もすごかった。「身命を賭す」と鬼気迫るものだった。
――忙しい農作業をやりながら国家権力を相手に闘うという大変さについて語ってもらえますか。 白川 団結街道封鎖だったり、現闘本部破壊との闘いに典型的なんだけど、農作業をしながらも常に身構えている。その一方で農作業をとどこおりなくやるというのは大変なこと。その苦闘をのり越えて闘う反対同盟を理解してほしい。
 船田 農作業と言っても普通の農作業じゃない。完全無農薬・産直形式の農業だから年に50品目も作る大変な作業。仕事に終わりがないんだよね。普通の農家は一つ収穫し終われば区切りがある。反対同盟の場合は作付、収穫が年がら年中追っかけて来る。その大変さがあるから援農にぜひかけつけてほしい。
――いよいよ2015年の闘いについてですが、どうでしょうか。
 松井 多くを語る必要はないでしょう。2月15日の国鉄集会、3月11日の郡山集会に全力で取り組みつつ、三里塚としては3月4日の第4回控訴審をすぐこそにある決戦として構えている。「結審がありうる情勢だ」ということを全党、全国の人びとに訴えたい。さらに何と言っても3万人署名。現在まだ約1万9千。3月4日までに5千、6千と積み上げたい。そして3・29全国集会を成田のど真ん中で開けるのが決定的だ。多くの市民が見守る中、さまざまな工夫をし、歴史的な集会にしたい。
 さらに国鉄決戦とリンクした闘いに取り組みたい。現闘も昨年成田周辺の労組回りを開始した。そのイメージをもっと大きくもって闘いたい。今、動労千葉が正面課題にしているローカル線廃止問題。千葉県では特急が基本的になくなる。そのことで、保守陣営も含めて猛反発が起きている。まさに新自由主義攻撃の見本のような事態。JR資本が意識的に896自治体を壊滅させる政策に加担している。
 対新自由主義ということでは三里塚も周辺労組に訴える余地が大きくできてきた。ローカル線廃止は地方切り捨てだから公務員にしろ教組にしろに他人事ではない。ここに切り込んでいきたい。
 白川 やはり5、6月安保国会が焦点になっているわけで、反戦の三里塚としては断固登場したい。「この時のために闘って来たんだ」という情勢がやってきた。3・29を起爆剤にしたい。
 船田 全学連を先頭に若い人にどしどし現地に来てほしい。
 北里 第3滑走路にむけた動きが強まることはまちがいない。周辺一斉行動の密度を濃くしていきたい。
 土屋 父親、母親の年齢の先輩方に囲まれて楽しくしごかれています。今年は全学連の年です。去年2回の選挙も三里塚精神で先頭に立った。3・4〜3・29へ。日々の援農、街宣、東京での署名取りを昨年以上の迫力で展開すると同時に安倍政権と正面対決する三里塚闘争50年の持つ根源性を知らしめめていきたいと思います。
――ありがとうございました。

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