市東孝雄さん最終意見 この裁判は私の命がけの闘い

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週刊『三里塚』02頁(1001号01面02)(2018/10/08)


市東孝雄さん最終意見
 この裁判は私の命がけの闘い

農地は私の命だ

 私はこれまで自分の仕事に誇りを持って生きてきました。今も試行錯誤しながら有機野菜のための土壌を作っています。農薬や化学肥料を一切使わず、露地栽培で、気象の変動と毎日の天気を見ながら、雑草と格闘して野菜を作っています。野菜作りの方法に完成はなく、日々の工夫と努力の積み重ねによるしかありません。
 天神峰と南台の農地は、そうしてできた私にとっての命です。
 そこで育つ野菜を本物と認めてくれる消費者家族がいます。生産と食を相互に保障し合う、提携関係が結ばれています。信頼できる有機の土壌があってこそです。消費者との「顔の見える」関係も簡単にできることではありません。
 空港会社は、私の農地をただの土地だと思っています。農業なんてどこでもやれると見下し、農業よりも空港の方が社会に役立つと決め込んで、空港のために農地を差し出せ、金を積むから出ていけという態度です。
 しかし、それはまったくの間違いです。農地は生きています。人が試行錯誤を重ねて、作り上げるものなのです。私の畑は、有機農業を実現するために長い年月をかけて作った他にはないかけがえのない農地なのです。
 私の野菜作りは、大正時代から100年間耕し、有機の土壌として作り上げたあの畑でしかできません。それが人々の健康と命をつないでいます。あの畑は私の人生であり私の生きがいです。

畑をつぶすのか

 空港会社は私が農業をやめると決め込んで、同じような農家収入の150年分の補償をやるから百姓をやめて出て行けという態度です。裁判ではまともに反論もせず、裁判所に任せておけば大丈夫だという態度を続けてきました。これは、私の精一杯の訴えと法廷そのものを侮辱するものです。憤りを抑えることができません。
 強制執行されれば私の農地の7割以上が、畑で育つ野菜と一緒につぶされます。祖父の代からの汗と涙、これまでの私の努力が重機の下に押しつぶされ、二度と野菜はできません。思っただけで、悔しくて涙がでます。
 私は今、高瀬裁判長が下す判決いかんで、47年前の小泉よねさんと同じ地点に立たされようとしています。空港会社が「二度と繰り返さない」「強制手段は放棄する」と言って謝罪し、世間に公約した以上、私に対する強制執行は絶対に許されません。
 権利濫用を訴えた証言と補佐人陳述は大きな力になりました。私は自分の農業は間違っていなかったし、私がこの裁判で闘ってきたことは、私だけでなく、東峰地区や近隣住民、そして農業つぶしの農政の中でがんばる農家のためにもなることだと強く感じています。
 「私に対する強制執行は営農の基盤を取り上げ、生きる希望をつぶしてしまう過酷執行である」「強制執行放棄の公約を破るものであり、空港会社による権利濫用である」「社会の正義に反するから、強制執行は許されない」2年間に及ぶ弁論と法廷証言、補佐人陳述はこれらのことを明らかにしたと、私は信じています。

絶対に動かない

 私はあくまでも天神峰と南台で私の畑を耕し、絶対に動かない。農地を取り上げる強制執行は、私にとって死刑と同じです。この裁判は私にとって命がけの闘いです。高瀬裁判長が、会社を勝たせるために事実をねじまげた多見谷判決と同様の、不正義に走ることは絶対に許されません。
 「農地取り上げの強制執行は認めない」との判決を強く求めます。

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