星野文昭さんの遺志を継ぎ三里塚勝利へ 獄中44年 不屈の闘い貫き ----星野文昭同志を追悼する

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週刊『三里塚』02頁(1017号01面02)(2019/06/10)


星野文昭さんの遺志を継ぎ三里塚勝利へ
 獄中44年 不屈の闘い貫き
 ----星野文昭同志を追悼する

(写真 星野文昭さん)

(写真 東京・日比谷公園内松本楼で記者会見する星野暁子さん【左】と岩井信弁護士【6月3日】)


 5月30日午後9時44分、東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターで星野文昭同志が逝去されました。73歳でした。
 星野さんは今年4月、「ステージⅡ〜Ⅲ」の肝臓がんと診断され、5月28日に切除手術を受けました。その翌朝に危篤状態に陥り、2日間にわたる壮絶な格闘の末に亡くなりました。

国家犯罪だ!

 星野さんの死は、許しがたい国家犯罪です。星野さんは沖縄のペテン的返還に抗議し、1971年11月14日、渋谷闘争にデモ隊のリーダーとして立ち上がりました。その中で警官一人が死んだことで「殺人罪」をでっち上げられ、無期懲役判決を下ろされました。警察・国家権力は「えん罪」を百も承知で星野さんを44年間、獄につなぎ続けました。
 さらに、星野さんを拘留していた徳島刑務所や四国更生保護委員会は、受刑者の生命や健康を一切省みない処遇を続けてきました。昨年から、星野さんは体重が減り、食事も満足にとれないなど、身体の異常を訴えていました。4月の検査時点で、星野さんのがんは肝臓の5割を占めるまで大きくなっていたのです。3月4日に行ったエコー検査で星野さんの肝臓に異常があったことがわからないはずがありません。刑務所はこれを隠し続け、3月末に仮釈放不許可の決定が出るのを待って、その後に東日本成人矯正医療センターに移管したのです。受刑者に対するとんでもない医療放棄であり、殺人行為です。
 国家権力が星野さんの生命を奪ったことは絶対に許せません。しかし国家権力は最後の最後まで星野さんの不屈の闘志を折ることはできませんでした。そしてこの闘志は、絵画展や新聞の一面広告、要望書運動などを通じて全国・全世界の労働者や学生、農民、市民に広がり、国家犯罪を許さない強固な陣形を作ってきました。4月杉並区議選の勝利も、星野闘争を担う仲間の尽力があって実現しました。
 星野さんのお連れ合いの暁子さんは、星野さんの遺志を継ぎ、権力犯罪を告発する国家賠償請求を起こし、さらに再審無罪の勝利まで闘い続けることを宣言しています。私たちも共に闘おう。

成田で絵画展

 70年安保・沖縄闘争を先頭で闘った星野さんは、71年の三里塚の強制代執行決戦を全学連現地行動隊として闘った闘士でもあります。反対同盟・市東孝雄さんの天神峰の農地には、星野さんのことを思って植えられた「星の木」と名付けられたコブシの木がぐんぐんと成長を続けています。星野さんが全人生をかけて闘い抜いた沖縄闘争―三里塚闘争を必ず勝利させましょう。
 星野再審連絡会議が呼びかける、7・5法務省包囲デモ―7・26全国集会に集まり、国家権力への怒りを叩きつけよう! 8月9〜11日に成田市のもりんぴあこうづで開催される星野さんの絵画展に集まろう!

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