大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1080号02面09)(2022/01/24)


大地の響き 投稿コーナー

白ヘル被り新年デモ
 千葉 中山 久

 三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけによる、新年デモ&団結旗開きが2022年の今年も開催され、それに先立ち強制収用攻撃を跳ね返してきた市東さんの南台農地よりデモに繰り出しました。参加者は皆、日本政府による農民を始めとした人々への虐遇の数々を絶対に認めない人たちであり、とりわけ全学連においては今年のデモに際し、学生のほとんどがヘルメットを被るなど、闘う意志を鮮明に打ち出していました。
 その後は市東さん宅の離れへ移動し、温かいお手製豚汁に舌鼓を打ちながら、皆が熱く固い意志を表明していきました。
 特に動労千葉の関委員長は「3月のダイ改に向けて、ストライキを構え反撃する」という強い決意を表明し、今年の千葉支社管内で巻き起こる、この投稿コーナーではとても書ききれないような大きな闘いがあります。詳しくは日刊動労千葉に全て書かれているのですが、19世紀に新橋で汽笛が轟いて以来で見ても、大攻撃だと言えるかもしれません。許してはならない‼
(追記)豚汁は本当に美味しかった。本物の野菜を食べることが出来た。ただ、何も考えずにそこにあったお椀を手に取とったのだが、見た目にしては具沢山だった。汁に隠れて、(ネギと白菜はほとんど入っていなかったが)豚肉を始めとした沢山の具が地下潜伏していた。隣のお椀はネギと白菜ばかりだったに違いない。今年も団結ガンバロー!

金と交換できぬ財産
 首都圏学生 田村顕一郎

 1月19日、新やぐら控訴審を傍聴しました。
 民法学者の吉田邦彦先生の証言が特に印象深かったです。所有権のなかには「人格的所有権」と呼ぶべき特別なものがあるという話です。つまり、単なる財産、商品として金と交換できる財産ではなく、その財産が人格そのものと不可分に結びついていて、簡単には所有者から引きはがせない財産というものがあるということです。住宅や農民にとっての農地がまさにそれにあたります。
 近年、スタンフォード大のM・J・レイディン教授などの活躍により広く論じられるようになり、法学の世界でも大きなパラダイムシフトが起こっているそうです。
 考えてみれば、世の中には、災害などで家が突然なくなったとき、「いくつもある別荘のひとつでしかないけど、家や家具を新しく用意するための損害がかかるなあ」程度に感じていられる階級と、全財産がそこにあり、生きる手段も人生の道筋もすべて失ってしまう階級との、ふたつの階級があります。農地を金で買い取れるとするNAAやそれを支える日本の法体系は、前者の階級の立場に立ったものでしかありません。阪神・淡路大震災のときに、被災者に対する行政の補償金についての規定で、「なくなった家などの補償として使うべきであり、個人の蓄財に使われることがあってはならない」というものが当初あったそうです。しかし、家を焼け出されてすべてを失った人々に対して「個人の蓄財」を禁ずるとはあまりにもひどすぎる、ということで、この規定は削除されました。日本の法体系・行政機構は、諸外国と比べてもこの面で遅れているようです。
 法文を抽象的に解釈して当てはめる「概念法学」に対して、現実の当事者の実態に立脚して立法・政策の内実を司法でこそ問う立場で論じる「リアリズム法学」というものが新たに生まれているそうです。今後リアリズム法学の立場で活躍する若い法学者が増えてほしいとも。
 新やぐら控訴審の逆転勝訴、そして市東さんの農地死守・成田空港廃港を改めて願っています。特に、中国侵略戦争情勢の中での軍事空港の拡張を止めることは、戦争を阻止する闘いの中でも特別な位置を持ちます。ともに闘いましょう!

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