ピンスポット 〝成田の遅れは最大の痛恨事〟 黒野NAA元社長が敗北感吐露 三里塚50年の力で廃港へ

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週刊『三里塚』02頁(0945号01面03)(2016/06/13)


ピンスポット
 〝成田の遅れは最大の痛恨事〟
 黒野NAA元社長が敗北感吐露
 三里塚50年の力で廃港へ


 5月31日に東京で開かれた航空政策研究会のシンポジウム「日本の航空・ 空港 過去・現在・未来 航空政策研究会50周年記念」(写真)で講演した黒野匡彦・元成田空港会社社長が、三里塚闘争への敗北感を吐露していたことが分かった。
 黒野元社長は次のように述べたという。首都圏空港の歴史について、「当初は現在の成田空港の2倍ある空港が考えられていた。政治的に抑えられてしまった」「この間、羽田空港では2000年に新B滑走路が整備され立派な空港になった一方、成田空港は開港そのものが遅れ、78年に開港したが、2本目の滑走路ができたのが02年になってしまった」「この24年の間に、アジアでは大規模空港の整備が進み、決定的な差がつけられてしまった。これは、日本の航空史上の最大の痛恨事」と。
 三里塚闘争50年の闘いが、日帝の空港・航空政策に決定的な打撃を与えてきたことが、航空政策の責任者であった黒野元社長(元運輸事務次官)の口から明らかになった。
 黒野はだからこそ「第3滑走路の推進に全力をあげる」と言っている。「50年間の闘い」の力で滑走路建設計画を粉砕しよう。

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