明日も耕す 農業問題の今食糧管理制度とその解体 農業切り捨てが加速

投稿日:

週刊『三里塚』02頁(1071号02面04)(2021/09/13)


明日も耕す 農業問題の今
食糧管理制度とその解体
 農業切り捨てが加速


 1995年に食糧管理制度(食管制度)が廃止されて25年。知らない人も増えたと思うが、戦後のコメの生産・流通を管理し、価格を決定してきた重要な農業・食糧政策はなぜ廃止されたのか。その背景は何だったのか。

 戦後の日本農政の柱であった食管制度は、生産者から再生産を保障する価格で国がコメを買い上げ、消費者に対しては生計が賄えるくらいの価格に抑えて売り渡す二重価格制度だ。
 食管制度の元となる食糧管理法の制定は戦前で、国家の強い統制の下に食糧を全て管理した。敗戦後も食糧難の中でそのしくみが維持され食管制度となる。
 食管制度の下でコメの安定供給が図られてきたが、1970年頃からコメが余り始め減反政策が始まる。二重価格の差額を埋めていた食管会計も赤字が拡大し、再生産を保障する米価が維持できずに米価闘争が起こる。
 これを打開するために、1981年には市場原理を取り込んだ改正食管法が公布されるが、時を同じくして中曽根康弘が行政管理庁長官になり、臨調行革路線の下で国鉄、健康保険とともに「3K」赤字として徹底的にやり玉にあげられた。食管制度だけでなく、農業補助金削減、転作奨励金合理化などさまざまな合理化攻撃が農業に襲いかかった。

輸入すればよい

 だがこれは、国鉄分割・民営化と同様に赤字解消が真の目的ではない。
 戦後の成長が行き詰まり、貿易自由化によって激しくなった世界的な争闘戦に勝ち抜くために、「企業がもうかりさえすれば良い」という新自由主義による農業切り捨てこそが、食管制度に向けられた攻撃の本質だ。農業切り捨て政策は1970年代にすでに始まっていたが、大きく舵を切るのはここからで、規制を緩和しコメの自由化を推し進める食管制度の解体は農業切り捨ての一丁目一番地だったのだ。
 「農業を全面的に切り捨て、すべて輸入すれば良い」という今に通じる考えは、元日銀総裁の前川春雄による「前川レポート」(1986年)にすでに登場している。

新自由主義攻撃

 まがりなりにもコメ農家を支えるセーフティーネットであった食管制度は、1995年には最終的に解体された。同時に自由貿易の中で次々と農業・農産物が犠牲にされ、農業で食べていくことができなくなり、毎年数万戸という農家が廃業に追い込まれるようになった。今年、家族経営の農家はついに100万戸を割りこんだ。
 「今だけ金だけ自分だけ」と金もうけにしがみつく新自由主義をこれ以上許しておいて農業に未来はない。新自由主義は国家の全体重をかけた攻撃だから、小手先で農業切り捨てと闘うことはできない。だが、この暴力支配に敢然と立ちはだかり、農地と農業を守り抜いてきたのが三里塚だ。
 新自由主義を終わらせよう。そのためにも10・3全国集会に集まろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加