大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(0965号02面01)(2017/04/10)


大地の響き
 投稿コーナー

 多くの仲間が三里塚現地を訪問しています。反対同盟とともに汗を流し交流したことが、職場・学園での闘いの力となったという投稿が全国から寄せられました。引き続きの投稿をよろしくお願いします。

3人で決戦本部訪問
 農地を守る会・茨城 日下部伸

(写真 南台の畑で伊藤信晴さんが解説)

 土浦市内での「茨城の会」第3総会(2月26日)と3月26日の三里塚全国総決起集会を共に闘った仲間3人で急遽、3月29日に決戦本部を訪問しました。
 当初、10人程度での現地調査を考えていましたが、早期訪問が実現しそうにない。そこで、行ける人が2人以上集まったらその時点で断固決行することに方針転換しました。ですから現闘の方にアポを取ったのは2日前でした。
 今回の参加者は運転役の私と現地調査は初めてのキリスト者のK牧師と茨城県地域連帯労組の若き書記長のSさんです。
 決戦本部で団結コーヒーを頂きながら参加者の簡単な自己紹介をし、市東さんと太郎良さん、伊藤さんから、①最高裁決定をひっくり返す請求異議裁判の開始と強制執行停止申し入れ受理の意義、②裁判と申し入れで獲得した時間を最大限活用して市東さんとスクラムを組み闘う人びとを組織する、③新署名運動の拡大で強制執行阻止の陣形を構築し反権力闘争の根源地の三里塚で決戦を断固やり抜く決意を伺いました。
 市東さん宅前の「第3滑走路粉砕!」「強制収用実力阻止」の大看板の前で集合写真を撮影し、「週刊三里塚」の小山さん、伊藤さんの案内で現地調査に出発。
 まず、強制執行対象の畑、耕作権をめぐる畑で説明を聞いた後、空港内を見下ろす大鉄塔、東峰神社(航空神社)、東峰墓地の大木よねさん、萩原進さんの墓、第3滑走路予定地域等を訪れました(この間、番記者ではなく「番公安」の車が微妙な車間距離で入れ替わり立ち代り尾行)。 決戦本部にもどり、すでに多くの来訪者が記入し貼り付けた葉書サイズの「ひとことふたことメッセージ」集に「農地を取って戦争に使うな!市東さんとスクラムを組み共に闘います」を新たに加えました。
 さあ、次の決戦本部訪問・現地調査団を組織するぞ!

野菜のおいしさ実感
 ちば合同労組 山岡浩二

(写真 封鎖された団結街道に怒り)

(写真 岩山記念館屋上から空港を見る)

 市東さんの畑に援農に行ってきました。早速行ったのが、畑に埋めて保存してあった里芋の掘り出しと選別です。掘り出した里芋を親芋と子芋に分けます。種類の違う里芋があるので混ぜないようにしなければいけませんが、素人目には違いがよくわかりません。わさわさわさわさと掘っては選別を繰り返し、軽トラックに積んで終わりです。市東さんの家に着くと、葉物(からし菜でした)の漬物を取り出して袋詰めしています。見るからにおいしそうです。畑では葉物野菜の植え付け準備が始まっています。きれいに耕耘(こううん)した畑にビニルマルチをかけ(今はトラクターのロータリーを使えば、半自動で施工できる)、U字のパイプ柱を立てていきます。穴のあいたマルチに、サニーレタスの苗を植え付け。それにしても騒音がすごい、千葉はどこにいても飛行機の音が聞こえるところだとは思っていましたが、ここは別格です。何せ視界をさえぎる壁の向こうで飛行機が離陸したり、タキシング(自走)したりを繰り返しているのですから。畑仕事をすることが空港との戦いなのだと思い知らされます。
 仕事が一段落した後はお昼ご飯を頂きます、からし菜の漬物、もやしと人参の和え物、野菜入り卵焼き、各種野菜と鶏肉の炒め物など野菜が沢山食べられます。普段は事務所で机上業務ばかりしているので、体を動かして食べる野菜一杯のご飯は本当にありがたいものです。
 千葉に住んでいるので、機会があればまた援農でおじゃましようと思います。

反対同盟の闘志学ぶ
 ちば合同労組 根津武雄

 3月26日の三里塚全国集会に行ってきました。この日はあいにくの雨であり気温も低く大変寒い一日となりましたが会場の熱気はそれを圧倒していました。各市民団体、そして反対同盟の主張はまさに闘争の歴史そのものです。
 わたしは今回援農のため、現地に一泊することになりました。翌日はまさかの大雪となり援農は中止することとなりましたが、現地調査で三里塚各地の闘争拠点を視察しその壮絶な歴史と闘争の激烈さを肌で感じ取ることができました。これは、どんな資料を見ても絶対に知りえないことです。その他成田市の各地も見てきましたが、「空港建設による経済発展」などとは程遠い姿。結局空港ができても地元の経済効果などたかが知れていますし、失われたのどかな大地に比べれば微々たるものでしかありません。それを思えば国家権力は何も生まずただ破壊しつくすだけの存在であり、「畑を守れ、大地を返せ」と主張する反対同盟の方々の思いは決して小さなものではないと感じました。私は沖縄でたまたまであった現地住民の方に千葉から来たというと「三里塚はまだ頑張ってるね」と言われ「こんな遠く離れた沖縄にまで三里塚の思いは届いているんだ」と感激した経験があります。決してあきらめないその闘志は多くの人の心をつかむのです。私はより多くの人にぜひ三里塚に足を運んでほしいと呼びかけたいと思います。

