全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 全学連大会に結集を 広島の闘いと祈り 全学連三里塚現地行動隊長 今井治郎

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週刊『三里塚』02頁(1045号02面02)(2020/08/10)


全学連三里塚現地行動隊日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 全学連大会に結集を
 広島の闘いと祈り
 全学連三里塚現地行動隊長 今井治郎

(写真 被爆者の闘いを引き継ぐ決意で全学連がデモ)


 長かった梅雨が明けて、空気は一気に夏のものに入れ替わりました。元気のなかった夏野菜も待ちかねたようにグンッと伸び、なかなか色づかなかったトマトも赤々としてきました。真っ赤なトマトを採っていると、「夏を収穫している」ってすごく感じますよね。今年は特にその感覚が強くて、私自身にとっても待望の夏だったと自覚しました。ただ、急激な気温の変化に体の方はついてきていないようです。今年は多くの人がマスクを着けて過ごす夏、皆さんもくれぐれもご無理をなさいませんよう。
 広島市で開催された8・6ヒロシマ大行動に今年も参加しました。今年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で原水爆禁止世界大会がオンライン開催になり、現地で行われる闘争に大きな注目が集まりました。
 6日の朝に原爆ドーム前で開催される集会には、毎年右翼が大音量でヤジを飛ばして妨害しに来ます。しかし、今年は一転、彼らは黙ってプラカードを掲げて集会に「参加」するという形式を取りました。プラカードには「今日は慰霊の日だから黙って祈れ」という旨が書かれていました。この主張は正しいのでしょうか。
 私には正しいとはどうしても思えません。もちろん静かに祈りたい人の気持ちは尊重されなければなりません。その上で、被爆者や遺族が何を願って祈り続けているのかに目を向ける必要があると思います。
 広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という言葉が刻まれています。今も世界中に核兵器や原発が存在し、それを使おうとしている為政者がいる中で、過ちを繰り返さないために声を上げることと核や戦争の廃絶を祈ることがあたかも対立するように描くことがそもそも間違っています。
 さらに、その「祈り」がかちとられた歴史を学ぶことが重要です。原爆投下から1年後の1946年8月6日、新聞紙上で原爆は「平和の閃光」と報じられたそうです。これを被爆者はじめ市民が闘いによって覆し、核廃絶を訴えるヒロシマが始まったのです。黙っていればなかったことにされてしまう。闘いによって認めさせなければ、「祈る」ことすらできない。ヒロシマの闘いは私たちにとても大事なことを教えてくれます。
 三里塚闘争に引き付けて考えれば、機動隊を動員しての外郭測量に対して歌を歌って抗議しても空港建設は止まらなかったし、体を張った闘いがなければ今日まで空港完成を阻むことも、新たに住民が決起することもなかったと言えます。
 全学連はコロナ禍で活動が制限される中でも、噴出する学生の問題と向き合う中で闘いを前に進めてきました。ただ黙って祈るのではなく、連帯を求め、ともに行動することが学生の生活と権利を守る道です。全学連は8月29~30日に第81回定期大会を開き、今秋の学生の闘いをさらに発展させる決意です。
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