戦争・改憲・核武装を狙う安倍をこれ以上延命させてはならない 8・6ヒロシマ大行動に参加 被爆75周年、反核の決意新たに

週刊『三里塚』02頁(1045号02面01)(2020/08/10)


戦争・改憲・核武装を狙う安倍をこれ以上延命させてはならない
 8・6ヒロシマ大行動に参加
 被爆75周年、反核の決意新たに

(写真 原爆ドーム前で、改憲反対!核をなくそうとアピール【8月6日】)

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 被爆75周年のこの夏、8・6ヒロシマ大行動に初めて参加しました。
 それに先立ち8月4日、広島での反戦・反核行動に参加するにあたって市東孝雄さんの畑に眠る星野文昭さんの墓に花束を捧げ、星野同志に「行ってきます」と伝えました。
 今年の8・6ヒロシマはコロナ禍の下で、安倍政権・松井広島市長、すべての反動勢力とのイデオロギーと行動の実践的闘争になると思い、歴史的分岐点となる闘争だと気を引き締めて参加しました。
 反戦・反核闘争を継続することが今ほど重要な時はないと強く思います。かつてなく核戦争の危機は高まっています。INF全廃条約をトランプは破棄し、今年2月には潜水艦発射型の小型核弾頭の実戦配備を発表しています。5月には、爆発を伴う核実験の再開の検討を始めています。
 こうした危機的状況にもかかわらず、今年=被爆75年目の平和記念式典を松井市長は「目的を慰霊に絞る」として「核兵器廃絶の世界への発信」を削ろうとしました。さらに、安倍首相には式典への例年通りの参加を求める一方、被爆者・遺族・市民を排除しました。それは「敵基地攻撃能力の保有」を狙う安倍政権が進める戦争・改憲、核武装への道を掃き清めるものであり、絶対に認めることはできません。安倍を延命させてはなりません。
 5日の夕方の集会に動労千葉の仲間たちと参加しました。集会内容は非常に濃くて勉強になりました。8・6ヒロシマ大行動事務局長の宮原亮さんが、「8・6ヒロシマと改憲をめぐる1年のたたかい」として、市当局との拡声器規制条例との闘いの攻防を報告。
 広島大学学生自治会委員長の森田寛隆さんは、スライドを使って「8・6ヒロシマの歴史」を語りました。1945年8月6日、8時15分の原爆投下から1950年朝鮮戦争、1954年のビキニ核実験までの重く物言えぬ苦しい生活状況から反戦・反核のヒロシマ闘争が誕生したと聞き、びっくりしました。
 3人のパネラーからの提起は現場・地域からの具体的攻防の話で心にしみました。小学校教員の平野綾子さんは、コロナ禍での安倍首相の独裁的全国学校休校の布令は戦時下と同じと弾劾しました。広島市職員の福井利明さんは、新・旧憲法から見た自治体職員としての正しい立場に立った闘争精神を明らかにし、赤紙を二度と配らないと決意を述べました。安芸太田町議の大江厚子さんは、自民党・河井夫妻の公職選挙法違反・買収を批判、弾劾し、住民と共に改憲・戦争反対の闘いを進める決意を語りました。
 6日は、朝6時頃から原爆ドーム前で安倍の式典出席への抗議・弾劾の行動を行いました。リレートーク中に「今日は静かに慰霊を 広島市民」のゼッケンをつけた右翼がスタンディングで集会を妨害してきました。8時15分の黙とう後、安倍首相弾劾のデモに立ちました。デモ行進中にも一人の右翼がついてきましたが、まったく迫力はありませんでした。
 昼からの8・6ヒロシマ大集会では、すべての発言内容に感銘を受けました。とりわけ、旧陸軍被服支廠倉庫の保存を訴えた石丸紀興さんと、「黒い雨」訴訟勝利の報告を行った大瀧慈さんの、ねばり強く闘いを継続させてきたお話が強く印象に残っています。
 集会後のデモでは、アーケードを通った時の市民の大きな反応・共感に感動しました。平日でしたが、多くの人が注目し、私たちの闘いへの期待を感じました。
 その後、平和資料館を見学。眠るのが怖くなるような惨禍。それを生み出す原因の一つになった軍都広島の事実が心に強く残りました。
(三里塚現地闘争本部 岸本豊和)

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