3・26集会発言の熱気
 京都・学生 吉川浩太郎

(写真 3・26デモ貫徹しガンバロー)

 全学連の仲間と一緒に3・26三里塚全国集会に参加しました。いつ市東さんの農地に強制的な取り上げが来るか、という中で行われた集会でしたが、雰囲気は明るいものでした。
 空港が嘘の証拠を使って農地を奪おうとしていたことがこの間明らかになりましたが、空港側に正当性がまったくなく、正義は市東さんをはじめとした三里塚反対同盟の側にあることの表れです。
 日本中からそれぞれの現場で闘う猛者(もさ)たちが集まって集会発言に立ちました。それぞれの発言者から、「三里塚とともに、仲間とともに生き、闘うぞ!」というモチベーションが伝わってきました。
 運動の実践や決断の中で培ってきた実感を話している感じがするというのは階級的労働運動派のとても良いところだと思いますし、個人的に好きなところです。
 この「自信満々だなこいつら!」という確信と闘いの中に、この社会で「普通に」生きている多くの人たちの心をつかむ展望があると、自分は思ってます。
 しかし、やる気だけでは通用しません(残念なことに)。この根っこにある熱意や情熱を通用するようなものにしていくためにも、もっともっと学んで、試行錯誤していかないといけません。あらゆる人たちとの連帯や団結を作っていくためにも、ゴリゴリと学習していきます。そしてその学びと実践でもって、もっと多くの学生・労働者を三里塚に連れて行きたいです!
 先にも書きましたが、私たちの闘いにはたくさんの人の心を捉える内容があると思います。最末期帝国主義の延命形態である新自由主義により今までどおり生きられない人びとが増えている中で、私たちの闘いが求められています。
 自信満々に、元気いっぱい堂々と闘っていきましょう。その先頭に、全学連は立っていきます。ビシッと。

「壁」を打ち破りたい
 京都・青年労働者 立花実

 初めて三里塚に行きました。自分が、三里塚に行ったのは、実際にどういう場所なのか。自分の目で見てみたいという思いがあったからです。誤解を恐れずに、自分の感じたことをそのまま書こうと思います。三里塚とはどういう場所なのか? 私が思っていたのは闘争の聖地ということです。こういう表現は、現状に苦しむ人たちの心を気遣わない表現かもしれませんが、自分のイメージはこんな感じでした。神社のところに行ってまず思ったのは、沖縄みたいだ、ということ。今、これを書いてて思うのは、あの壁はベルリンの壁や、南北朝鮮の国境。集会に出てみて感じたのはあそこにいる人たちの力です。それはいわば団結の力なのだと思うのですが、公安に見られながら、いつ、どういう形で国家権力の力が及ぶのか分からない状況で動労千葉の方は笑いながら話されました。この世界は権力のものではない、自分たちのものなのだという思い。福島の状況を話す方の悲しい涙、温かい思い。その一方でその正当性や、どうすべきかと思いの中で悩みながら聞いている人。あそこにあったのは人の尊厳でした。人の尊厳は国家権力には犯されないのだ。そして、あの壁が自分の中にも存在することの自覚。あの壁は国家が作ったものであると同時に、自分が作ったもの。うち破りたい。うち破る! 私も負けてはいられないのです。

援農し畑の意義実感
 関西・学生 佐藤真琴

 3月26日の集会に参加した後、そのまま2日間の現地調査と援農に参加しました。現地調査で印象に残ったのは市東さんの家の近くにあるやぐらに上らせてもらったことです。上れば目の前に滑走路があり、航空機が思っていた以上の頻度で次々と着陸してきます。この日は風が特に強かったためか、ほとんどの機体が翼を上下に揺らしていました。空港と市東さんの畑や家との間には塀があります。この塀が国や空港会社と、市東さんやその後ろにいる農民との和解しがたい壁を象徴していると感じました。
 翌日は援農ということで、間引き大根の収穫とトマトの苗作り、出荷作業を手伝わせてもらいました。夜中に雨が降ったので畑の土がよく水を吸い、ときどきゴム長靴の足が大根の畝(うね)の間にとられて大変でした。トマトには種類がたくさんあり、種はどれも小さかったため、混ざったりなくしたりしないよう気を遣いました。市東さんが夏には実がなるとおっしゃっていたので、また収穫の際にお手伝いできたらと思います。産直の出荷作業では同盟のご家族や支援の方々も加わり、何もないガレージがあっという間に作業場に変わり、熟練されたチームワークでコンテナとダンボールに次々と野菜が詰められていきました。私はコンテナを車に積む最後の作業をやらせてもらいました。
 集会でも提起された三里塚の闘いが守ってきた市東さんの畑の持つ大きな意義が、51年の歴史と日々の生活によってつくられていることをつかむことができました。自分の大学の闘いにも生かしたいと思います。

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