北総の空の下で 星野救援に心血 青柳晃玄さん逝く

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週刊『三里塚』02頁(1018号02面07)(2019/06/24)


北総の空の下で
 星野救援に心血
 青柳晃玄さん逝く


 6月7日、出荷作業もそこそこに市東孝雄さん、萩原富夫さんらと星野文昭さんの通夜に向かいました。誰もが生前の対面はかないませんでした。故北原鉱治さんの次に市東さんの面会予定があったのですが、友人面会の扉はその前に閉ざされてしまったのです。
 その後長い年月をかけて、司法権力の重い重い扉を闘いの力でこじ開け、確かに一筋の光が見えました。星野さんの死は、鉄の扉でいきなり光を遮断されたような衝撃でした。権力は癌を放置して彼を獄死させたのです。
 星野暁子さんが「権力が無実の自分をでっち上げたことに怒りはあっても、沖縄闘争を闘ったことにみじんの後悔もない。もう一回生まれてきても僕は暁子とみんなとの団結を生きる」と文昭さんの言葉を代弁しました。みんなが人間らしく生きられる社会を作るために、過酷な無期刑にも揺るがなかった文昭さんがどれほど大きな存在だったか、暁子さんとの絆がどれほど彼を支え続けたか、しみじみと思います。
 そして9日、告別式の翌日、群馬の青柳晃玄さんが星野さんに寄り添うように82歳の生涯を閉じました。星野さん救援運動にも市東さんの農地決戦にも心血を注いで先頭に立った無二の存在でした。
 星野さんは71年の三里塚闘争に、全学連の行動隊長として深く関わっています。
 三里塚で闘い続けることが、星野さん、青柳さんと共に生きることです。二人から託された火種をもっともっと大きく!
北里一枝

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